第38話 魔人あらわる

 38.魔人あらわる


 ”禁忌の印”が付けられた妖魔には

 人間の女の顔がついていた。

 肉が削げ落ちたその顔は大きくゆがみ、

 怒りと憎しみの表情を浮かべている。


 エリザベートが震える声で言う。

「……おそらく妖魔に吸収され、融合したんだわ」

 そうだとしたら、とんでもなく恐ろしいことだ。

 あの女はどれほどの恐怖と苦痛を味わったのだろう。

「それで魔人誕生、というわけか。

 そりゃ許さねえだろうな、

 こうなった理由がなんであれ」


 魔人から伸びる黒い触手は、

 フィオナばかりを狙ってくる。

 それを切りつけながらジェラルドが叫ぶ。

「やはり”禁忌の印”が付けられた妖魔は

 ”聖なる力”に反応しているようですね」

 聖と邪の均整が崩れた今、地上に出て活動を始めたのだ。

 幼虫のような姿は禍々しいことこの上なかった。


 それにしてもマーサはどこにいる?

 俺の手のひらから出ているマーキングの光は、

 妖魔の下側、地中を指し示しているのだが。


 フィオナを捕らえようと、

 妖魔は地中から体を伸ばし始めた。

 頭部が地面を這い、フィオナを追いかける。


「ユル……許サナイ……絶対……」

 妖魔の頭部に付いた女の口から呪詛がもれ続ける。

 そして落ちくぼんだ眼孔から黒い涙を流していた。


 ズルズル……ズルズル…… 


 頭部の横幅は1m以上あるが、

 それより下はさらに膨らんでおり、

 井戸周辺の土をボコボコと崩しながら出てくる。


 そして透明のブヨブヨした体が露わになってきた。

 ところどころにあるブツブツした突起がグロテスクだな、

 と、眉をしかめていたら。


「見て! マーサだわ!」

 エリザベートが叫び、指し示す場所を見ると

 出てきた体の中にマーサを見つけることができた。


 妖魔の体内で、マーサは気を失っており

 まるで水中にいるかのように浮かんでいる。


「……ご無事でしょうか?」

 心配そうにフィオナがつぶやく。

「大丈夫だ、生きてるよ」

 俺は手の平から出ているマーキングの光を見て答える。

 これは死者には付けられないからな。


「彼女を助け出さないと!」

 ジェラルドが斬りつけると、妖魔はブルルル! と震えた。

 切った場所からジワリと透明な体液が出てくる。

 気持ち悪っ! と思いきや。


 それは出たとたん、キラキラとした光になって消えていく。

 そして切った傷も、あっという間にふさがってしまった。


 フィオナがあぜんとした顔で叫ぶ。

「まさか!? あれは”聖なる力”?!」

「ええ、たぶんそうだわ!

 それも、かなり凝縮されたものよ」

 エリザベートも驚いた声を出し、顔をしかめる。

「それなら闇魔法は効きにくいわ……」


 体の中身は”凝縮された聖なる力”なのか。

 つまり”禁忌の印”が付けられた妖魔は

 聖職者から”聖なる力”を奪うことで”封印”していたのだ。

 それも、奪った力を体内に備蓄して。


「許サナイ、絶対二ィ……許サナァイ!」

 魔人がしわがれた声で叫ぶ

 フィオナを追いかけて、石碑の周りを這いずり始める。


 未だに、ズルズルと体を伸ばし続けている。

 それはまったく、途切れることは無かった。

 どんだけ長くてデカいんだ、この魔人は。


「見てください! 中に人がいます!」

「あ、あそこにも……まだまだいますね!」


 なんと妖魔の体内には、マーサに続いて

 何人かの人影をみることが出来た。

 もしかすると……元村人たちなのか?!


 その最後尾には、神官服の年老いた男がいた。

 彼は中で目を閉じ、両手で印を結んでいる。

 それを見て、フィオナが叫んだ!

「あの人っ! 中でバリアを張っています!

 かなりの力の持ち主ですっ!」


 妖魔の体内にいながらマーサが無事だったのは、

 彼のおかげということか。

 ってことは、まさか彼もまだ生きてるのか?

 そして、元村人たちも?!


 俺は少しでも彼の力になれば、と思い、

 とっさに魔人のブヨブヨした体に手を当て、

 補助魔法で彼の防御力を付加する。

 俺の光はゆるやかに、神官へと到達した。


 その瞬間。

 魔人の体内にいる年老いた神官の目がカッと見開いた。

 そして何かを探すように左右を見たあと、

 俺をみつけて目があった。


 半眼で無表情だった彼は驚愕の表情を浮かべている。

 …そして何か言っている? 何だ?

 神官はゆっくりと、俺の顔に手を伸ばす。

 なぜか、泣きそうな顔で。


「”爆発魔法マジックボム”!」

 エリザベートが頭部の付け根に、火炎魔法を次々と打ち込む。

 再びジェラルドも、マーサのいない部分を何度も斬りつけた。

 とうとうフィオナが追い詰められたため、

 魔人の動きを抑えるために、二人は必死に向かっていく。


 連続して攻撃を受けた魔人は、

 ものすごいうなり声をあげてくねらせた。

 思い切り上へと頭を跳ね上げた後、

 大きく開けた口からバシュッ! と何かを吐き出したのだ。


「マーサだ!」

 地面に横たわる彼女を救うべく、俺たちは駆け寄る。

 俺がマーサを抱きかかえ、

 フィオナとともにその場から走り去る。


 ジェラルドとエリザベートは魔人に向いて構えた。

 しかし魔人は攻撃してくるかと思いきや、

 その体をズルズルと地中へと戻し始めたのだ。


「中にはまだ何人かいるぞ! 逃すな!」

 俺の叫びを聞き、

 フィオナが聖なる力を高くかざして挑発する。

 エリザベートが連続で火炎魔法を発し

 ジェラルドが体の一部を串刺しにしようと剣を打ち込んだ。


 しかし魔人は加速しながら、

 土煙と轟音を発しながら、

 吸い込まれるように地中へと消えていった。


「深追いはやめよう。まずはマーサだ」

 俺たちはマーサを取り囲む。

 フィオナが彼女の様子を見て、笑顔でうなずく。

 ……良かった。俺たちは息をつく。

 とりあえずマーサは助けることができた。


「でもまだ、終わりじゃない」

「助けなきゃいけない人もいますしね」

 俺たちは魔人が逃げて言った穴を見つめて黙り込む。


 この地で何があったんだ?

 そしてあの神官は、誰なんだ?


 ************


「それでは全てお話ししましょう」

 老執事はどこかホッとした様子を見せていた。

 本当はずっと誰かに伝えたかったのかもしれない。


 俺たちは別荘に戻り、居間で執事と対面している。

 マーサはフィオナが治療をすませたあと、

 安全のため、俺たちのすぐ近くにベッドを運び、寝かせている。


 俺たちがマーサを抱えて戻ると、執事は喜んでくれた。

 そして俺たちに言ったのだ。

「……に、お会いしましたね?」

 と。

 そしてこの村の秘密を話してくれることになったのだ。


 執事は静かに話し始めた。

「大昔、この地に”禁忌の印”をつけられた妖魔が住み着きました。

 とてつもなく強大で、邪悪な妖魔でした。

 毎日大暴れし、全てを破壊する勢いでした……」


 しかし、”禁忌の印”をつけられた妖魔は聖職者の天敵だ。

 下手をすれば聖なる力を封じられてしまうのだ。

 誰も退治を請け負ってくれるものはいなかった。


「村は滅亡の危機でした。

 そんな時やっと、妖魔を封じるために、

 この村出身の聖女メアリーが帰郷し

 妖魔討伐を請け負ってくれたのです。

 村人は大喜びし、彼女に深く感謝し、

 彼女を守るため一緒に妖魔の元へ向かいました」


 彼女は戦い、それは熾烈を極めた。

 妖魔と彼女の力は拮抗し、なかなか決着が付かない。


「”禁忌の印”をつけられた妖魔は、

 聖なる力を強く欲しています。

 それが与えられると満足する、と言われていました」


 そのうち見守る村人の間で、迷いや疑いの気持ちが生じた。

 このままでは負けてしまうかもしれない。

 それならば、彼女を妖魔に与えることで

 動きを止められれば、それでもう十分ではないか? と。


 村人は戦闘中の彼女に背後から打撃を加えたのだ。

 ”許してくれ! 村を存続させるためだ!”

 と叫びながら。


 よろめいて、膝をついた彼女は

 信じられない、という顔で振り返ったそうだ。


 妖魔は大暴れしながら、村人の目の前で

 悲鳴をあげるメアリーにかぶりつき、

 地中へと潜っていったそうだ。


 俺はやるせない気持ちでいっぱいになる。

 人の弱さは、時として重大な罪を犯す。


「ひどい話ね。人柱になったようなものだわ」

「妖魔の体内は、人体にあらゆる苦痛をもたらすんですよ?!

 聖なる力を持つ者はなおのことです!

 どれだけ苦しかったことでしょう! 可哀想に!」

 エリザベートが怒り、フィオナが嘆き悲しむ。

 老執事は黙ってうつむいていた。


 やがて悲し気に口を開いた。

「まったくもって残酷な話です。

 ですから、このことは村長と一部の人しか知りませんでした。

 絶対に秘密にするよう約束し、村の人々には、

 聖女メアリーは妖魔と相打ちになったと広めたそうです」


 重すぎる秘密を抱えた人々の人生は、

 どんなものだったろうか。

 そう、俺が思っていると。


「なぜそれを、あなたが知っているのです?」

 ジェラルドの問いに、執事は悲し気に答えた。

「私はその村長の子孫です。

 その罪を償うために、我々一族はこの地にいるのです」


 深い悔恨と贖罪の念は、

 一代だけで終わるものではなかったのだ。


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