第5話 良妻の鑑を叩き割れ

 5.良妻の鑑を叩き割れ


 打ち合わせを済ませ、俺たちが下に降りていくと

 イライラした顔で迎えの侍従が立っていた。

 そしていきなりフィオナを怒鳴りつける。

「聖女様っ! こんな時間まで外出など、

 貴婦人にあるまじき振る舞いです!

 シュバイツ公爵家に嫁がれる者として……」

「黙りなさい。まだ嫁いでいませんし、

 彼女は貴婦人である前に聖女よ」


 階段を降りながら睨みつけるエリザベートの言葉に、

 ヒッ! と声をあげて、侍従はふるえあがった。

 後ろに控えた俺とジェラルドも反射的に身を縮める。

 怖っ!


 言っている内容はたいしたことではないのに、

 とんでもなく冷徹でトゲや毒のある雰囲気を漂わせているのだ。


 エリザベートは片手を腰に当て、侍従を見据えて言い放つ。

 真っ赤な瞳に見据えられ、侍従は固まっていた。

「彼女は第三王子と、ローマンエヤール公爵令嬢であるワタクシ

 助力を求められて呼び出されたの。

 それを無視して帰宅せよ、とは、

 シュバイツ公爵家はいつから

 そんな権力をお持ちになったのかしら?」

 絶世の美貌に薄笑みを浮かべ、侍従を睨みつける。


「い、いえ、そうとは存じませんでしたので……

 それでしたら、そうとご連絡をいただければ!」

「まああ! 驚いたわ! 王家と我が公爵家は

 シュバイツに報告の義務を有していたのね!」

 ローマンエヤール公爵家はこの国の筆頭公爵というだけではない。

 多大な軍事力を持ち、その発言は国内外で強い影響力を持っている。

 他の貴族など足元にも及ばないのだ。


 侍従は泣きそうになり、必死に訂正する。

「いえいえいえ、申し訳ございません!

 もしご連絡を頂けていたなら、

 このようにお迎えにあげるようなことはせずに済んだ、

 それだけでございますっ!」


 巨大な蛇に頭部を丸飲みされたように、

 侍従は身動きも取れずにいた。

 エリザベートが”冷酷非情で残酷な魔女”と言われる所以だ。


 誰かの間違いを訂正したり、反論するだけで

 言葉のチョイスが悪いせいか、

 相手を過剰に怖がらせ、怯えさせてしまう。


 なんなら平凡な会話すら、悪い意味で受け取られるのだ。

 以前エリザベートが”……あの花、綺麗ね”とつぶやいたとたん

 聞いていた庭師が大慌てで平伏し、

 ”目障りでしたら処分いたします!” と叫んだくらいだ。


 まあ、今回は攻撃する気満々で話しているようだが。

 エリザベートは急に優し気な口調になって言う。

「では、お引き取りくださいな。

 聖女様は私が責任を持って明日、

 とお送りいたしますわ」


 侍従が慌てて言う。

「しかしながら! 聖女様は今夜、

 イザベル伯爵夫人のところに

 お連れする約束になっております!」

 エリザベートは事も無げに言う。

「あら、ではお伝えください。

 今日はわが公爵家が聖女の力を必要としているため

 彼女との約束はなかったことにさせていただく、と」

「……そんな!」


 エリザベートは、口元にニヤリと笑みを浮かべて言う。

「まあ?! イザベル夫人は聖女に、

 大事な御用でもありますの?

 それでしたら、明日の昼に聖マリオ礼拝堂にいらしてくだされば

 彼女とお話しすることができますわ。

 ……明日の夕刻からはまた、

 私が彼女の力をお借りすることになりますけど」


 つまり、イザベル夫人がフィオナと話したいなら、

 明日の昼に聖マリオ礼拝堂に来るしかないのだ。


 侍従は動揺しつつも一礼し、とりあえず帰っていった。

 エリザベートは俺たちを振り向いて言う。

「……来るかしら」


「来るさ」

 俺は答え、みんなに告げる。

「さ、急いで準備するぞ」


 ************


 昼よりちょっと前から、

 イザベル伯爵夫人はたくさんの取り巻きとともに

 聖マリオ礼拝堂に来ていた。


 ここは国内でも有名な、かなり大きな礼拝堂だ。

 必死にご機嫌を取ろうとしている取り巻きの夫人たちを無視し

 イライラと扇をはためかせながら立っている。


 あごをつん、と上げ、見下した姿勢で言い放つ。

「……遅いじゃない。フィオナ。

 貴婦人たるもの、時間に遅れるなどあり得ませんわ」

 まったくですわ、恥ずかしいことを、などとささやきあい、

 クスクス笑う取り巻きの女たち。

 ……笑ってられるのも今のうちだぞ。


「そもそも待ち合わせをしていませんが?」

 フィオナが反論したので、イザベルは目を丸くする。

 今まで何を言っても、どんな無理を言っても

 フィオナはおとなしく従順だったのに。


「貴女! なんという口の……」

「あら、彼女は事実を言ったまでですわ?

 私、あの場におりましたもの」

 そう言ってエリザベートが笑い、ごきげんよう、と礼をする。

 突然横から現れた彼女に、

 イザベル夫人と取り巻きたちは慌てふためき

 ぎこちなくも礼を返してくる。


 俺とジェラルドはので、

 それを離れたところで見守っていた。


「お会いできて光栄ですわ。

 これから聖女様は新たな任務で忙しくなりますの。

 だって、この国の重要な存在なのですから」

 イザベルはそれ聞き、フィオナを見下した顔になる。

 この小娘が? 重要な存在ですって?

 フン、と鼻で笑って横を向くイザベル。


「何か大切なご用件がありましたら、

 今のうちにどうぞ?」

 エリザベートに促され、一瞬迷ったが、

 イザベルはフィオナを諭すように語り掛ける。


「あなたを公爵家に迎えるための教育は

 まだ終わっていませんわ。

 このままではディランの妻になることは難しいと……」

「では、シュバイツ公爵家から王家に、

 この婚約の解消を願い出ていただけますか?」


 フィオナがすかさず笑顔で返すと、

 イザベルは驚いたあと、眉をひそめて叱責する。

「何を言うの!? あなたはっ!

 ディランの妻になれる名誉を……」


「そんな名誉、私だって欲しくありませんわ。

 それにディラン様がいろいろな方と親密にされているご様子は

 貴族の間でも有名なお話です。

 きっと大喜びで賛成していただけると思いますが」

 エリザベートが援護射撃を欠かさない。


 それに対し、イザベルの取り巻きたちは

 うろたえるばかりで役に立ちはしなかった。

 どの家もローマンエヤール公爵家を敵にしたくないのだ。


 イザベルは必死に冷静さをとりもどし、

 フィオナとエリザベートに言う。

「ディランはあの通り、容姿端麗で優秀な人間です。

 皆に愛されるのは当然のことですわ。

 ……フィオナ? 貴族たるもの、

 夫が愛妾を持つことに寛容にならねばなりません。

 ディランはシュバイツ公爵家を継ぐ者です。

 その血族を絶やさないためにも、むしろ必要なことで

 あなたはそれを喜んで支えるべきでしょう!」


 まわりの取り巻きも、フィオナに向かって

 当然ですわ! 常識でしょう、などと言っている。

 ……バカばっかりだな。


「ディラン様は魅力的で武術にも長け、素晴らしい方ですから。

 あなた一人が相手では、あまりにもお可哀そうですわ」

 とりまきの1人があざけりの笑みを浮かべて言う。

「あの方にはもっとお似合いの方がいるのだから、

 貴女はわきまえて、大人しく公爵家を支えていれば良いの」

 別の夫人が、我儘娘をたしなめるように言う。


 それを聞き調子に乗ったイザベルはさらに言いつのる。

「ほら、ごらんなさい、フィオナ。

 ローマンエヤール公爵令嬢も貴女に

 こんなにも親切にしてくださるでしょう?

 高貴な生まれの者にとって、

 夫や婚約者のに礼を尽くすのは、

 当たり前なことなのですわ」


 エリザベートはそれを聞き、

 口元に手を当て、高笑いをして言った。

「ホホホ、ご冗談はおやめになってくださる?

 あの方と聖女様は清らかで公明正大なご関係ですわ?

 だからこそ、私と聖女様も親密になれたのです」


 イザベルは厭味ったらしく続ける。

「そう信じたいだけではありませんの?

 第三王子が聖女に夢中だと、みんな知っていることですわ。

 ふふふ、愛されない者が、愛される者を思いやるなんて

 本当にご立派だと思いますわ~」


 フィオナがさすがに怒った声を出す。

「私はレオナルド様の研究をお助けしているだけです。

 聖なる力を、より良く利用するために」


 エリザベートはゆっくり歩きながら、首をかしげて言う。

「良いのよ、フィオナ。

 でも私は、夫になる方に誠実さを求めますわ。

 聖女ともなれば、なおさらでしょう。

 不特定多数を相手にする者など、お話になりませんわよね。

 そんな男、スラムにいる男娼と代わりがないのですもの」

 いっつも違う女を侍らせているディランを差した言葉だ。

 ……言うなあ、エリザベート。


 イザベルは顔を赤くし、キッと眉をあげて言い返す。

「家の存続と、あるじの血が絶えないことが何より大事ですわ!

 公爵家の娘ともあろうお方が、

 なんという情けないお考えをお持ちですの?」

 弟の振る舞いを正当化するのに必死なのだろう。


 エリザベートは急に困ったような、悲し気な顔になる。

「あら、そうなのですか?

 ではあなた方は違うと?」

「もちろんですわ! 貴族の妻たるもの、

 その覚悟がなければ務まりません!」

 やりこめたと思ったのか、勝ち誇った顔でイザベルは言う。


 するとエリザベートは横目になり、

 疑わしいといった目つきでつぶやいた。

「口だけではどうとでも言えますわよね……

 神に誓って、夫の愛人を守り慈しむと言えますか?

 ……ほら、言えないでしょう?」


 イザベルはツン、とすまし、誇らしげに言い放つ。

「言えますとも」

 取り巻きも、当然ですわ! の合唱を唱える。

 エリザベートは煽るように続ける。


『では貴方たちは、夫が愛人を持ち子を成そうと

 それを許し、彼女たちを生涯大切にすると誓えますか?』

『『『ええ!』』』


 トラップ成功。


 妙に自分たちの声が、礼拝堂内に反響したことに気が付き

 イザベルたちは周囲を見渡す。

 そしてハッ! という顔になり、叫んだ。

「あなた、まさか!」


 フィオナが笑顔で言う。

「はい! お誓いになるというので、

 ”神に対する誓約”を行いました!

 誓いたい者がいればそれを行うのが

 聖職者の仕事ですから」

 そしてここは礼拝堂。祈りのための場所なのだ。

 フィオナの弱めな力でも、誓約を成就させるのは簡単だった。


 イザベルたちはあっけにとられた顔でフィオナを見ている。

 フィオナは悲し気な顔になり彼女たちに問いかける。

「え? 誓うと言ったのは嘘だったんですか?

 それとも夫の愛人やその子どもを支えると言うのが嘘?」


 そう言われ、イザベルは憎々し気に答える。

「そんなわけないでしょう! 誓えますわよ!

 夫の愛人を許容するのが妻のかがみですわ!」


「だ、そうだ……皆さん」

 俺はそう言いながら出て行く。

 やっと俺たちの出番だ。


「あらまあレオナルド王子! こんなところで何を……」

 イザベルは最後まで言えなかった。

 陸に上がった魚のように、くちをパクパクさせている。


 その場に現れたのは、俺とジェラルドだけではなかった。

 ぞろぞろと奥の部屋から現れたのは、

 イザベルの夫である伯爵や、取り巻きの夫たち。……そして。


「良かったですね。

 愛妾を持つことを公認してもらえるどころか、

 生涯、大切に保護してもらえるそうですよ」

 俺はキラキラを振りまきながら、優しい声で言う。


 伯爵たちが引き連れて来た、彼らの愛妾と、

 彼女たちとの間に設けた子どもたちへ向かって。


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