第19話 第二妃、後悔する
第二皇子アルフォンソ・エイゼル・ゾーン。
彼は噂とは全く違う男だった。
美女に見まごう中性的な美貌に、剣の達人とは思えぬ細身で均整の取れた体つき。社交の場より魔物退治やダンジョン攻略を好み、公の場では鉄壁の無表情。どんな美姫が微笑みかけてもにこりともしない氷の貴公子。
『文武ともに天才だが、王位にも権力にも無関心で、魔物を殺すことにしか興味がない残念な男』
皇后一族に与する貴族たちも、彼らの権勢を苦々しく思う反皇后派たちも、その点に関しては意見を同じくしているように思えた。
にもかかわらず、いくら皇后一派が成り上がり貴族を母に持つ側室腹など皇太子としては品位にかけると陰口を叩こうとも、その人並み外れた優秀さのせいで、次代にふさわしいと密かに彼を押す者が後を絶たなかったけれども。
まあ、第二皇子が必要以上にライバル視されてきたおかげで、幸いにも、幼い第三皇子、アルサンドの存在に彼らが目を向けることはなかったのだが。
結局のところ、皇后の産んだアルバート第一皇子が皇太子となることに公然と異議を唱えられる者はいなかった。が、皇后一派にとっては、アルフォンソ皇子の存在そのものが目の上のたん瘤であったのは、想像に難くない。
その皇子が『運命の人』とやらのために自ら皇王に願い出て皇籍を離脱するとは。あの鉄面皮のどこにそんな情熱があったのか?
その事実をいち早く王より承った大臣や皇族たちは、あまりの意外さに耳を疑ったに違いない。
本当に、外面の印象など当てにならないものだ。
今回の企てのことだって、そうだ。
大聖女に心酔する
サマラ・マリアは大聖女の描いた筋書きには、もともと懐疑的だった。
あの笑わない黒の皇子が、見返りもなく、ほとんど接点がない異母弟をわざわざ助けてくれるだろうか。まさに、皇室との絆を断ち切ろうとしている時に。
どこの国でも、王族や貴族において、多くの場合、兄弟姉妹関係において重視されるのは、情愛よりもお互いにとっての損得勘定。同腹であろうと妾腹であろうと、利用できそうな者は利用し、役に立たない者は切り捨てる。
サマラ・マリアだって、国王に命じられ、二国間の友好の証として、年の離れたローザニアンの皇王に輿入れした。お互いに愛情などありはしなかった。それが王族同士では当たり前だと信じていた。
アルフォンソ皇子はバカではない。罠である可能性も捨てきれなかったはず。それなのにどうして…?
理由は今でもよくわからない。しかし、彼は、身の危険を顧みず、異母弟を、第二妃である自分を、助けるために率先して動いてくれた。
母国から皇国に移り住んで10年と少し。小国の王族出身であることを理由に、ずっと軽んじられてきた。自分たちに対してこれほど真摯に対応してくれた者が、はたしてこの大国にどれくらいいただろうか?
目の前で囚われている男は、見返りも求めずに、愛しい息子を救いにきてくれた『いい人』なのだ。自分のせいで、窮地に陥った恩人を、自らの手で殺めることなど、サマラ・マリアにはできなかった。
* * * * *
「サマラ妃殿下、どうでしょう?殿下、ご自身の手でこの悪魔を水底に沈めては?お互いの未来のため、『教会』と妃殿下との共闘の証として」
「できぬ。私には無理だ」
首を振って後ずさるサマラ・マリアの右腕をレジャイナが掴んだ。
「アルサンド殿下を助けたくないのですか?私は『癒しの聖女』。私の力を使えば、殿下の意識はすぐに戻られますのに」
「卑怯な!」
絶望に染まったサマラ・マリアの顔を、レジャイナが楽しげに見つめた。
白いたおやかな手が頬を撫ぜ、その琥珀色の瞳がサマラ・マリアの視線を捉えた。双眸が見る間に金の彩を深める。
サマラ・マリアの薄紫の瞳から、徐々に怒気が抜け落ちた。
「私のお願いを聞いていただけますね、第二妃殿下」
なぜだろう。どうして、こんなに目の前の女が愛しく思えるのだろう?
ぼんやりとくすんだ脳裏によぎった疑問は、沸き上がった熱い思いに一瞬でかき消された。
「貴方のためなら喜んで、大聖女様」
定まらぬ視線を大聖女に向けて、サマラ・マリアが答えた。
* * * * *
再び、人狼に上半身を引き上げられた。かと思うと、太い鎖が腰に痛いほどにしっかり結びつけられた。
別の人狼に両肩を掴まれ、大きな石板のようなものに背を押し付けられる。
背骨に当たる硬い板ごと胸から腰までジャラジャラと鎖が幾重にもきつく巻かれていく。
背後からは相変わらず流水の音。
手足は萎えたように感覚がない。
腰から下を投げ出したまま、弱った体にかかる大量の鎖の重みが増していくのを感じる。
漸く最後まで巻き終わったのか。人狼の手が離れた。
アルフォンソは、背筋に力をこめて、後ろに倒れそうになるのを何とか堪えた。
「第二妃殿下?」
うつろな目をしたサマラ・マリアが、ゆっくりと近づいてくる。
その白い両の手がアルフォンソの胸に触れた。
「死になさい。偉大なる大聖女のために」
全体重で押し出すようにして思いっきり突き飛ばされて、アルフォンソの背が大きくのけぞった。
星空にかかる大きな満月が見えた。
微かな音がした。風船がしぼむ音に似た音が。
頬に感じる淀んだ大気の流れ。水と森の匂いがした。
身体を覆っていた透明な
サマラ・マリアの伸ばした指が『
* * * * *
触れた指先に走った凍てつくような激痛が、サマラ・マリアを一瞬で正気に戻す。
成すすべなく水面に落ちていくアルフォンソ第二皇子の姿が見えた。
サマラ・マリアは躊躇うことなく、月明かりに浮かぶ水域に飛び込んだ。
サマラ・マリアは島国育ちだ。泳ぎはそれなりに習ったことがあった。
月光の差しこむ水中をゆらゆら揺れながら落ちていくドレスを追って、彼女は水中深く潜った。
冷たい水に逆らって、泳いで、泳いで、泳いで…。
息が切れる寸前に、沈みゆく皇子の身体に手が届いた。その体内に潜り込んだ魔道具の感触を必死に手探りで探す。
見つけた!
皇子の右の肩から左太もも辺りに斜めに走る硬く冷たい線をなぞる。
『青き貴神の名のもとに命じる。解呪せよ』
サマラ・マリアは王家に伝わる呪文を心の中で強く念じた。
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