第17話 大聖女、皇子の対処を決める

「なんですって?皇子の身体に触れることができない?」


『癒しの聖女』レジャイナ・バイアスは、その称号に似合わぬ苛立った声を上げていた。


身動きのできぬ皇子なら、簡単に始末できると思っていたのに。

自分の手を汚すまでもないと、『教会』の忠実なるしもべたちに、魔獣に襲われたようにばらばらに引き裂いて廃棄するように命じたのだが。


「触れる、こと、できない」


人狼が牙の生えた口をもごもごと動かして、ぼそりと繰り返した。


「申し訳ございません、聖女様。意図的な攻撃は全て、人狼による全力の攻撃さえ、跳ね返されてしまうのです。例の術師を使って、火炎系の術も雷系の術も思いつく限り試させたのですが。皇子の身体に達する直前、なぜか術が消え失せてしまう。あの女用の衣服に、物理的にも術的にも攻撃を無効化する仕組みがあるとしか思えません。どのような暴力も魔法も皇子を傷つけることはできないのです」


平伏して謝罪する高位神官は彼女のもっとも忠実な手足。虚偽を報告することはありえない。彼ができないと言うなら、できないということだろう。


人狼の攻撃力は人間の比ではない。彼らは、普通の鎧なら容易く粉砕する。

さらに、あの術師が役に立たないなんて、まさに想定外だ。


今回連れてきた術師は、皇国でも五指に入るほどの上級魔術師。元は最高峰の魔術院『青の塔』の、前途洋々たる、才能あふれた主任教授だったのだから。

彼女がこの任務のため選りすぐって集めた人材の中でもひときわ優秀な崇拝者の一人。その術が効かないとなると…


生半可な魔術は、いやほとんどの攻撃魔法は通じない。直接的な攻撃も使えない。

はてさて、どうしたものか。

レジャイナは、謝罪の言葉を垂れ流し続けている神官を睥睨しながら思案した。


 

レジャイナの秘された特殊能力。それは『魅了』ともいうべきものだった。 

他者の心の奥底に作用して愛情にも似た、いや愛情よりも強固な崇拝の念を抱かせる力だ。

 

『魅了』は闇魔法の一つ『傀儡の術』と違って、その人物の意志を操るものではない。『魅了』の術にかかった者はあくまで自分の意志で術者のために動く。ひとたび『魅了』されれば、その者は、見返りを求めることもなく、ただひたすらレジャイナのために行動してくれる。

たとえ自分の命を犠牲にしてでも。


彼らの行動は、レジャイナ自身が強いたものでも示唆したものでもない。どんな悲惨な結果を招こうと、どんなに犠牲がでようとも、あずかり知らぬこと。

レジャイナが責められるいわれはない。 

もちろん、『癒しの聖女』たる彼女はいつだって心を痛めはしたのだが。



*  *  *  *  *


 

『教会』の敬虔な信者であったバイアス子爵の一人娘として生を受けたレジャイナ。彼女がこの力を意識したのは、まだ貴族院に通いだしたばかりの頃だった。


身分の低い学生を虐げる上級生の理不尽さに憤慨し、その改心を心から祈った時、奇蹟が起きた。


その結果、その高慢な侯爵家の令嬢は、それまでの非道をすっかり悔い改め、彼女の忠実なる友となった。そして卒業後…。私欲に塗れた両親と兄を密かに毒殺し、莫大な侯爵家の全財産を『教会』に寄付した後、自らも毒を呷った。悲しいことに。

 

それからも度々、レジャイナは自分の身に宿った力を試してみた。最初は学友に、両親や親せきに。

『御方』にお会いして神に仕えることが天職だと悟った後は、迷える神父や神官たちにも。


生来の美貌と品位、にじみ出る教養のおかげで、力を使うまでもなく、人々の心をつかむことは難しいことではなかったが。

 

使いこなすうちに『魅了』の力が万全ではないことも分かった。


『魅了』できるのは、心のうちに社会や人々に対して何らかの不満を抱えている者だけだ。不相応な野心や才能・地位への嫉妬心などネガティブな気持ちが大きければ大きいほど術にかかりやすい。反対に曇りない心根の持ち主には全く効果がない。

 

罪人にしか効かぬ力。ゆえに、『魅了』は、悪心を隠し持つ者たちを導くために与えられた神聖なる力だと、彼女はさらに確信を強めた。

 

この力こそが、この地を見守り続けてこられた『御方』とともに、『教会』が目指す、彼女が信じる『善なる世界』を実現させるために授かった聖なる力なのだと。

 

自分こそが『選ばれし聖女』。魔王を退け平和をもたらした『銀の聖女』の現身。その慈悲をあまねく広めるために、彼女はこの地に再度、生を受けた聖人なのだ。


そう信じてきたのに…。

 

『銀の聖女』の真の姿など知りたくはなかった。『教会』の教義を覆す不敬な事実など、認めるわけにはいかなかった。まして、その聖女のせいで、魔王の力が復活するかもしれないなどとは。

 

 ならば・・・

 真実は一つあればいい。『教会』に不都合な事実など消し去ってしまえばいい。

 

「黒の皇子が、銀の聖女の魂が、この世に留まることで、この世界が危機にさらされるなら、その存在を消すことこそが、真なる聖女としての私の使命。なんとしてもやり遂げて見せましょう」


『教会』の頂点に御座おわします『御方』にそう告げた以上、彼女は決行するしかなかった。

どんな手段を使っても。



*  *  *  *  * 



仕方がありませんね、と大聖女は憂い顔で呟いた。


「できるだけ急いで沐浴場を満杯にしなさい。水が十分たまったら、皇子を連れてくるように」


『教会』には、大小関わらず、その庭園内に必ず、沐浴用の清い水を蓄えておくための場所がある。

ここ、ガリガウス領支部にもあるのは、ここを支配した時に確認済みだ。


「苦痛を与えずに始末して差し上げるつもりだったのですが。他に方法がないようです。いくら防御が完璧だとしても、息ができなければ、やがて窒息死するでしょう」


すぐにも始末をつけて、撤退するつもりだったのに、思いのほか時間がかかっている。

この場所が簡単に見つかるとは思えないが、万が一の恐れもある。

 

「事が終わり次第、ここを去ります。人狼しもべたちも待機させておきなさい」

 

それから、ふと思い出したように付け加えた。

 

「第二妃も連れてきなさい。悪魔の最後を見送る光栄に浴してやりましょう」

 

 

 *  *  *  *  *



「サマラ様、こちらに」


侍女頭シーマに手を引かれて、サマラ・マリアはよろよろと部屋を出た。


逃げようにも、愛する息子は、意識を失ったまま、屈強な男に抱きかかえられている。下手なことはできない。

どうしていいかわからずに歩き続けているうちに、裏庭のような場所に出た。


沐浴用の水域に、なぜか滔々と溢れるほどに水がたたえられていた。


あんなに水深があっては、身を清めるには危険すぎる。

ぼんやりと思ったその時、大聖女の姿が現れた。数人の取り巻きとともに。

そして、その中でも異形の男が引きずっているのは・・・


(アルフォンソ皇子! よかった。まだ、生きてる・・・)


次の瞬間、サマラ・マリアは彼らが何をしようとしているのか悟って、青ざめた。


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