第13話 聖女の引退劇

 13.聖女の引退劇


 観劇した夜、俺たちは綿密な計画を立てた。


 そのあと一週間、俺たちは準備を進めつつ過ごした。

 フィオナはおとなしく、ディランに”溺愛”されておいた。


 しかしディラン公爵子息の溺愛は

 日に日に拍車をかけていった。

 どこに着て行けばいいかわからないような高級ドレス、

 珍しいお菓子や果物。

 そして、落札した宝石で作った指輪とネックレス。


「君の瞳の色だから、絶対に手に入れたかったんだ」

 そう言ってディランがベルベット張りの箱から取り出したのは

 大粒のヴァイオレットサファイアが輝いていた。


 それをフィオナに見せながら、彼は言ったそうだ。

「今、ブルーサファイアで指輪を作らせているんだ。

 結婚式には間に合うだろう」

 濃いブルーはディランの瞳の色の石だ。

 すっかり夫気取りのディランは、

 フィオナが自分に惹かれていると思っているようだ。


 美味しいものを食べさせ、観劇や音楽鑑賞などに連れ出し

 自分と結婚したあかつきには、

 とても豊かで幸せに暮らせることをアピールしてくる。


 もちろんフィオナは、それに時おり水を差すことも忘れなかった。

「あら? ”何を着ていても野暮ったい”っておっしゃいましたよね?

 以前の私と今の私、何が違うのでしょうか?」


 ディランは余裕の笑みを見せて笑う。

「あまりに美しいから、地味でいて欲しかったんだ。

 他の男に取られるのが心配だったんだよ。

 今はもう、俺との結婚が決定したから、その必要はないが」


「せっかくの聖女の力を授かった身です。

 これからもずっと、奉仕活動は続けますわ。

 ドレスをいただいても着て行く場がございません」


 贅沢に困惑した風を装いつつ、フィオナが言うと

「もちろん、君は国にとって重要な聖女だ。

 でもこれからは、俺の大切な妻でもあるんだよ。

 時には一緒に、食事や観劇を楽しむくらい良いだろう」


 それはディランの本心なのかも、と思えるほど

 彼はフィオナに対し、誠実に、愛情深く振る舞っていたのだ。


 ************


 実行する日の前日、4人で通話している時、

 俺は念のためにフィオナに確認してみる。

「どうだ? ちょっとは心が動いてきたか?」


「いえ、全然。むしろキツイです。

 なんというか、その……

 ”違う、そうじゃない”感が半端なくて」


 フィオナの苦し気な言葉を聞き、

 エリザベートがいたずらっぽく尋ねる。

「優しくしてほしいのも、一緒にいたいのも

 あなたじゃない、って感じかしら?」


 フィオナは、え? と驚いた声を出した後。

「いや、相手どうこうじゃなくて。

 もはやディラン様の存在は気にしてませんから。

 それよりも、どんなに美味しいものを食べても

 思い浮かぶのは”これに醤油かけたい!”なんです」


 絶句する俺たち三人。食い物のことかよ!

 フィオナはため息交じりにつぶやく。

「最初は珍しさもあって、大喜びだったんですけど

 どんどん回を重ねるに連れて、

 やっぱり醤油と味噌が一番だなって感じるんです」


「……確かにそうですね。僕も食事がただの義務になってます。

 贅沢なことなのですが」

 ジェラルドが沈んだ声で言うと、エリザベートも同意する。

「わかるわ。なんの楽しみも見いだせないというか。

 塩も香辛料もあるし、バターは美味しいのにね」


「バターが美味しいから、こそです!

 ”バター醤油”に出来たらって、ホント毎回思うんです!」

 フィオナが涙声を出す。そんなに切実か? それ。


「わかったわかった。

 この問題が解決したら、次は食生活の改善だな。

 無いなら作ろうぜ、醤油」

 急にフィオナの声に活気が戻る。

「ええっ?! 醤油って作れるんですか!」


 俺は記憶の糸をたどりながら答えた。

「ああ、最初は試行錯誤だろうけどな。

 ……ガキの頃に社会科見学で工場に行くのって、

 異世界に転生した時のためだったんだなあ」


 ジェラルドも明るい声を出す。

「この世界にもまめはありますからね。

 きっと醤油の原料になる品種が見つかるはずです」

「うちの農園からいくつか運んでもらうわ。

 みんなでトライして、うまくいけば流通させられるわ!」


 そこから俺たちは

 ”海沿いのリゾート地に移住し、

 凶悪な魔獣の動きを抑えつつ

 たくさんの動物を飼育し、

 醤油と味噌の製造・販売を行う”

 というプランで盛り上がった。


 だからついつい、次の日の決戦に対する確認が

 いまいち不十分になってしまったのだ。


 ************


「皆さん、落ち着いてください。

 ……この場は私にお任せください」

 白い聖女の衣をまとったフィオナは、

 慌てふためく人々に、威厳と落ち着きのある声で言った。


「ああ! 聖女様っ!」

「良かった! 聖女様がいてくださって!」

「ちょうど聖女様が訪れている時に

 妖魔クルムデルスが現れるとは!

 偶然とはいえ、助かりました!」


 フィオナはフフフと笑い、みなに言う。

「皆様のお心がそれだけ清らかであり、

 神に守られているということでしょう」


 ちがうよ、偶然でもない。”検索”の結果だ。

 なるべく近日に、しかも

 妖魔が高確率で出現する場所を探し出したのだ。


 だからフィオナは一週間前から教会に

 ”国境の視察”を提案し、受け入れられていたのだ。

 念の為、明日、明後日を含めた三日間。


 教会の仕事となればディランも手が出せない。

 思ったよりも彼はスムーズに、

 この三日間デートは出来ないことを受け入れてくれた。


 そうしてきちんと緑板スマホの検索結果通り、

 しかも初日に現れてくれたのは妖魔クルムデルスだった。

 デコボコのどす黒い体をした、ウミウシのような姿。

 口から緑色の粘液をグジュグジュとまき散らせている。


 グロテスクなそいつは結構デカくて、

 全長3m、高さは150cmくらいありそうだった。


「このままではこの畑に、

 呪病をまき散らされてしまいます!」

「この方に何かあったら、公爵に顔向けできません……!」

 そういってどこかの貴族の侍従らしき男が

 可愛らしい少年に覆いかぶさるようにして嘆く。


 聞けば隣国の公爵の孫が、

 数多くの従者を連れての旅行中だったのだ。

 よしよし、これも計画通り。

 国境沿いを選んだ意味があるというものだ。


「皆様、お下がりください」

 フィオナはみんなを退避させ、俺とジェラルドを護衛に連れて

 妖魔クルムデルスの

 俺たちはしゃがみ込む。

 妖魔の体に隠れ、聖女の頭の先しか見えなくなったはずだ。


 フィオナが祈りを捧げ始める。

 俺は彼女の背後に隠れ、緑板スマホの光源を最大限にし

 フィオナの頭の後ろに掲げた。


「おお! 光っているぞ!」

「きっと聖なる光だ!」

 違います、緑板スマホのライト機能です。

 俺たちは深夜のグループ会話を重ねるうちに、

 画面が強く光るボタンを発見していたのだ。


 フィオナは次に、妖魔クルムデルスに向かって高く手をあげた。

 俺は光を、フィオナの左横から妖魔に向かって当てる。


「おお~」

 逆光を浴びた妖魔の体が、

 人々の目にはフィオナの浄化を受けているように見えるはずだ。


 そこですかさず、ジェラルドが右横から妖魔を剣で突き刺す。

 ギュルルルルルルルルル……

 奇妙な叫び声をあげ、体をくねらせる妖魔。

「浄化されているぞ!」

 誰かが叫ぶ。よし、ここまではOK。


「きゃああああああああ?」

 フィオナが突然、悲鳴をあげた。

 ものすごい棒読みじゃねえか。


「大丈夫ですか?!」

「聖女様!? どうされました?!」

「皆様っ! 近づいてはなりませんっ!

 これはただの妖魔ではありませんっ」


 人々が息をのんで驚愕している。

「力を……聖なる力を吸われていきます!

 この妖魔は、”禁忌の印”をつけられた妖魔のようですっ」

「な、なんだってえええ!」

「嘘だろ、まさか! こんなところに!?」

 はい、嘘です。

 禁忌の印をつけられた妖魔。それは聖職者の天敵で、

 聖なる力を封じてしまう力を持った特別な妖魔だ。

 ごくまれに存在するのだが、これは違う。


「あ、あなたたちも下がりなさい!」

 フィオナが、背後にいる俺とジェラルドに叫ぶ。

 お、だんだん演技が乗ってきたようだ。


「フィ、フィオナ! 君を置いてはいけない!」

「聖女様っ!」

 用意しておいた台詞をがんばって叫ぶ。

 俺はライトの強さに強弱を付けながら。

 ジェラルドは必死にクルムデルスをつつきながら。


「ああああああ! 力が! 力がっ!」

 フィオナが叫んだこの言葉は、合図だった。

 俺たちのさらに後方から、

 エリザベートが妖魔に向かって魔弾を打ったのだ。

 彼女が大得意とする闇魔法、それも腐滅する攻撃だ。


 バコン! と一瞬大きく膨れ上がる妖魔。

 そして俺とジェラルドは緑板の光を最大限にし、

 徐々に弱めていく。


 そして砂塵へと崩壊していく妖魔とともに、

 地面に倒れたフィオナの姿を人々に見せた。

 俺は彼女を抱きおこして叫ぶ。

「フィオナーーーっ!」

 ジェラルドも片膝をついて頭を下げる。

「な、なんということだ……」


 あぜんとして動けない人々。

 しかしフィオナが目を開いたことで、安堵の色が広がる。

「……大丈夫です」

 彼女はつぶやき、ゆっくりと体を起こす。

 そして悲し気に、自分の手のひらを見る。


「しかしどうやら、私の力は失われたようです……」

「えええ! なんだって!」

「な、なんということだ!」


 俺たちは立ち上がった。

 フィオナは両手の平を見つめる。

 じわっと、治癒の光を放っていた。

「……もはや、簡単な程度の治癒の力しか持たないようです」

「そんな! あの非凡な聖なる力は失われてしまったのか!」

「な、なんということだ」

 ジェラルド、それしか言ってねえ。台詞忘れたな。


 フィオナは顔をあげ、儚げに微笑んで言った。

「でも、良いのです。皆さんを守れましたから。

 これからは、この力で出来ることを頑張ります。

 たとえ、聖女でなくなっても……」

「せ、聖女様……」

「ありがとうございますっー!」

「なんとお礼を言ってよろしいやら……」


 涙ながらに感激する彼らを見て胸をなでおろした。

 ……良かった! あんなに杜撰ずさんで穴だらけの台本だったのに

 なんとかなるもんだなあ。


 チャララララ~と音楽が流れそうなエンディング。

 俺たちは三文芝居を終え、顔を見合わせて笑う。


 フィオナに力があることを充分に見せつけた後、それを失わせる。

 多くの民を救ったかわりに力を失ったのだ。

 誰が彼女を責めることができるだろう。


 それも国内の人々だけでなく、他国の人も巻き込むことで

 教会のもみ消しや、王家の非難も避けることができるのだ。

 うちの王家は、たかだか平民のために

 聖女の力を失ったなんて聞いたら激怒するだろうからね。


 他国の、それも公爵家を救ったとあれば、

 フィオナを罰したり弾圧することはできないだろう。


「ありがとうございます、聖女様」

 隣国の公爵家の孫が、キラキラした目でお礼を言ってくる。

 頼むよ、おじいちゃんにちゃんと伝えてくれよ。


 俺は妖魔の体の痕跡が

 少しでも残っていないか確認しようと振り向く。

 ジェラルドがすでに済ませていたようで、

 俺を見てうなずいた。……これで完璧。


 その時、信じられない声が響いた。

「……聖女ではなくなったのか。フィオナ」


 向こうからやって来たのはディランだった。

 嘘だろ、ここまでやって来たのか。

 どおりでおとなしく、

 フィオナが任務に出ることを許可したわけだ。


「君はもう……」

「はい。かつての力はほとんど失いました。

 私はもう、この国の聖女ではいられません」


 呆然とフィオナを見ているディラン。

 フィオナは慰めるように、彼に言う。

「大丈夫ですわ。聖女には常に、数多くの候補がいます」


 そうなのだ。教会の各支部が推す、

 第二候補、第三候補の聖女がいるのだ。

 おそらくその人が彼の新しい婚約者になるのだろう。


 全てがうまくいった、そう思った時。


 長い沈黙の後、ディランは笑って言ったのだ。

「フィオナ……これで君は、

 僕の妻としての仕事だけに集中してもらえるね」


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