第15話 皇子、大聖女と会う

青竜の祠ダンジョン』には何の痕跡も残してはいないはず。

この場所を見つけることは、おそらく不可能だ。事情を知っている第二夫人サマラ・マリアとアルサンド皇子は、我が手の中にある。はっきりした証拠がない以上、『教会』を訴えることも、強制的に調べることもできない。


落ちついたところで、皇后殿下につなぎを取ることにしようか?彼女は、きっと喜んで、今後、『教会』の繁栄の助けになってくれるだろう。いや、それより、このまま、すべてを皇后一派のせいにして、第二夫人と第三皇子を傀儡として立てた方がいいだろうか?


お茶を優雅に楽しみながら、彼女は考えを巡らした。


意識を失って床に横たわっているアルフォンソ皇子を、あまりにも女装がしっくりしているその姿を、興味深くじっくりと観察しながら。


これが、まこと、現世の『銀の聖女』の姿とは。


『教会』が唯一の聖者と崇める『銀の聖女リーシャルーダ』。

伝説によれば、彼女は、その名の通り、まばゆい銀髪に金色の瞳の美しい少女だったという。


同じ属性を持つ者としてわかる。目の前の男が強い光属性の魔力の保持者だと。しかし・・・

この黒髪黒眼の怜悧な美貌は、むしろ、銀の聖女の守護竜ゾーンを思わせるものだ。


ソアラ・マリアからの情報がなければ、『教会』が気づくことはなかったろう。王家の血筋に生まれる黒髪黒眼の人物と『銀の聖女』との関係は。


それにしても美しい男だ。このような装いをしていると、美女にしか見えない。

はだけた服から、まっ平らな鍛えぬいた細身の身体が見えなければ。

 

それが大聖女、あるいは『救いの聖女』と呼ばれるレジャイナの、イスに括り付けられた『贄』への正直な感想だった。



*  *  *  *  *



血の気のない唇が微かに動いたかと思うと、その双眸が確信を持って自分を捉えたのがわかった。

 

石膏像めいた美しいが無表情な顔に凝視され、レジャイナは一瞬言葉を失った。


金髪かつらの隙間からこぼれた艶めく黒髪。鼻筋の通った、堀の深い中性的な顔立ち。まるで夜そのものの漆黒の切れ長の瞳。

剣士としては間違いなく小柄な部類だ。

誰の目にもおかしくないほどの女装ができてしまう剣士なんて、そうそういないのは確かだ。


麗しい赤い唇が、皮肉とも称賛ともつかぬ思いに歪んだ。


見上げたものだとも思う。この状態で、呻き声一つあげないとは。


『水妖の愛執』が絡みついた肉体は骨の髄まで極寒の寒さに囚われるという。屈強な剣士が悲鳴を上げてもおかしくない痛みとともに。


今回、皇子を捕縛するために使用させた『水妖の愛執』は、第二妃の実家エランド王家の秘められた宝。その本来の用途を可能にするのは、エランド王家の血筋のみ。一見、煌めく青い宝石のネックレスにしか見えないそれは、実は、相手の動きと魔力を封じることができる強力な拘束具だ。


この危機に動ぜぬ様子からみて、皇子が多くの修羅場をくぐってきた超一級の戦士という評価は正しいのだろう。

自由に動けさえすれば、この教会の警護兵や神官など勝負にならないに違いない。『教会』から連れてきた特別なしもべたちを使役しても、太刀打ちできないかもしれない。


いろいろ手間はかかったが、あの御方の考えは正しかった。異母弟を使って情に訴えて誘い出し、強力な『魔道具』で拘束させたのは正解だった。常にひっついている邪魔な黒騎士団たち、とりわけ、やっかいな魔法剣士のエクセル卿と引き離せたのも上々だった。


「お初にお目にかかります、アルフォンソ・エイゼル・ゾーン殿下。『大いなる恩赦の書教会』の当代の『癒しの聖女』レジャイナ・バイアスでございます」


当代の大聖女は、なんとか気を取り直し、優雅に礼をして名を名乗った。


皇子の全身をあからさまに眺めて付け加える。

 

「女装がお似合いで驚きましたわ。さすが、前世で聖女であられた方と言うべきでしょうか」

 

あいも変わらず無表情な皇子の肩が一瞬だけピクリとした。


「外見に関して言えば、ベルウエザー嬢こそ、まさしく『銀の聖女』にふさわしいですね。彼女は光魔法どころか魔力を全く持たないようですが…驚きましたわ。あんな華奢な身体でまさかあれほどの怪力とは。さすが、黒竜の生まれ変わり。あの巨大ガニをやすやすと退治するのを、実地で拝見しても、まだ信じられない気持ちですわ」


「ベルウエザー領に入り込んだ『術師』はお前だったのか」


かすれた声で問いかけるアルフォンソに、『教会』の大聖女は頷いた。


「自分の目で確認したかったのです。彼女が本当に『黒竜』の現身なのかを。どれほどの力を持っているのかを。・・・『蘇りの禁呪』は100年をかけて成就したわけですね。『銀の聖女』と『黒の守護竜』は、この地に蘇った。術者と被術者の外見を入れ替えて。そして、その結果、勇者様たちが封じた魔王の呪いまで発動しかかっている。そうですよね、殿下?いえ、『銀の聖女リーシャルーダ』様?」


彼女が率いる、彼女が信じてきた『教会』の偉大な教え。それが虚偽になってはならない。


『知られてはならない真実』は葬り去らなくては。

『銀の聖女』は慈悲に満ちた救い手でなければならない。決して、この世に混沌をもたらす存在になってはならない。

 

(この私こそが真の聖女。私は人々のために『教会』の教義を守る義務がある。闇に落ちた『聖女』は消し去らなくては)


 笑顔の裏で、レジャイナは『教会』の教えを、この世界の未来を、救う決意を新たにしていた。

 


*  *  *  *  *



なんてことをしてしまったのだろう?

自分は、純粋な善意で助けようとしてくれた恩人を敵の手に渡したのだ。自分のしたことは卑劣なだまし討ちだ。許されることではない。


たとえ、息子の命がかかっていたとしても。



真っ白な壁には、『祈りの聖女リーシャルーダ』の絵。『教会』の教えを記した『聖なる書』も棚にいくつか置かれている。


一瞬で転移させられたこの場所は、『教会』の所有する建物の一室のようだ。


室内には、小さなテーブルに水差しとコップ。最低限の必需品は整えられている。

窓はなく、唯一のドアにはカギがかかっている。

三つあるベッドの一つには、こんこんと眠り続ける息子の姿。


そもそも、自分が悪いのだ。サマラは苦く思う。


王宮に秘された伝承の書など盗み見てしまうから。知りえた真実を、よりによって『教会』に伝えてしまったから。


どうかしていたのだ、自分は。

まずは第二皇子を排除してから、第一皇子から皇太子の地位を奪ってやろうと考えるなんて。それなりの報酬を約束すれば、『教会』の力を借りることができると思いあがるなんて。


焦っていたのだと思う。


どんなに皇王に気に入られようと努力しても、皇王の冷淡な態度は、微塵も変わらなかった。

自分サマラ・マリアは政略結婚で娶った妻。あくまで、アルサンドは皇家の血を引く駒の一つ。


皇后が、その一族が王宮を牛耳っている以上、皇后の実子、アルバート第一皇子の地位は揺るがない。それに、第一皇子よりはるかに優秀だとの誉れも高いアルフォンソ第二皇子がいる。秘密裏に祖国の助けがあったとしても、我が息子アルサンドを皇太子にするのは難しい。


それに…。下手な暗躍は危険だった。


賢王アルメニウス一世は、非常に頭が切れる。きわめて計算高い王でもある。

もし、母国イランドに「二心あり」と知られれば・・・

いや、その忠誠心に少しでも疑いを抱けば、ためらうことなく、イランド王家の血を引く我が子を切り捨てるだろう。


そんな折、偶然見つけた『真実』。そして、伝説の勇者の『剣』の在処。

彼女は『教会』に教えただけだった。


およそ100年ほど前、この世界を救った勇者一行に起こった悲劇を。彼らが聖女と崇める女の堕落を。


『銀の聖女』と呼ばれた女は、死した黒竜を呼び戻すため、一行が封じた魔を呼び出し、自らの命と『金の勇者』の命を代償に、禁呪を行った。その結果、およそ100年ごとに、魔王の封印が弱まり、闇の力があふれ出す。『銀の聖女』であった魂が、術の成就じょうじゅを求め、王家の血筋に黒目黒髪の御子としてよみがえる度に。


今生の『銀の聖女』の現身こそが、アルフォンソ第二皇子。


サマラ・マリア自身は、それを告げただけに過ぎない。

決して、第二皇子に刺客を送ったわけではない。皇后が何度も試みてきたように。


第二皇子は、結局、ちょっとした騒ぎの後、無事に皇国に帰還した。

『教会』による暗殺計画自体は失敗したのだろう。

安堵したことに、自分の関与は一切表に出なかった。細部を知ることもできなかったが。


図らずも皇后に疑いが向くことで、皇后一派の権勢を削ぐことができたのは、大きな収穫ではあった。また、第二皇子が自らの意志で王位継承権を完全に破棄したのも僥倖だった。


浅はかにも、彼女は、『教会』が更なる要求を突きつけてくるとは、脅迫してくるとは、思ってもいなかった。我が子を巻き込む可能性など、全く考えていなかったのだ。


「どうすればよかったのか。せめて、アルサンドだけでも助けられたら」


「サマラ様、大丈夫です。大聖女様が、神の祝福を与えてくださいます、次代の王にはアルサンド様がなられると予言してくださったのですから。我がイランド王国の血族がこの皇国の主となるのです」


献身的に尽くしてきてくれた侍女頭シーマ。

取り乱すサマラの傍らで、彼女は柔らかな笑みを浮かべ、先ほどから『教会』の『大聖女』への賛美めいた言葉を繰り返し続けている。


その瞳にはサマラ・マリアの顔が映っている。なのに、その声は響いていない。


いったい、どうしたと言うのだろう? シーマは変わってしまった。サマラの代理として大聖女に会いに行ったあの日から。


サマラ・マリアは眠り続ける息子を抱きしめて、祈ることしかできなかった。



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