第2話 カクレクマノミ②
「というかさあ。あの子たちの食費ってどうなってるか君は分かってるのかな」
そろそろ本当に入館料を上げないと、と館長が言う。
水族館の入館料が高めに設定されているのは施設の維持費がそこらの娯楽施設とはけた違いだからだ。生き物たちの食費に光熱費、勿論水道代も。水質を保つため、空調を保つため、展示を見せるため。
生き物にも人にもやさしい水族館である為に館長は今日も抜け毛を気にしている。
「飯田さん、その、……彼らも一応は工夫をしているそうなんですが……」
「その工夫が適用されてない子がいるよね。毎週来てショップのアイスを食べ尽くす子!」
キーッ! と歯を食いしばった館長こと飯田さんは最近薄毛を加速させているおっさんの一人だ。
嫌味のような言い方をして自分を責めてくるということは、本当にまずい状況にあるらしい。普段はおっとりとした様子で「わあ、綺麗だねえここの展示……」なんて言う散歩好きのおっさんだからだ。
「僕だって入館料を上げたくないよ。ただでさえ人があんまり来ない水族館なのに、また人が来なくなっちゃうじゃないか。どうする? 店に置くアイスをわざと少なくしてみる? でも子供がアイスを食べたいときに売り切れだったら悲しいよね……」
人魚のメアがアイスクリームの気配を察知しなければ済む話だが、どれだけ隠そうとも何故かアイスクリームの居場所まで当てて催促する食いしん坊になり水槽を騒がせるので、最近は自費でアイスクリームを購入していたりもする。
それでも不足を訴えるメアは水槽越しに来場者へわざとらしく泣き真似をした。異世界と繋がっている水槽をカーテンで隠していても、水槽を挟んだ廊下にまで響く高い異音。
しばらくすると水面にメアの仲間である魚たちが浮かび上がる。アオイの耳だってしばらく使い物にならなくなるので避けようとした結果がこの呼び出しだった。
カクレクマノミらしきそいつの性別はどうやらオスだったらしい。
彼は馴れ馴れしく日課のハイタッチをすると、肩を下げているアオイに「美人がそんな顔すんなよ!」と言う。
「美人? 誰のことを言ってるんだよ」
「あんただよ! 自覚が無いなら自分は美人だって自覚しな」
「いやいや、まさか。人生で一度もモテたことが無い俺だぞ」
カクレクマノミの彼はぽっと尾びれを染めて、「3回も美人だって言わせんじゃねえよ……」と頭を背けた。
そして体を水中で横にした彼はふるふると痙攣する。
「……なにそれ?」
「何って……、それも言わせんじゃねえよ……!」
きっと彼は照れている。やはり尾びれは赤く染まって、体の向きを縦に戻した彼は手のひらから逃げてしまった。数日後には元の海に帰るらしい。寂しくなるな、と思いつつ。
「今日の分のアイスってまだあるんだよね? 次はイチゴ味で、その次はバニラにしようかな」
は? と僅かに抵抗の意思を見せた俺に彼女は水を掛ける。
カクレクマノミの背中に哀愁を感じていた俺の顔を服ごと水で濡らした人魚のメアは反省もせずに手元にあるタブレット端末を操作して、とあるページの新商品を見せつけた。
さすが、こちらの世界に好奇心だけで突っ込んできたやつだ。タブレットを受け取り、発売日と売り場を確認する。コンビニエンスストアで手に入りそうなので仕方なく頷いた。
館長にああ言われたばかりなので今回も自費になるだろう。財布が薄くなると朝食のトーストも薄くなる。飯田さんは毛が薄くなるけど。
「お前の食費でこの水族館が潰れたら飯田さん悲しむだろうなあ……」
「ああイイダ? 噂のイケメンくん」
「イケメン? まさか」
言っておきながらさすがに失礼だと感じたので「今のは失言だ」と訂正する。
しかしメアは「あたしより年上はああいうのがタイプなんだよ」と続けた。そして「でも、あたしは君のこと美人って思ったりしてないからね!」とも言う。
「聞こえてたのか?」
「盗み聞きじゃないよ。包み隠さず彼はアピールしてた」
「何をアピールしてたんだよ」
横向きになって震えていたのがそうなのだろうか。
こういう……、と手で動きを再現する。
「あー、それ? 告白してるんだよ君に」
「告白!?」
君も横になって震えたら良かったのに。メアはけらけら笑って、アイスを運びに来たスタッフの方へと泳いで行く。
バケツいっぱいに入ったそれを彼女は平らげて、また飯田さんの頭頂部を輝かせるのだ。
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