第5話 マリーナの思惑および気苦労
マリーナ・ベルウエザー子爵夫人は忙しかった。それはもう、ここ数日、ものすごく忙しかった。
有能な術師にして策略家であり、人並み以上の人材管理能力と事務処理能力を併せ持つ彼女にして、そう言わしめるほどに。
なにせ、隣国の超大国『ローザニアン帝国』の第二王子が、ちっぽけな新興国ブーマの片田舎、ベルウエザー領へやって来るというのだから。
今まで異性とは完全に、これっぽちも縁がなかった子爵家の一人娘シャルとの婚姻の許可を得るために。
受ける側としては、精いっぱい、いや多少無理をしてでも、意地でも相応にふさわしいもてなしをしなくては。
『帝国の笑わない黒の皇子』アルフォンソ・エイゼル・ゾーン・ローザニアン。
齢15にしてソードマスターの称号を冠され、16歳から帝国の第二騎士団の団長に任ぜられた天才騎士。おまけに学問にも秀でており、すでに帝国の最高学府の最高学位も保持しているとか。
文武両道に長けているだけでなく、とんでもなく見目麗しくもある。まさに天から二物どころかいくつもの恩恵を与えられた人物。世のご令嬢たちの憧れの的かつ多くの男性の羨望と嫉妬の的。
辺境領主の娘の結婚相手としては、多少、性格や出自に問題があろうが、とんでもない変人だろうが、マイナス要素を差し引いても十分におつりがくる。
それに…
娘の特異な『個性』にひるまずに、彼女自身を受け入れることができる適齢期の男性なんて他にいるだろうか?
驚くべきことに、そんな有望株が、王族の地位を捨てて、このベルウエザーに婿入りすると宣言したのだ。
絶対にこの婚約を今度こそ、正式に成立させなくてはならない。
何と言っても、
たとえ、何らかの手違いで、たとえば痴話げんかとかで、偶発的に大けがをしたとしても大丈夫。自ら魔法で癒してくれるだろうから、問題ない。たぶん。
皇子本人だけでなく、付随する大きな利点がもう一つある。
皇子を婿養子にすれば、皇国第二騎士団、通称『黒騎士団』または『黒の皇子親衛隊』の大半がもれなくついてくる。
大型魔物が跋扈する太古の森林地帯を含むベルウエザー領では、優秀な『使いものになる』騎士は常時絶賛募集中で、万年人材不足。
(まあ、一番は、
マリーナは思うのだ。
多少訳ありであっても、シャルは彼女の自慢の、可愛い娘だ。幸せになってほしい。いや、幸せにしてやりたい。シャルが皇子を慕っている以上、何としてもその想いをかなえてやりたい。
シャルによると、二人の初めての出会いは、3か月前。
初めて超大型魔物に立ち向かう羽目に陥った時のこと。
辛くも勝利したものの怪我をしたシャルを助けてくれたのが、ここブーマ王国の貴賓館からこっそり抜け出した皇子だった。
* * * * *
ここ数年の間に広まった「笑わない黒の皇子は運命の相手を探している」という噂。
小国の僻地ベルウエザー領の民でさえ耳にしたことがある、わりと有名な話だ。
真偽のほどはわからない。皇子がはっきりと口にしたわけでもない。
だが、『魔物退治及びダンジョン踏破実績』と、非人間的な『氷の美貌』で知られる皇国第二皇子が、ここ数年、立ち寄った国々で歓迎の宴を開かせているのは事実だ。
必ずある条件を満たす若者を招くことを要請して。
つまり、16年前の青の月の最後の日の生まれた者、男女問わずすべてを。
今年、皇子は御年20歳。王族としては許婚の一人はいるべき年齢。
誰の目にも有望さに満ちた皇子は、幼少のころから、『才能豊富なのに社交性に欠ける』無愛想さで有名だった。
剣術や学問、魔物退治以外には淡白そのもので、どんな美姫や才女にも興味を示したことはない。いや、なかったらしい。
高位貴族の中には、正妃を母に持つ第一皇子ではなく、妾腹のこの第二皇子を皇太子に押す一派が存在し、早くから縁を結ぼうとする貴族が絶えなかったのだが。
この人嫌いな皇子が、国外に出たとたん『出会いの場』を設けさせ、条件に該当するすべての者ととりあえずの接触を試みているのだから、誰もが怪訝に思うのも当然だ。
ご令嬢とは順番にダンスをし、御令息とは世間話的な会話を試みる。無表情に面白くもなさそうに。
誰が言い出したか、広まった噂が『運命の相手探し』だった。
* * * * *
シャルは青の月最後の日生まれで今年16歳になる。
王命に従い、皇子歓迎の宴に参加するため上京したベルウエザー子爵一家。
まさに王都へ到着したその日に、ここ何十年もなかったほどの規模の魔物の群れが現れたのだった。
魔物の襲来に最初に気づいたのが彼らベルウエザーだったのは幸運だった。
ベルウエザー領主夫妻およびその騎士団は、いわば魔物退治のエキスパート。誇張でなく、王都に滞在するすべての騎士を合わせた以上の戦力となる。
早速出陣した夫妻が魔物と対峙している間に、子供たちを残した馬車が別の奴に襲われたのは予想外だったが
シャルが勇気を持って立ち向かわなければ、あるいは皇子がその場に現れなければ・・・
マリーナは今でも、そう思うと、ぞっとする。
宴に先立って起こった凶事は、幸いにして大惨事にはならず、二人を出合わせることになったと言う意味でも、幸運だったと言えるかもしれない。
皇子は、一目でシャルこそが探し求めていた『相手』だと悟ったらしい。
1週間後に開かれた歓迎舞踏会で自らエスコートを買って出て、馬車内では積極的に親交を深め、そして、怪我をした皇子を見舞いにきたシャルに電撃的にプロポーズ。
最初は当惑する一方だったシャルの気持ちを、真摯な押しの一手で変えたのだ。
シャル本人に、王家に嫁ぐのは嫌だが、皇子本人は受け入れてもいいと言わせるほどに。
無感動無関心の人間離れした麗人と評されてきた彼にしては、驚くべき行動力と熱情、いや執着。
非常にロマンチックな話にも思える。
詳細に触れなければ。
* * * * *
それからも、まあ、いろいろあって最初の許婚申し込みは途中で潰えたものの、七難八苦をなんとか乗り越え、二人は今や相思相愛。今回、ようやく、正式に家門への結婚の申し込みに来ることになった次第。
皇子が父王に『許可』をもらうために皇都で過ごした間も、二人が魔道具を使って交際を続け、愛を育んできたのは、マリーナも知っている。
まあ、彼らなりに。
なにやら秘密の匂いを感じはする。
シャルに尋ねても、真正直な彼女にしては珍しく言葉を濁すばかり。なので、深くは追及してはいないが。
おそらく皇子が、今回、正式な申し込みにあたって、話してくれるのを待っているのだろう。
皇子は規格外の娘にピッタリの規格外の伴侶。
ただシャル本人も、身内も、認めているように、シャルは貴族令嬢としては異例であるゆえに、他国に、それも王族に嫁ぐには不適切だ。
アルフォンソ皇子が心の底からシャルを愛していようとも、大国の第二皇子に嫁ぐことは、親として絶対に賛成できない。
シャルの幸せと自分たちの心の平穏のために。
皇子が約束通り、王籍を脱し、この地の婿領主になるのなら、話は別だ。
こちらとしても願ったり叶ったり。マリーナとしては、もろ手を挙げて賛成しよう。
二人の間にどんな秘密があったとしても、受け入れる心づもりはある。
今だに、大いにごねている親バカ夫にもシスコンの息子にも、二人の仲を認めさせてやっても良い。
それにしても。有能すぎるのも困りものだ。
ふつうはローザニアン帝国の皇都からブーマ国の端に位置するベルウエザーまでは、どんなに急いでも10日はかかる。それをわずか5日で辿り着くとは。
皇子一行を甘く見ていた。
いくら早くても1週間はかかると踏んでいたのだが。
できるだけ急ぐとの話ではあった。が、まさかの予想外の速さだった。
到着予定日は明日。
二日ほど前に送られてきた飛文~連絡用鳥型魔道具~によれば。
本当に、非常識にもほどがある。
少しは準備する方の身になってほしい。ただでさえ、準備が間に合うかどうかの瀬戸際だったのに。
そんなわけで、マリーナは貴賓を迎える準備、騎士団の宿泊所作りの最終チェックなどなどで大忙しだった。
おまけに、領主は昨日から留守にしている。
こんな時に、手伝いもせずに狩りに出かけるとは、見下げた男だ。いくら娘の相手が気に食わないにしても。
手早く侍従や召使いたちに命令を下しながら、彼女の父『前ベルウエザー卿』の住む森へ狩りを名目にとんずらした夫『現ベルウエザー卿』に、マリーナは静かな怒りを燃やしていた。
全ての準備をマリーナに丸投げして勝手に狩りに逃げるとは。帰ってきたら、絶対にそれ相応の償いをしてもらわなくては。
「奥様、大変です!」
扉がバタンと開いたと思うと、侍女のアリサが血相を変えて飛び込んで来た。
続いて、息も絶え絶えで護衛騎士に抱きかかえられるようにして一人息子サミュエルが。
「サミー!どうしたの?シャルは?」
「森に・・・侵入者が・・・ならず者が」
「侵入者?」
マリーナは魔力を飛ばして、自らの結界を素早くチェックした。
結界には異常はない。しかし・・・
「現れたんだ。知らない男たちが・・・姉上を誘拐しようと」
「は?シャルを?」
「おまけに、奴ら、孵化間際の『
「なんですって!『カニ』の!あの卵は‥‥」
突然、馴染みのない魔力の波動が感じられた。
どうやら、誰かが魔障壁の一部を破壊したようだ。
サミーに大まかな場所を確認すると、手早く最低限の身支度をする。
「アリサ、後は任せたわ」
控えていた侍女に一声告げると、マリーナは術を発動し、森に一瞬で
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