第5話 魔術の基礎の基礎



 ララが不安そうに、メイがニコニコと見守る中、レオンがゆっくりと問いを口にした。

 

「じゃあ、いくぞ。問い。魔術発動の前提条件とは何か」


 本当に超基礎学術問題を繰り出してきたレオンに、フィオナは勝ち誇ったように顎を逸らした。

 

「解。魔術核が魔素から変換して蓄積している魔力に、属性を与えるかどうかの選択が魔術発動の前提条件よ」

「正解。魔術式は一番最初に魔力に「火、水、土、風、雷」の五元素の属性を付与するか、それとも魔素から変換したままの魔力の無属性で使用するかの決定をする。それを決めないと魔術はそもそも発動しないからな」

「ねえ、レオン。本当に私がこの超基礎学術問題を答えられないと思ってるの?」


 イライラと睨みつけるフィオナに、レオンも余裕の笑みを浮かべた。

 

「全問正解してから言えよ。問い。魔術の三大分類を答えよ」

「解。戦闘魔術、汎用魔術、特異魔術」

「正解。問い。三大魔術の概要は?」

「解。戦闘魔術はその名の通り、戦闘時における攻撃や防御に特化した魔術。汎用魔術は、広くさまざまな目的への利便性を高めた魔術で、性質から生活魔術とも言われる小規模魔術。特異魔術は、大規模で特殊な作用をする魔術」


 スラスラと答えるたびにこれでもかと得意げになっていくフィオナに、レオンは淡々と問いを投げかけ続ける。

 

「正解。まるで学術書の丸暗記のような答えだな。まあ、いい。これが最後だ。問い。戦闘魔術と汎用魔術の違いはなんだ?」

「……解。使用用途と対象の違いでしょ?」

「正解。使用用途と対象の違い。その通りだ」

「……ほら、見なさい! 完璧に理解できてるじゃない!」


 これ以上は無理なほどにふふん顔になったフィオナに、レオンは呆れたように肩を竦めた。


「ほらな。やっぱり全く理解できていない」

「は? 全部正解したじゃない!」

「問答としての解答なら正解。でもその解答の本質は全く理解できていない」

「……どう言うことよ」

「自分でも答えてただろ? 魔術を発動する魔力に属性を付与するか否かを決めて、あとは術式にそって魔術は発動する。戦闘魔術でも汎用魔術でも特異魔術でもそれは全く同じ。三大魔術分類だなんだと区別はしていても、魔術の明確な違いは使用用途と対象だけ。逆に言えばそれしか違いがない」

「……まぁ、そう……ね……?」


 しばらく黙り込んだフィオナは、そのままきょとんと首を傾げた。何を言わんとしているのか、いまいちわからない。そんなフィオナにレオンは盛大にため息をついた。


「考えることを放棄するなよ……全く……魔術の本質に関わる話だぞ。いいか、例えば「斬撃」。これは戦闘魔術だな?」


 こくりと頷いたフィオナに、レオンが考える時の癖で指先でテーブルをトンと叩いた。


「「斬撃」を発動するとして前提条件を無属性する。術式は威力と規模を最小まで抑えたものにした場合、展開した魔術はどうなると思う?」

「それは……無属性、なのよね? それなら属性効果はつかない。完全な魔力による物理攻撃になるわね。規模と威力を最小まで抑えるなら、岩や石までは斬れない、かな……」

「そう。石は切り裂けない。でも野菜や果物は切れる。それが汎用魔術でいうところの「切断」だ」

「……汎用魔術?」

「戦闘魔術だ、汎用魔術だと分類していても、本質は発動条件すら全く同じ魔術なんだよ。明確な違いがあるのは魔術にじゃない。対象と目的に合わせて描かれる、術式にしかない」

「あ……そういう……」

「それが理解できてるなら、絶望する必要なんてないってわかるはずだ。アレイスター学園には最高峰の教授陣が揃ってるんだから」

「……そっか……術式の違いだけなら、それを突き詰めていけば……!」

「まあ、その教授陣も貴族出身なのが問題だけどな。貴族は汎用魔術を見下してる。教授陣が汎用魔術を果たしてどこまで理解しているか……」


 差し込んだ希望に表情を輝かせ始めていたフィオナは、レオンが突きつけたきた現実にしょんぼりと肩を落とした。その通りだった。王国最高峰の教授陣は全員貴族出身。多分汎用魔術をほとんど知らない。


「分類に振り回されてか、必要がないからか。貴族はよほどの理由がなければ、汎用魔術を習得しない」

「うん……そうね……」


 フィオナは涙目で俯いた。それもレオンの言う通りだった。

 貴族は汎用魔術に興味がない。最高峰の戦闘魔術と特異魔術を教えるアレイスター学園も、授業料が高額なのもあって生徒の九割が貴族。フィオナだって汎用魔術はほとんど刻印していない。魔術は全部好きだが、わかりやすく派手な魔術を習得しがちなのは否定できない。


「貴族は汎用魔術は、平民魔術だと思ってるからな」

「……汎用魔術は我々使用人の領分ではありますね」

 

 控えめに口を挟んだメイが、心配そうにフィオナを覗き込んだ。でもまだニコニコ顔だ。


「そのための使用人でもありますし」

 

 生活する上で必要になる汎用魔術は、身の回りの世話を任せる従者や侍女が習得している。貴族は平民より大きい魔術刻印容量限界まで、戦闘魔術か特異魔術を刻印しているから。

 「同じ魔術」という言葉で持ちかけた希望が、あっという間に萎んでいく。今の学園に汎用魔術に詳しい人物はいない。再びしょんぼりと俯くフィオナに、レオンは慰めるように眉尻を下げる。


「でもまあ、そのへんをどうにかして需要がある魔術を開発すればいい。だろ? 大事なのは学園の立て直せる希望があるってことで……」

「それは……そうなんだけど……」


 歯切れの悪いフィオナの返事に、レオンは焚き付けるように声を上げた。

 

「なんだよ。解決の糸口がある。フィオナなら当然やるだろ? 護国卿の功績は偉大だった。魔術を「命を守る」という、最低限で究極的な選択から解放したんだ。そんな偉大な祖父の孫がそんな顔をするな。今魔術はより豊かにどう生きていくかにまで自由なった。お前の大好きな魔術が。だろ?」

「いや、うん……そう……その通り。その通りなんだけどね……」

「原因はわかった。それなら色々やりようはあるだろうが。なんでもひとまず試すのがフィオナだろ?」 

「本当にそうなんだけど……」


 いつもならこのあたりでスイッチが入るはずのフィオナが、しょぼくれていることにレオンが訝しげに眉を顰めた。

 

「なんだよ、まさか立て直しを諦めたのか?」

「そうじゃないわ……ただ帳簿が……保たなそうだなって……」

「……は?」

「……もう帳簿が限界まで真っ赤で……! 一から開発に取り掛かるのは……」

「……いやいや……赤字って言っても、まさかそこまでなわけ……名門アレイスター魔術学園だぞ? 王国一の名門魔術学園だぞ? 三年くらいの運営資金くらいはなんとかなる、よな……?」

「……需要がある汎用魔術を取り入れ。やってみたいとは思うわ。でもノウハウも知識も全くない。頼れる人材のアテもない……」

「……保たないのか?」


 フィオナがしょんぼりと頷くと、レオンも真顔になって口を閉じた。

 

「今から汎用魔術を一から研究して、その上で学びたいと思わせるだけのものに仕上げるまで、一体どれくらいかかるか……でも、資金は……! 資金はなんとかできるアテはあるの……!」


 フィオナは顔を上げて真剣にレオンに言い募った。人生を棒に振るかもしれないが、資金についてだけは確実なアテがある。土下座する覚悟だってできている。


「でも……一度始めたとしたらもう、失敗はできない……何度もお試しをしてみる余力がない以上、確実に求められる魔術を開発しなきゃいけない……汎用魔術に目を向けなくちゃだめでも、どうすれば……」


 シンと落ちた沈黙にララが気遣わしげにフィオナを見つめ、


「お兄ちゃん……」


 レオンの袖を促すようにゆすった。メイもニコニコ顔のままながら、俯くフィオナの背中を慰めるように優しくさすってくれる。レオンはじっと考え込むように顎に手を当てて黙り込んでいたが、やがて顔をスッと上げると涙目のフィオナをまっすぐに見つめた。


「……フィオナ、汎用魔術なら俺が見せてやれる」

「……手伝ってくれるの……?」

「汎用魔術についてなら学園の連中よりも、平民の俺の方が詳しいだろうからな。見たいなら、明日もう一度ここに来い」


 レオンの言葉にフィオナが目を見開き、ララもホッと表情を緩めた。メイも感謝するようにますます笑みを綻ばせる。


「……バイト代、出せないよ?」

「……開口一番それかよ。別にそんなの期待してない。同期のよしみで手伝ってやるだけだ」

「本当……? いいの? レオンが手伝ってくれるなら短期間で汎用魔術を理解できると思う! 本当にありがとう! でも本当にバイト代出さないよ?」


 バイト代を出せないことを念押ししてくるフィオナに、レオンが苦く眉根を寄せてたが頷いてくれた。フィオナがパッと表情を明るくする。

 口は悪いがレオンは同期一の秀才だ。戦闘魔術の最高峰のアレイスター学園の魔術理論の首席卒業生でありながら、生活に汎用魔術が根差した平民出身でもある。貴族は学ばない汎用魔術も、その優秀な頭脳はきっと完全理解しているはずだ。

 考えてみればフィオナが知る中で、これほど頼りになる人材はレオンをおいて他にいない。そんなレオンが手伝ってくれる安心感で緩み出した涙腺に、フィオナはぐすりと鼻を啜った。


「ありがとう、レオン……」

「……俺だって母校がなくなるのは嫌だからな」

「……うん! 本当にありがとう。私、頑張るから! 速攻で汎用魔術を理解して見せるから!」

「当たり前だ。俺は長々と付き合うつもりはないからな! 仮にも実技首席なんだ。貴族どもが軽く見てる汎用魔術くらい、実地の一発で理解ぐらいして見せろ」

「私は軽く見てなんかいないわよ。触れる機会がなかっただけで汎用魔術も魔術だもの」

「……フィオナはそうかもな。魔術のことしか頭にない、魔術バカだしな」


 無愛想にそっぽを向いたレオンに、フィオナは感謝の笑みを向けた。ぶっきらぼうでもレオンは優しい。天使の容貌で実は悪魔なヒースとは正反対だ。

 そらしたままの横顔にかかる美しい黒髪に笑みが浮かぶ。非常に心休まる縁起の良いレオンの髪色に励まされ、フィオナは落ち込んでいた気分が浮上するのを感じた。縁起の良い髪色の優秀なレオンが手伝ってくれるなら、なんとかするための糸口が掴める気がした。


(汎用魔術かぁ……どんな魔術を見れるのかな? 楽しみだわ!)


 元気を取り直して気合いを入れたフィオナは、ララが物言いたげに見つめているのに気がつかないまま、明日の約束を交わして席を立った。


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