第3話 サケ

 賢いオニイサマがおやつにって。

 人魚のメア、その腕の中にはどう見たって恐怖からガクガクと震えるサケがいる。


「頭からバリバリムシャムシャ……?」

「卵をチューチュー吸うんだよ」


 メアの答えにサケは目を見開いて「エエーッ!」と絶叫する。嫌です! とメアの腕に包まれたまま抵抗したサケが可哀想に見えてきた。抱き枕のようにサケを抱き締めているのに、その身ではなく大切な卵をおやつ代わりに食べるらしい。



 異世界の穴からサケを連れてきたメアは、先程までそのサケのメスと共に噂話をして女子らしく時間を潰していた。兄がいるらしいメアが空腹を満たすのに、兄にアドバイスを求めた結果がこうだ。

 メアを好物のアイスクリームでおびき寄せ、ぷかりと浮かびかけているサケを手で誘導した。おいで、と言ったら彼女は素直に従ってアオイの足元で揺蕩っている。


「ステキなひと……。今度一緒に海の底を掘りませんか?」

「ええ……? それってなぜ……」

「今はまだお腹に卵を抱えているので……」


 サケですら身を赤く染めて照れた顔をしている。

 これも求愛行動とやらなのだろうか。むしろ、普通に口説かれているだけのような気もする。






 バケツに詰め込まれたアイスを平らげたメアがいつも通り異世界に帰還する。

 異世界に繋がる水槽から正しい職場であるイルカ水槽に戻ろうと館内を歩いていると、散策中の飯田館長は水槽を覆うカーテンに触れていた。

 大きなカーテンは特注らしく、費用もかなり掛かったらしい。施設の維持費はこういうところにも出ている。何が薄くなるかなんて分かりきってはいるが、やはりどうにもならなかった。


「館長、やっぱり入館料は上げましょう」


 飯田さんの隣に立つと、俺はカーテンの隙間から異世界に通じる穴を探した。岩場に隠されているのでこちらからはよく見えない。見えるのは色とりどりの喋る魚たちだ。


「割と協力的なんです。メアもアイスのためなら愛想を振り撒くと言ってくれましたし」


 人魚なんて、それこそ子供たちの憧れだろう。

 異世界の動物を飼いたがる人が多いのも頷ける。アオイだってゲームで飽きるほど見たドラゴンを今でもカッコいいと思っているし、エルフのスレンダー美人を操作すると楽しくて仕方がない。

 アオイが実際見ているのは異世界の海に生息する彼らだけだが、日本では年に数度ドラゴンが空を飛ぶし、エルフの女性が迷子になって保護されることもある。ニュースで見るだけの存在が馴れ馴れしく名前を呼ぶから麻痺していた感覚だ。


「入館料を高くする。その価値があると思わせたらいいんです」


 都内とはいえ区外の水族館。しかも最寄駅からバスで45分。バスは2時間に1度。行くにも帰るにも不便で、空いた駐車場を職員が「今日だけ〜…」と使うことすらある。


「しかも彼らは日本語を話せる。カーテンで隠すだけ隠して。悪いことは何一つしていないのに……」


 確かに人魚のメアは大喰らいだが、彼女なりに努力はしている。ただその犠牲は海の仲間たちだ。


「穴が塞がるまでカーテンはこのままにしようと思ってたんだけどね」


 館長は半分だけ水槽のカーテンを開く。穴を通った魚たちがそれに気付くと、館長の前を泳ぎ始めた。メアが見れば「モテモテだねえ」と笑うだろう。

 今なら分かるが、確かに魚たちの多くは体を赤く染めて多種多様な行動を見せている。求愛行動らしき様子で館長にさまざまなアピールをしていた。


「まずはあれだね。最低3匹……、3人? 人魚のメアくんと、あと2人いたら嬉しいね。そうしたらこのカーテンを外そう。僕も彼らには、少しでも外の世界を見せてやりたかったんだ」


 本来この人は、こういう人なのだ。

 維持費についてスタッフに相談したり、薄毛を気にして甲高い声をあげたりするような人じゃない。


 館長の手首から聞き覚えのない通知音が聞こえてくる。同時にアオイの端末機からも音がした。

 80cm/黒と表示された後、カーテンの奥にある水槽にサケが増えている。

 新たな仲間らしきそいつは腹を膨らませたサケの彼女を見つけると、すぐさま近寄り、何やら話した後、水槽の向こうにいる俺を睨みつけた。


「これは決闘の合図なんじゃないかな」


 館長は笑って「体当たりされないようにね」と館内の散策を続ける。

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