第49話 ついに悲願の醤油を作る
49.ついに悲願の醤油を作る
どうにか元の状態に戻れたジャクソン伯爵は、
精神的に疲れ切ったのか、グッタリとしている。
ヒルに包まれ逃げ出した伯爵を追いかけ、
やっと先ほど到着した従者や護衛兵に
「……お前たちは私を守るのが仕事では無いのか!?」
と吐き出すように言ったが、
強く怒る気力もないようだった。
すでにフィオナに代わって、彼の侍従が回復アイテムを差し出し、
連れていた医者が傷の手当てを始めていた。
「”頭のガード”、ほんとに弱かったですね」
フィオナが離れながら、そっとつぶやく。
俺はそっと後ろから彼の肩を叩き、補助魔法を解除する。
制裁としてはもう充分だろ。
いろんな恐怖を味わった上、死にかけたんだし。
それにおかげで、ファルと再会できたのだ。
「じゃ、気をつけてな。
エリザベートのことはほっといてくれ」
念を押す俺に、ジャクソン伯爵はゆっくりと振り返って言う。
「……殿下は今、宮中がどうなっているかご存じないから
そんなことが言えるのだ」
俺はぐっと押し黙る。……確かに、知らない。
……検索で”知ること”により、
”ガウールの呪い”を受けた俺たちは
明らかに検索の頻度が少なくなっていた。
調べる内容も、そういったリスクが少なそうな
”固定の人物の事実関係”などに限定していたのだ。
「そうなのか? そうと知ってたら、
ちゃんと話を聞いたのになあ」
俺がうながすと、伯爵は顔を赤くして声を荒げた。
「国王は常に苛立ち、王妃と激しく口論ばかりしている!
王太子は自室にひきこもってお出にならない!
大臣も宰相もピリピリし互いを睨みあっている!
この状況を打破できるのは、
ローマンエヤール公爵家だけだろう!」
「お待ちください、なぜ、そんなことに?
レオナルド王子がロンデルシアの要請で出立した時には
まったくそのようなご様子はありませんでしたのに」
エリザベートが困惑した声でたずねる。
ジャクソン伯爵は首を横に振り、皮肉な笑みを浮かべて言う。
「あの時点では、な。
第二王子があのようなことになり、
殿下が向かわれたと聞き、国王も王妃も
”あの者が行ってどうなる?”、と笑っていたのだが」
包み隠さず伯爵は語る。
まあ、あいつらが言いそうなこった。
「じゃあ何故……」
俺の問いかけに、ジャクソン伯爵は肩を落とした。
「……わからん。正直、伯爵家程度では
まともな情報は流れてこないのだ。
ただ国王も王妃もひどく怯え……案じているようだった」
それは朗報だ。ざまあ、とも言える。
ロンデルシア襲撃や”勇者の剣”を奪取に失敗したことが
そんなにショックだったのだろうか。
ジャクソン伯爵はエリザベートに声を張り上げる。
「だからこそ、王家を安心させる強大な力が必要なのだ!
お前が王家の側に常駐すれば、
王族の懸念はほとんど払拭されるだろうに!」
「っていうと、君主想いの発言に聞こえるが、
実際は王家に取り入る絶好の機会だって思ったんだろ?」
俺に図星を突かれ、伯爵はぐぬぬ、となる。
エリザベートはため息交じりに答えた。
「父からは帰国を要請する連絡はありません。
”ロンデルシアよりかけられた
第二王子への嫌疑を晴らすことを優先せよ”
それが公爵家が私に命じた任務です」
ジャクソン伯爵はそれでも、エリザベートを諭すように言う。
「”誰に付くか”を見極めねば、この先は真っ暗だぞ?
王太子の妻となり王家を支えろ。それがお前の幸せなんだ」
「……この状況になってもお前は
”クソバイス”しかできねーのかよ」
俺が呆れながら言うと、エリザベートがつぶやいた。
「先が真っ暗ですって? わが公爵家が”闇”を恐れると?」
ローマンエヤール公爵家。
国内、いや世界で最も、闇の魔法に長けた一族。
「むしろ望むところですわ。
だって私、”暗黒の魔女”ですもの」
誇り高きその家門の娘は、そう言って艶やかに笑った。
************
がっくりと肩を落とした伯爵を連れて、
侍従や兵団は去って行った。
公爵家の怒りを恐れたのか、しっかりと豆を置いて。
それを見送り、さあ村に戻ろうとしたら。
「あああもう、可愛いが爆発してます!」
キリッとした顔で俺の横に立つファルと
その子ども三匹を見ながら、フィオナが悶絶する。
たまらず幼体の一匹に手を伸ばすと、
ファルが前足を真っ直ぐに前に伸ばし、
”
「王子っ! どうやって仲良くなったんですか?」
ふくれたフィオナが俺を責めるが、どうにも思い出せない。
あの行商人が幼かったファルを籠から出し、
俺の前に置いて……俺は怖がって母上の後ろに隠れて……
ぱう! って吠えられてビックリして泣いてしまって……
……あれ? なんで結局、あんなになついてくれたんだ?
「とにかく戻りましょう。さっそく醤油が作れますよ」
ジェラルドの言葉に、メアリーが嬉しそうにうなずく。
「豆から作るソースなのね。不思議な感じ」
ファルはどうするんだろう、そう思い
俺はしゃがみ込んで視線を合わせる。
まん丸い黒い目がじっと俺を見ている。
「ファル、俺と来るか? それとも今のままが良いか」
「ぱう」
……俺はためしに歩き出してみる。
すると全く迷うことなく、ファルは俺について来たのだ。
”前からいましたが?”というくらいナチュラルに
トコトコと俺の横を移動するファルを見て、
俺は取り戻した幸せの大きさに再び泣きそうになった。
良かったな、オリジナル・レオナルド。
さらにその後ろにチョコチョコと手足を動かし、
まん丸い体を移動させる幼体たちを見て
フィオナが身をよじって叫ぶ。
「あの別荘に”魅惑のモフ・ルーム”を作りましょう!」
「どっかのテーマパークにあるアトラクションみたいに言うな!」
とりあえず俺は否定するが、犬??? を飼っても良いか
別荘の執事に相談しなくちゃなあ、とは思っていた。
しかし到着すると、思いのほか簡単にファルは受け入れられた。
犬小屋どころか客間を用意されそうになり、
俺はおおいに焦ることになったのだが。
************
「で、何をすれば良い?」
肩で切りそろえられた髪をまとめ、
神妙な顔でメアリーが首をかしげる。
俺は腕を組んで、みんなに宣言する。
「……まずはいろいろ実験だな」
「えっ?! 豆や塩だけじゃダメですか?」
フィオナがショックを受ける。
「それじゃただの、しょっぱい煮豆になるだろ。
発酵や熟成の手順をふんで、あの味になるんだよ」
「コウジカビよね。どうやって用意する?」
すでにエリザベートは
「あれはアジア特有のカビだ。こんな異世界にあるとは思えない。
その代わりになるカビを見つけないとな」
「カビですって?! カビが生えたパンなんて、
もう二度と食べたくないわ!」
メアリーは聖女として見出された後、
清貧を強制され、さんざんな目に遭ったのだ。
「まあ落ち着け。カビ自体を食うわけじゃねえ。
カビに仕事をさせるんだよ」
俺はそう言ってエリザベートに質問する。
「闇の魔法のうち、腐敗させるやつがあったよな?」
フィオナが聖女を引退するために一芝居うった時、
エリザベートは魔獣の遺体を残さないよう
”腐滅する魔弾”を撃ったのだ。
「ええ、何種かあるけど。
軽度のものなら”
俺の意をすぐに組み、エリザベートが答える。
「えええっ! 腐らせちゃうんですか!」
フィオナが抗議の声をあげるが、
ジェラルドが苦笑いでなだめる。
「そもそも発酵と腐敗の違いは、
人間にとって有益な状態になるか、
有害な状態になるか、の違いですよ」
そして俺たちは
大豆は蒸し、小麦は炒って混ぜ合わせる。
本来はそれに”種麹”を混ぜるのだが、
今回は小分けにしたそれを、いろんな条件を変えながら
エリザベートが腐敗……もとい”発酵”させていく。
「これはもうちょっと湿度をあげましょう」
「こっちは温度を若干高めにしましょ」
みんなでワイワイ言いながら
あーでもねー、こーでもねー、と試行錯誤していく。
それは俺たちにとって面倒くさくも
夢や希望あふれる、平和な時間でもあったのだ。
************
仕込みを終えて眠ったため、今朝も俺は遅く起きた。
ベッドの横には執事が用意したふかふかの毛布が敷かれ、
ファルを中央に幼体が三匹、スピスピと寝息を立てている。
モフモフの毛からちょこんと伸びた三角の耳が
時おりピクっと動いている。
ωの口は時おり、モグモグと動いていた。
俺はそれを眺めながら、再び幸福感でいっぱいになる。
母上にもこの光景を見せてあげたかったな。
次兄に”餓死させた”と聞かされ、号泣する俺を
「あんな奴、ろくな死に方しないわ!
そして地獄に落ちるのよっ!」
などと言いながら、母上は必死に慰めてくれた。
そういう母上も涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにし
怒りに震えていたのだが。
「ファルは元気でしたよ、母上」
俺は立ち上がり、大きく伸びをする。
そして着替えて、朝食を取りに下の階へと降りて行くと。
階段下の踊り場には、困惑顔のメイドと、
今しがた駆け込んできた様子の牧場主がいた。
そして牧場主が俺を見て叫ぶ。
「何とかしてください! チュリーナ国の兵士が、
国道から逃げ込んだ魔獣を追って来て、暴れてるんです!」
ん? いま、何と言った?
「……暴れているのは魔獣では無いのか?」
俺の問いかけに、牧場主は真っ赤な顔で吐き捨てる。
「そうなんですよ! 魔獣は森に逃げたのに、
それを追いかけないで牛を斬りつけようとするんです!
”ステーキが食いたくなった”なんて笑いながら!」
そう言ったあと、心配そうに外を振り返る。
「いま、マイクとピートが必死に守ってくれてます。
ピートは特に元・兵士だから剣を持ち出して応戦してくれて」
俺は焦った。それはかえって危険だ。
”剣を持ち、立ち向かう者は、
剣で切られても文句は言えない”
これはどの国の軍にも通じる不文律だ。
俺はそのまま外に走り出る。
背後からジェラルドが追って来た。
どうやら食堂から出て、話を聞いていたのだろう。
お互い馬を引き、それにまたがって走り出す前に。
俺はジェラルドに叫んだ。
「何もない平和な日ってのは、そんなに珍しいもんなのか?」
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