異世界水族館は常に大赤字

コノミ カナエ

第1話 カクレクマノミ①

 異世界の魚はとにかく喋るのだ。

 日本語を学んだらしい手のひらサイズの魚が「あんたがアオイってやつだろ!」と言って、尾びれで俺の人差し指を叩く。異世界の魚類式ハイタッチだ。俺も人差し指でそいつの尾びれにちょんと触れる。

 そいつは上機嫌に尾びれまで赤らめて嬉しそうに手の中で跳ねた。もしかするとメスだったのかもしれない。申し訳ないことをしたな、と指をひっこめた。


 異世界の魚は性別がとにかく分かりづらいのだ。

 こちらの世界にいる魚と似たものもいるし、ほぼ同じ生態のやつらだっている。


 けれど、どう判断しようにもオスメスどころか男女の区別がつかないので性別については諦めることにした。間違った対応をしたらそのとき謝れば良い。

 カクレクマノミにそっくりなそいつは俺の手から逃げるように水槽の中心へと泳ぎ、それで先に滞在していた異世界の魚たちに合流する。



 何故、彼らが俺を「アオイ!」と呼び、馴れ馴れしく接するのか。



 誰が言いふらしているのかは予想がつく。

 この水族館でアイスクリームを食うためだけに先週まで居座っていた例の人魚だ。

 彼女が「アオイの世話になると良いよ」なんて言って、水槽の底にある穴に仲間たちを誘っているから俺は見知らぬ魚たちにひたすら「アオイ」と呼び捨てにされている。


 異世界の魚は、とにかく大喰らいなのだ。

 ふてぶてしい態度で水族館内にあるショップの記念アイスクリームを食い尽くした例の人魚は「暇になったし帰るね」と言い、たった二時間で異世界に帰ってしまった。先々週も同じことを言って、次の週に顔を出しているのでそろそろまた来る頃だろう。




 水槽の底、異世界と通じる穴を通過する際に多くのカロリーを消費するらしい。

 その好奇心で異世界とこちらを往復する人魚の彼女だけが知っている、割とどうでもいい知識だ。

 だから穴に飛び込む前は満腹の状態で腹が膨れている、と彼女は言う。膨れた腹はとっても恥ずかしいので誰にも言わずにこの水族館に通っているのだ、とも。


 大抵の魚は一度の往復で満足して、「こんなもんかぁ」と言いながら異世界へと帰って行くというのに。

 水族館の水槽から出ようにも彼らは魚なので難しい。狭い水槽で日本語を学ばなかった魚たちは尾びれを残念そうに垂らして穴へと戻った。彼らは表情こそ変わらないが、尾びれだけは豊かに色すら変える。


 


 そうして、水槽の中から日本の文化をめいっぱい堪能した魚が旅行気分で帰って行くのをそれとなく見送った。

 日本語を覚える気のない魚だって当然いるので、そんな彼らには日帰り旅行を勧めつつ、通訳に日本語の得意な魚を別の水槽から運んでやったりもする。

 逆に、ここで日本語を学びたいという魚たちもいた。現代日本には水に濡れない風呂用の絵本だってある。大きな平仮名を睨みつけて、元気よく発声する魚を見ると子供を見ている気持ちになった。


 彼らからすれば異世界であるこの水族館は都内なんかではなく区外の辺鄙な場所にあっても気にならないらしい。

 彼らはバスや電車を使わない。娯楽施設よりも、インドア派のように一つの水槽に引きこもって異世界の文化に触れたいと言う。その合間に与えられる餌や娯楽を楽しんで、疲れたら穴を通り、いつもの寝床に帰る。

 

 やっぱり日帰り旅行の気分なのだ。美味いもんを食って、遊んで、疲れたら寝る。旅行気分で異世界にまで来てしまう彼ら専用の穴は特に大きくもないので人は通れない。

 

 ただ、最近は穴の前にカメラを設置して、穴を何かが通れば大きさと色が端末機に表示されるようになった。

 ポコン、と愉快な通知音が腕時計のような端末機から聞こえたので目を向ければ「170cm/白と青」と表示される。


「アオイ! モーモー乳果の新作って今日発売でしょ!?」


 水面に顔を出した彼女が、一番最初に異世界からこの水族館にやってきた魚類だ。

 しかし水に隠れる下半身のみが魚なので、魚類と言っても良いのか分からない。

 

 図鑑にも載っていない姿の唯一が「人魚」であるメアだ。

 彼女は何処かから流れ着いた音の出る絵本で日本語を学んだらしい。


 

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