第3話 敵情視察



 朝食をしっかりと胃に収めたフィオナは、張り切って敵情視察へと繰り出した。

 石畳を軽快に走る馬車の向かいで、侍女のメイが微妙な真顔で見つめてくることに、フィオナは小首を傾げる。


「メイ? どうかした?」

「フィオナ様。変装すると仰っていませんでしたか?」

「してるけど? ほらドレスでしょ?」

「フィオナ様。令嬢がドレス姿なのは普通です。変装できていません」

「……あっ!!」


 確かに。目を見開くフィオナに、メイはため息をついた。


「普段、シャツとパンツスタイルで過ごされ、令嬢であることを怠けておられるせいですよ。ですが、ドレスはとてもお似合いです」

「あ、そう? へへっ。ありがと……」


 珍しくにっこりと微笑んだメイに、フィオナは照れて小さく笑みを浮かべた。

 

「普段から着てくださるといいんですけどねぇ」

「動きにくくて……」


 言い訳するフィオナに、メイは残念そうに眉尻を下げる。

 テキパキと仕事をこなす、有能な侍女のメイは滅多に笑わない。鉄壁のメイと渾名される彼女には、辛口審美眼という特殊なセンサーがついているのだ。

 メイが笑みを浮かべるのは、彼女のお眼鏡にかなう美形を目にした時。高位の貴族だろうが美しくないと仏頂面なので、来客対応は任せられないという欠点がある。

 そんな滅多に見れないメイの笑みに、フィオナにちょっと嬉しくなった。


「ところで行き先はリンバーグ魔術学校でよろしいのですか?」

「うん。メイは知ってる?」

「はい。実家の近くなので」


 頷いたメイにフィオナも表情を改める。本日の敵情視察先、「リンバーグ魔術学校」。主に下位から中位程度の、生活や仕事などの広く幅広い用途に使える「汎用魔術」を教えているらしい。

 トラウマとなった真紅の帳簿を調べると、赤字転落と同時期にこの学校が設立されていた。リンバーグ魔術学校を探れば、帳簿が赤みの原因のヒントが得られるかもしれない。


「人気はあるの?」

「そうですね。設立当初から順調に生徒数が伸びているみたいです。いつも賑やかですよ」

「羨ましい……」


 フィオナから率直な本音がこぼれ落ちる。

 アレイスター魔術学園の帳簿が赤くなった最大の原因は、卒業者数の減少と修了者数の増大だった。

 確認すると入園者自体は、減ってはいなかった。一年間の基本学術までは、黒字に必要な生徒数の確保ができている。問題は基本学術を終えたあとだった。

 習得したい魔術学のみの選択し「修了」まではする。でも卒業に必要な単位を取得して「卒業」を目指さない生徒が増えていたのだ。つまり必要な授業を終えると、学園ではない学校に生徒が流れているということ。そのため学年単位でみると、入園から年度を追うごとに授業料として得られる収入が減少している。

 確かに基本学術を修了していれば、卒業が必須の王宮以外への就職に問題はない。雇用に必須なのは「修了」であって「卒業」ではないから。

 つまり卒業者の減少が赤字の最大の原因ということ。ではなぜ卒業を目指さなくなったのか。その理由をはっきりさせなければ、改善も対策もできない。赤字運営でも授業も教授陣の質も、王国最高峰を維持し続けてはいるのだから。

 

「メイ、ここからは歩きましょう」


 アレイスター家の紋章入りの馬車で乗り付ければ、敵情視察とバレてしまうかもしれない。貴族向けの店舗が並ぶ一番街の入り口で馬車を降り、学校のある平民居住区まで歩くことにする。


「フィオナ様、逆に不審です」

「え? そう?」

「はい。もっと堂々となさってください」

「うん……」


 まずはどんな学校なのか。それだけ見るつもりの敵情視察でも、なんとなく後ろめたくてついそわそわしてしまう。結局不審者のまま学校に辿り着いたフィオナは、物陰に隠れて正門へと視線を向けた。


「こじんまりしてるけど、よく手入れされてるみたいね」


 小ぶりな庭園も管理が行き届いている。思ったより大きめの校舎は、装飾は一切なく簡素で機能的だ。

 

「あれぐらいがちょうどいいのかもしれませんね。広すぎるとそれだけ人手がいるので。管理にも費用がかかりますし」

「うん……」


 メイの言葉にフィオナはしょんぼりと頷いた。そう管理費用はバカにならないのだ。

 王都の一等地にドーンと鎮座する、アレイスター魔術学園。歴史を重ねた壮大で荘厳な校舎と、広大な魔術演習場を三つも備えており、なんとちょっとした森まである。

 もう同じ建築はできないらしい、歴史ある建築物の補修と維持。広大な敷地を荒地にしないための手入れ。それらの維持管理費用も帳簿を真っ赤にする要因だった。


「森、絶対いらないよね……」


 学生時代は森の散策を無邪気に楽しんだ。でもリンバーグ魔術学校に森はない。でも人気。

 赤色がトラウマとなる経営目線で考えると、森がある意味がわからない。悲しみのため息を吐き出して、フィオナは気を取り直すと再び正門に視線を向けた。


「……え? ……あれって……レオン?」


 見慣れた黒髪の長身に、フィオナは思わず物陰から身を乗り出した。正門を見上げたレオンは、時間を確かめると脇のベンチに腰を下ろした。どう見ても学友だと確信した途端、フィオナは隠れていたことも忘れて、薄情者レオンに向かって突進した。


「フィオナ様!?」


 慌てたメイの呼びかけにも、フィオナは止まらない。長い足を持て余しながら座っていたレオンは、近づく人の気配に顔をあげ金の瞳を見開いた。


「……フィオナ?」

「ちょっと、レオン! 王宮付きを断ったってどういうこと? しかも連絡もしてこないし! 何? 卒業したら友達でもない、赤の他人ってわけ!?」

「落ち着けよ、フィオナ。そんなに騒ぐな」

「騒がずにいられると思う? ヒースから聞いて私がどれだけ驚いたと思うの?」

「……俺の進路は別にお前に関係ないだろ?」

「関係ないって、友達じゃない!」

「……あとで連絡するつもりだったよ」

「大体貴方はこんなとこで何をしてるのよ!」

「俺は……!」


 道端で言い合いをする間に、学校は下校の時間を迎えていたようだ。開いた正門から出てきた人影が、驚いたように立ち止まる。

 

「……お兄ちゃん?」


 フィオナが不安げな声に振り返ると、黒髪の美少女が怯えるように瞳を潤ませた。


※※※※※


 道端で大騒ぎするのはまずいとやっと気づいたフィオナは、レオンの案内でとりあえずカフェに腰を落ち着けた。

 

「あー、ララちゃん。ごめんね、驚かせちゃって……レオンとは学園の同期で友達なの。だから安心して? ね? レオン?」

「……そうですね」


 同意を求めて振り返ったレオンは、むっつりと返事を返してくる。聞き慣れない敬語が最高に居心地が悪かったが、ララはレオンを見上げフィオナにこくりと頷いた。ホッと胸を撫で下ろし、フィオナはララをニコニコと見つめる。


「レオンに似てるけど、レオンと違ってララちゃんは可愛いわね」

「そうですか……」


 愛想の欠片もない適当な返事に、フィオナはムッと眉を顰めた。


「その敬語やめてよ、気持ち悪い」

「人目もありますし、そういうわけにもいかないでしょう。もう学生ではないのですから」

「なら目眩しの魔術をかければいいじゃない。習得してるでしょ?」


 はぁとため息を吐き出したレオンが、パチンと指を鳴らす。周囲がゆらりと歪んで、ざわめきも少し遠く感じた。


「これ、防音だけじゃなくて、隠密も掛け合わせてる?」

「……まあな。でも人目はこれでいいとしても、主人への無礼は見過ごせないんじゃないか?」


 チラリとメイに視線を向けたレオンに、

 

「平気よ。ね、メイ?」


 隣のメイを振り返ったフィオナは思わずのけ反った。ニッコニコだ。目の前の美形兄妹に、鉄壁のメイが笑み崩れている。


「……フィオナ様がそれでよろしいのであれば」

「あ、うん……」


 にっこりと返事を返したメイは、フィオナが見たことがないほど満面の笑みだ。ちょっと悲しくなりながら、フィオナは頷いた。もうちょっと主人にも忖度してほしい。

 

「じゃ、遠慮なく。それで? フィオナはどうして平民街に来てるんだ?」

「あー……それは……」

「それとさっきから俺の妹を、チラチラ見てるのはなんでだ?」

「え……!!」


 見られていると言われたララが、びくりと肩を飛び上がらせる。怯えるようにレオンの陰に隠れたララに、フィオナは慌てて怖くないアピールに笑みを浮かべてみた。

 だがますます隠れられてしまい、笑顔で懐柔作戦は失敗に終わった。仕方ない。知らない貴族にジロジロ見られて、その貴族が連れている侍女がずっと満面の笑みなのは確かに怖いかもしれない。

 フィオナは諦めてため息をつくと、もう潔く白状することにした。


「……ララちゃんってあの学校の生徒よね? できたら授業の内容とか色々聞かせてもらえたらなって……」

「なんでリンバーグ魔術学校を調べてるんだ?」

「それは……深い事情が……」


 フォオナは情けなく眉を下げながら、敵情視察にきた事情を話し始めた。



 

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