第8話 皇子、領主不在の会食を楽しむ

予想外に早い、予期せぬ形でのアルフォンソ皇子のベルウエザー領への到着。

マリーナたちの帰還とともに、城の中が大騒ぎになったのは言うまでもない。


しきりに恐縮する侍従や侍女たちをよそに、皇子は大慌てで用意された客室に淡々と向かった。軽食も断ると、すぐに身を清め、魔道式保存袋から、仕留めたばかりの、取りたて新鮮な、きわめて貴重な『ウナギ』を取り出す。

 

少しは休んだらいいのに、とボヤキながら、ソファーに勝手に寝転んだエクセルを置いて、皇子はさっさと厨房に案内してもらった。

宣言した通り、その腕前を披露するために。


領主一族が並外れた大食漢であるため、貴族の常識から考えても、厨房はバカでかかった。食材を保存するための魔道式保存庫フリッジも特大だし、調理設備も最新式のものが一式そろっている。

 

手際のいいマリーナのおかげで、すでに、『森』で入手したばかりの『カニ』が届いていた。

もちろん、シャルが死守したバスケットの木の実やキノコ類も。

 

調理人が着る白衣を借りて纏った皇子は、料理人等の注目の下、食材をチェックして満足げに頷いた。

それから、森林ウナギの『湯引き』と『かば焼き』、『冷製テリーヌ』を見事なまでに短時間で作り上げ、専任の料理人たちの度肝を抜いた。さらに、彼は絶滅危惧魔獣種『巨大陸ガニ』の遺体とげたハサミや足の部分を、余すことなく使って見事な料理に仕上げることに成功した。

 

『焼きガニ』はもちろんのこと、カニを丸ごと使った『スパイシースープ』、カニ味噌を使った『芽野菜とカニの甲羅焼き』や『ゆでガニと季節野菜のサラダ』などの数多の御馳走として。

 

大量の料理は、「もう二度と食べられないかもしれない保護魔獣だから」と宣った領主夫人のおかげで、その場にいたすべての召使たち、侍女や侍従たちにも振舞われることになった。


彼らはあまりの美味しさに感動し、その日その場に居合わせた己の幸運に感謝した。

 

そして…

全員、目を疑う量を平らげるベルウエザー嬢の様子に、嬉しそうにほほ笑む『黒の皇子』の姿に大いに驚いたのだった。

 

彼らは食堂の隅に特別に設置されたテーブルでご相伴に預かりながら、そっと視線を交わしあった。

 

(当人が美形すきて女性には興味がないんじゃないかと噂されていたんだよなあ、この人)


(文武両道の天才だとは聞いていたが、料理の腕がこれほどとは…)


(お嬢様の人外の怪力を実地で見た後で、あんな愛しげな笑顔を向けるなんて。すごく包容力のある?できた方だわ。趣味が変わってるだけかもしれないけど)

 

いつの間にやら戻って来たサミーの愛猫ブランシュ。彼女までも、片隅に置かれた自分用の皿からミルクを舐めつつ横目でシャルと皇子を交互に見つめている。怪訝そうに。


容貌も血筋も完璧。

お嬢様の暴挙に臆さぬ度量の持ち主で旦那様に匹敵するほどの剣士。

まさしく、ベルウエザーにとって理想の婿候補なのでは?

 

一同は、密かに頷きあったのだった。


 

*  *  *  *  *



マリーナは一流の術師であるだけでなく、領主の留守を預かる女主人ホステスとしても一流だ。

夫の不在を言い訳にして、本題にはあえて触れずに、最近の政情や国内のあたりさわりのない話題を振って、なんとか話を繋いでみせた。

 

不機嫌に姉の婚約者(予定)を睨みつけるサミー。料理に夢中になり過ぎて、会話を途切れさせるシャル。シャルに甲斐甲斐しく料理を勧めつつ、その食べっぷりに見惚れ、ともすれば会話を忘れる皇子。

そんな3人を相手によくやった、見事な采配だったと、自分で自分を褒めたいくらいに、夕食会にふさわしい会話らしき流れを作ってみせた。

 

要所要所でエクセルの的確な補佐がなければ、会話そのものがほとんどない晩餐になったかもしれないが。


一応和やかに食事も終わり、あっという間に就寝時刻になる。

 

「今日はありがとうございました」

 

用意された部屋に、皇子を案内しながらシャルが言った。


「いろいろと、また、助けていただいて」


皇子が立ち止まると、躊躇いがちに、そっとシャルの手を取った。


「礼など必要ない。シャル嬢、あなたこそが、私の生きる意味なのだから」


生きる意味だなんて。

そこまで本気で言われると、嬉しいけれど、ちょっと重すぎかも。

 

大昔に消えた少女の面影が、シャルの胸を掠めた。


(今や前途洋々の若者なんだから、人生にもっと多くの意味を見出ださなくちゃ。自分自身の人生を楽しまなくちゃならないのに。生真面目で一途すぎるところは、あんまり変わっていないのね)


シャルは心の中で苦く呟いた。


「明日中には、父も帰宅すると思います。たぶん、祖父もいっしょに。準備が整い次第、お呼びすることになるかと」


「わかった。覚悟しておく。どんなに反対されても、結婚の許可はいただくつもりだ。そのための条件も満たした」


「おそらく母は味方してくれるはずですので、父たちも強硬に出ることはできないかとは思います。でも・・・本当に私でいいんですね?令嬢としては普通じゃないのは十分自覚してます。私は、殿下の結婚相手としては、客観的にみて問題大ありですよ?」


「問題ない。私はあなただけを探し求めてきた。はるか昔から。それとも、あなたは・・・嫌なのか?こんな私では?私はあまりに変わってしまった。昔のように想ってもらうのは不可能だとは思う。やはり、今の私を伴侶として受け入れてもらうのは難しいだろうか?正直に答えてほしい。世界のためを思うなら、私は消えるべき罪人だ」


 黒い瞳が頼りなく揺らぐ。

 触れた手が微かに震えるのを感じて、シャルは安心させるように、そっとその手を握り返した。力加減には十分注意して。


「私はあなたを誰よりも大切に思っています。今も・・・昔も。どんなことをしてでも、一緒に幸せになるって決めたでしょ?何とかなりますよ、世界の方は、きっと」


今も昔も、世界は偶然と不条理に満ちている。必ずしも、必然のみで成り立っているわけではない。


シャルは思うのだ。

『彼女』のしたことが、『彼女であった者』の存在が、必ずしも世界の危機を招くとは限らないと。


どちらにしても・・・

すでに心は決まっていた。


(絶対に今度こそ幸せにしてみせる!世界の存亡など知ったことか、よ)

 

「明日、真実を話されるおつもりですか、アルフォンソ様?」


皇子は一瞬驚いたようにシャルを見つめてから、静かに言った。


「シャル嬢が許してくれるなら。個人的には、そうするのが筋だと思っている」


「話してくださっても全然かまいませんわ、私。我が一族はそんなこと、気にしませんから。たとえ私が何であれ、私たち家族の関係は変わりません。少なくとも母は大変乗り気ですし。それより、一つ気になっていることがあるのですけど」


「気になっていること?」


怪訝そうに問い返した皇子に、シャルは真面目な顔で言った。


「いい加減に敬称なしで呼んでくださいません?」


「敬称なしとは?」


「ベルウエザー嬢とかシャル嬢じゃなくて、ただ、シャルと」


 アルフォンソの剣士にしては日に焼けていない頬が、ほんのりと赤くなった。


「頑張ってベルウエザー卿に必ず許してもらうから・・・どうか、ずっと…一緒にいてほしい…シャル」


ちょっと口ごもるところが、なんか可愛い。


「私も愛してますわ、アルフォンソ様」


シャルは、今生でリーシャルーダ・ベルウエザーと呼ばれる令嬢は、にっこりとほほ笑んだ。

 

*  *  *


気に食わない。本当に、徹底的に、完全に、気に食わない。

 

いくら美形で大国の皇子でめちゃくちゃ強いとしても、あんな秘密だらけの、無表情男は信用も、信頼もできない。

実際、あいつが絡んできてから、厄介ごとばっかりだ。


今回の誘拐騒ぎだって、あの男関連で姉上がとばっちりを食ったに決まってる。

『絶対に誘拐未遂の件は話さないで』と、姉上に頼まれたから黙ってるけど。

大好きな姉上には、もっと信頼できる男と結婚してここで一生穏やかに過ごしてほしい。


「少し、よろしいですか、サミュエル様?」


サミュエル・ベルウエザーは驚いて振り向いた。


気配は全く感じなかったのに。


そこに立っているのは、先ほど食堂で別れたばかりの金髪に青い瞳の美丈夫。


第二皇子の母方の従兄だと聞いたことはあるが、こうして間近で見ると、顔立ちそのものは似ている。

まとう雰囲気は全く違うけど。


アルフォンソ皇子が近寄りがたいほどの麗人だとすれば、この副団長は笑顔の似合う好男子だ。騎士らしく引き締まった体は皇子以上に長身で、若干筋肉質でもある。


おそらくだが、やや軽薄そうな見かけとは違って、かなりの切れ者なんだろう。

おまけに、主君の足りない分を補ってあまりあるほどの社交性の持ち主。


愛想いい笑みの裏でどんなことを考えているのやら。


サミュエルは基本的に自分と似たタイプの人間は信用しないことにしていた。


「今日のことで、少しお伺いしたいことがあるのですが」

 

「あの騒動のことですか?そのことなら、すべて、姉が殿下にお話したと思いますが、エクセル卿?」


サミュエルは、母マリーナによく似た顔に、いかにも無邪気な笑みを浮かべてみせた。





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