第10話 皇子、第二妃の切なる頼みを聞く

現皇王の第二夫人の地位にあるサマラ・マリア第二妃は、侍女らしき女に手を取られ、おぼつかない足取りで現れた。

アルフォンソの姿を見るなり、侍女の手を振りほどいて、その膝に縋りつく。


常に毅然とした彼女の思わぬ行動に、アルフォンソは内心、大いに驚いていた。

まあ、外部の者からすれば、無表情に、平然と、縋る女を見下ろしているように見えたかもしれないが。


「どうか、力を貸してほしい、アルフォンソ殿下」


サマラ・マリア・イランド・ゾーン・ローザニアン第二夫人。


皇家主催の催しで見かけたことはある。

皇后一派に牛耳られた王宮で、彼らにへつらうばかりの貴族たちに遠巻きにされながらも、シャンと顔を上げ、どこか遠くを見つめていた姿を。

 

平均的な背丈に女性らしい魅力に溢れたほっそりとした身体つき。いかにも柔らかそうなベージュの髪。淡い褐色の肌に、長いまつ毛に縁どられた薄紫の瞳にやや厚めの赤い唇が肉感的だ。その異国風の風貌は、皇后の貴族然とした近寄りがたい美とはまた違った、異性の目をくぎ付けにする魅力に溢れていた。


彼女は皇国に負けぬほどの歴史を誇る島国『イランド』の生粋の姫君。『イランド』が属国として取りこまれた際、服従の証として、平たく言えば人身御供として、皇国に嫁いできた第三王女。アルサンド第三皇子の実母であり、独立した離宮の一つを与えられている。


第四子とはいえ、アルサンド皇子は、現皇王の血を引く皇子。にもかかわらず、その出自ゆえ、頼れる後ろ盾に欠け、皇国の主たる貴族たちには軽んじられる傾向にある。当然、サマラ・マリア第二妃の待遇はその身分に見合うものとはほど遠い。


皇后は言うに及ばず、貴族の大半は彼女を『皇王の子を産んだ異国の女』として扱い、公式に認められた第二妃であるのにそれ相応の礼を尽くす者はごくわずかだと聞く。

 

「アルサンドが、第3皇子が行方不明に、いや、かどわかされたのだ」


せいいっぱい急いで、お忍びで来たのだろう。

庶民の間によくみられる薄手のコートを羽織った彼女は、ひどく取り乱しているように見えた。


どんなに冷遇されようとも常に毅然と振舞っていた異国の姫。それが、一人息子の危機に、こうも感情を露にするとは…。

 

頭巾を脱いだその顔は見る影もなく憔悴していた。

長い髪は乱れ、目元にはくっきりとクマが出ている。唇は色を失い、ひび割れ血が滲んでいた。

 

化粧気のない素顔を晒した彼女は、その薄紫の瞳で食い入るようにアルフォンソを見つめていた。


「詳しい話を聞きましょう」


彼女のただならぬ様子が、アルフォンソを冷静にした。

息子を想う姿に、肖像画と父王の思い出話でしか知らない実母を重ね、同情したのかもしれない。


父の妻とはいえ、離宮からほとんど出てこない彼女と個人的に話したことはない。10歳も下の異母弟とは父の誕生日を祝う宴で顔を合わす程度。血縁とはいえ、他人より知らない弟だ。


頼られるような関係ではないし、無理して助けてやる必要はない。


突然の第二妃の出現に当惑した部下からの呼び出しを放置することもできず、急ぎ戻っては来たけれど、用件だけ聞いてさっさと戻るつもりだった。

必要とあれば、父王に直接連絡すればいいだけだ、くらいに考えていた。

 

なにせ、一大イベントを前にして水を差されたアルフォンソの気分は最悪だったのだ。相変わらずの麗しき無表情ではあったけど。



*  *  *  *  *



どこの国であれ、貴族の婚姻には必ずその国のトップ、多くの場合、国王の許可が必要だ。

まして他国から婿を迎えるともなれば、その家門の家長が正式な家紋を刻印した願い書を提出し、国王に容認してもらわなくてはならない。


婿入りするのが元皇子ともなれば、更に大ごとになる。後の憂いがないように、きちんとした手続きを踏んだほうがいい。

 

ベルウエザー子爵家は貴族には珍しく家族仲が良好過ぎるほど良好なのは知っていた。

アルフォンソは自分のせいで、シャルと彼女の愛する家族の絆にヒビを入れたくはなかった。

だからこその婿養子だ。

 

それに、シャルによれば、もう一つ、ベルウエザー家に入る利点がある。

 

ベルウエザー領には『大いなる教会』の支部も関連施設もない。この大陸で『教会』の影響がほとんど及ばない稀有な場所。

森の守り人エルフの血を引くというベルウエザー一族は、古の時代から、ある意味、魔物を保護する立場を貫いている。

それに対して、亜人を救うべき呪われた存在と定義し、すべての魔物は排除すべき悪しきものだと提唱するのが『教会』。

 

ベルウエザーと『教会』は、大っぴらに敵対したことこそないが、もともと相対する関係で、付き合いもない。

たとえ『教会』から難癖をつけられようと、ベルウエザー側は全く困らないし、気にもならない。


ベルウエザーは、爵位は子爵だが、大きな自由裁量権を王家から直接賜った辺境の守り手。その領土は実質的には独立領に近い。魔物の肉やその加工品、魔道具の一大産地でもある。多数の術師を含む騎士団を保有し、『教会』に属さない治癒術師ヒーラーも数人抱えている。

 

『教会』上部の何者かに命を狙われている者が、静かに暮らすにはうってつけの場所だ。

 

アルフォンソは、今生では、おとなしく消え去る気はない。

やっと巡り合えたひとに誓ったのだから。起こるかもしれない災厄のことは気にせず、彼女の愛する地で共に幸せになろうと。たとえ世のすべての人々に罵られようとかまうものか。彼女がそう望むなら。


そのための第一歩として、伴侶として、シャルの家族に認めてもらわなくては。今回こそ、絶対に。

 

父王から皇籍離脱の許可は得た。ベルウエザー当主が認めてくれれば、来月初めの重鎮会議でその旨を発表する手はずとなっている。


だからこそ、先触れをしてすぐ、できるだけひっそりと皇都を離れ、隣国にあるベルウエザー領に向かった。絶対に付いてくると言い張った黒騎士団の団員のうちから、10名ほどを引き連れて。

 

彼なりに覚悟を決めて迎えた朝。


どうにも落ち着くことができずに早く目覚めしまい、しきりに恐縮する料理人から厨房の使用許可をもぎ取り、彼女自らが摘み取ったというベリーを使ったパンケーキを大量に焼いた。


想い人の喜ぶ顔を思い浮かべて気持ちを新たにしていたところに、エクセルが途中の宿で待機させた部下からのメッセージを伝えに来たのだ。


端的に言えば、ほぼ知らない『皇王ちちの妻』が助けを求めて来たから対処してくれという。

機嫌が最悪になっても当然だろう。


今回のベルウエザー領訪問が、自分にとって何よりも大切なことを知っている黒騎士団の者たちが、どうしてわざわざ連絡をよこしたのか、腹ただしく思っていたのだが・・・



*  *  *  *  *



サマラ・マリア第二妃のこの尋常ならざる様子を見た後で、知らぬふりを通すことは、アルフォンソにはとうてい無理だった。


「具体的には何があったのです?」


サマラ・マリアはほっと息を吐いたかと思うと、激しく咳き込んだ。


すぐに水を持ってこさせる。彼女は、侍女の手を借りて、貪るようにごくごくと飲み干した。


「アルサンドが『青龍の祠ブルードラゴンズケイブ』で行方不明になったのだ」


 どうにか息を整えて顔を上げたサマラ・マリアに、アルフォンソは眉を微かにしかめた。


「あそこはF級以下扱いのはずでは?」


『青龍の祠』とは現地点から馬で4時間ほど駆けたところにある小さなダンジョン。


百年ほど前に発見されたそのダンジョンは何十年も前に攻略され調査済みで、現在、魔物やダンジョンについて学ぶための野外訓練の場所に使われている。

魔獣がいたとしても角うさぎホーンラビット双頭魔犬ツインヘッドくらい。迷い込みそうな迷路も脇道もない。


皇国第三皇子が供を連れずに入ったとも考えにくい。


「一週間ほど前、アルサンドは研修に参加した。いつもの貴族院の実地訓練だ。無事に5日前に終わったと報告を受けた。だが・・・」


「ご学友とともに、殿下はダンジョン内の宿泊所で2泊過ごされました。引率者に確認したところ、特に気になることもなかったそうです。殿下は、帰途につかれた途中で忘れ物をしたと言い出され、再びダンジョンへ戻られたのです」


婚姻の際に生国から付いてきたのだろう。サマラと似た容貌のやや年配の侍女が口を挟んだ。

かすかに震える主人の背を宥めるようにさする。

 

「忘れ物?護衛は同行したのだろう?」


「もちろんでございます。護衛たちによると、ほんの少し目を離したすきに、殿下の姿が消え失せたそうです。まことに不甲斐ないことでございます」


「皇王陛下には?」


「報告しようとしたのですが…」


侍女は首を振り、懐に手をやった。


「護衛の一人が見つけました」


差し出されたのは、手紙と思しきもの

第二妃の名が書かれている。差出人の名はない。


背後に控えていたエクセルが受け取ると、『鑑定』の術を施す。


「特定できるほどの魔術痕はないようです。読み上げても?」


サマラが頷いたのを確認すると、中身を取り出す。

 

「『水妖の愛執ウンディーネズ アフェクション』を持って『青龍の祠』に来い。万一、他者に知られれば、皇子の命はない」


最後に記してあった日時は、今日の深夜。


エクセルが思案顔でアルフォンソを見る。


あまりにも陳腐な文句に、却って罠の匂いがプンプンした。


「この『水妖の愛執ウンディーネズ アフェクション』というのは?」


「嫁ぐ際に兄から贈られた家宝だ。この世に二つとない特別な品ではある。されど、アルサンドが助かるのなら・・・」


苦しげに黙り込んだサマラの代わりに、侍女が説明を続けた。


「今はまだ、なんとか殿下の不在をごまかしていますが、知られるのは時間の問題かと存じます。そうなれば、皇王陛下は直ちに追っ手を差し向けられるでしょう。行方が分からぬ以上、むしろ大々的に。殿下をお救いするためではなく、皇家の威信を示すために。あるいは皇家の血筋を利用させぬために。あのお方はそういう方です」


「皇王陛下は治世者としてはまことに立派な御方だ。されど愛情深い方とは言えぬ」

 

サマラ・マリアが目を伏せて唇を噛んだ。

 

 再び顔を上げたときには、その潤んだ瞳に浮かされたような強い光が宿っていた。


「賊に従ったとして、アルサンドが無事に戻ってくる確証はない。現状で頼れるのは、そなたしかおらぬのだ。私はどうなってもかまわぬ。あの子さえ無事ならばよい。どんな報いも受けよう。だから、どうか、我が息子を、そなたの弟を助けてはもらえぬか?」


『誰か、彼を助けて。神でも悪魔でもかまわない。お願いよ、誰か』


遥か昔に死んだ女の叫びが、誰にも届くことがなかった絶望の声が、脳裏に蘇る。


罠かもしれない。けれど、第二妃の母としての願いは本物に思えた。


「エクセル、ベルウエザーに伝言の用意を。頼む」


「人がいいにもほどがあるぞ、アル」


アルフォンソだけに聞こえる声量でエクセルがぼそりと言った。


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