第6話 マリーナ、現場に到着する

マリーナが、その場に着いたときには、全てがあらかた終わっていた。

 

上空からもわかるほどの濃密な血臭。それに混じって立ち昇ってくる何とも生臭い魔物の臭気。

 

浮遊術で漂いながら、現場を見下ろして、ホッと胸を撫でおろす。

巨大竜巻が通り過ぎた直後かのような様相を帯びてはいたが、幸いなことに森の存続にかかわるほどのダメージは見受けられない。

 

よかった。危惧していたよりは、はるかにましだ。

国に指定された魔物保護区の大半は、ほぼ無事な状態で残っている。壊滅的なのは、中央付近の500メートル四方の場所に過ぎない。


出来立てのほやほやの更地(予定)には、ばらばらになった木々や剥きだしになった根っこ。その合間に転がった魔物たち。魔物の多くはまだ生きている。自力で立ち上がることはできないようだが、残った手足をごそごそと動かしているのが見える。

彼らの生命力なら魔獣医を至急呼び寄せれば、じきに完治するだろう。


足やハサミなら、2か月もあれば再生するし。


見える範囲で判断すれば、胴体に一撃を食らったのは3匹のみ。おそらく即死だ。

貴重な保護魔物だが、これは今更どうしようもない。


『カニ』の群れの暴走をこの程度の被害で止めたのだから、良し、としてやろうじゃないか、と思う。

シャルのを考えれば。


ふだんなら、森のあちらこちらに潜んでいるはずの獣や魔獣の類は一切見当たらない。いち早く危機を察して、奥地にでも逃げ込んだのだろう。


物理的攻撃にも、魔法攻撃にも耐えうる頑強さで知る人ぞ知る『巨大陸飛びガニギガントフライングキャンサー』。

その凄まじく頑丈な甲羅を容易く破壊する武器は、存在しない。通常は。

 

(たぶん、凶器は足元に転がっている木の幹かしらね?)


誰が信じるだろう?

3匹に致命傷を与え、その他多くを戦闘不能にしたのが、一見華奢な(ように見える)乙女だったなんて。


特別誂えの制御具うでわを身につけていてさえ、なおこのバカ力。

おまけに、シャルは魔法に対する強力な耐性持ちでもある。


つまり、一部の無属性魔法を除けば、いかなる魔法も彼女には通じない。魔術防壁シールドを使えるわけではない。そもそも、魔力を彼女は全く持っていないのだから。

 

娘の異常な魔術耐性の原理は、超一級の術師かつ魔術研究家でもあるマリーナにもよくわからない。

ただ、魔術が彼女に到達する直前で霧散してしまうのだ。まるで魔力そのものに避けられているかのように。これはもう、体質としか言いようがない。

  

攻撃魔法が一切効かない上に物理的攻撃力はとんでもない高さ。

下手をすれば最強生物兵器として国家間の争いに利用されかねない。


やはり、この子を外に出すのは危険すぎる。

母としては、『実力』を発揮するのは領内のみにして、愛しい娘には、令嬢らしく平和に生きてほしいと願ってしまう。できる範囲でかまわないので。

 

おや、あれは、まさか?

予定より早すぎるけど?


手足(?)やハサミがもげた重傷(?)の魔物たちを一か所に集めていたシャルが、空に現れた母に気づいて手を振った。


「母上!サミーは?無事ですかあ?」


「安心しなさい。無傷よ。念のため、部屋で休ませてるわ」


マリーナは徐々に高度を下げながら、周囲に視線を巡らせ…ほんの僅か顔をしかめた。


よかったと呟いてから、母の表情の変化に気が付いたのか。


「ごめんなさい。努力はしたの。でも『カニ』たち相手に手加減は難しくて」


シャルがしゅんと肩を落とした。


「怪我がなかったのなら、いいわ」とマリーナ。


ほぼ真っ二つになって、亀裂から青い体液を噴き出している死骸が集められている場所の近くに、ふわりと降り立つ


「3匹くらいなら、許容範囲だから」



それよりも、問題なのは…


マリーナは、死骸に手をかざし、冷凍保存の術をざっとかけた。


頬にまとわりついた栗色の髪を払い、乱れた衣服をさっと整える。

姿勢を正して、見事に優雅なカーテシーを披露する。近づいてくる貴人に向かって。


「娘を助けていただき、ありがとうございました、アルフォンソ殿下」


「いや、大したことはしていない。私が来た時には、あの魔物の暴走は、シャル嬢の活躍で治まりかけていた」


軽く首を振る様は、相変わらず、文句のつけようのない貴公子ぶり。

白い首筋にかかる艶やかな黒髪。鼻筋が通った、石膏像のように整った顔立ち。美しいが無機質な光を宿す漆黒の瞳。

絶世の美女もかくや、と思うほどの美貌は健在だ。


飾り気のない黒い団服が、かえって彼のすらりとした無駄のない肢体を際立たせている。その両腕に嵌められた、やや場違いの感がある銀の腕輪。それには見覚えがある。


清浄の術で清めたのだろうか。

黒衣に血痕は目立たないのはわかる。でも、真っ白な手袋にシミ一つ見られないなんて。

幾匹かの魔物に残された太刀筋から見て、彼が事態の鎮静化に一役買ったのは間違いないのに。

もしかしたら、彼ほどの剣技の持ち主は、返り血とは無縁なのかもしれない。


アルフォンソ・エイゼル・ゾーン。

『笑わない黒の皇子』と名高い、天才肌の美形の剣士。


いや、笑わないわけではない。


マリーナは心の中で訂正した。

時と場合によっては、笑顔になることもある。。


現に、今、彼はとろけるような笑みを浮かべて、彼女マリーナの一人娘を見つめているのだから。


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