第4話 シャル、皇子と再会する

ベルウエザーの固有種であり、絶滅危惧種で第一級の保護魔獣、『巨大飛び陸ガニギガントフライングキャンサー』。


虹色に輝く翼、4対の足と巨大なハサミを持つ、全長2メートルにもなるカニ型魔物は、見かけによらず草食性。ここにのみ生える魔樹の樹液や花蜜を主食とし、集団で生活する、種族だ。他の生物を襲うことはめったにない。

卵が孵化する時期をのぞけば。


彼らは群れで大きな土塚を築き、そこに卵を埋めて放置する。安全な土中で、親に踏みつぶされることなく、卵は太陽の光で温められる。外骨格が十分な硬度に達すると、子ガニたちは、孵化して地上に出る。そしてすぐに特殊な電波を発して親を呼ぶ。親ガニ達はどこにいようとすぐ飛んできて、子ガニを保護し、群れ全体で大切に育てあげる。


わざわざ彼らの卵に害をなそうとする生き物は、この森にはいない。

確かに彼らは狂暴ではない。が、怒らせると、もっともヤバい魔物のひとつであることは、ここに住む生き物全てが知っている。


頑丈な外骨格という鎧で全身を覆った彼らには、生半可な攻撃は効かない。剣戟にしろ、攻撃魔法の類にしろ。彼らの巨体や巨大なハサミによる攻撃は、文字通り一撃で鉄鉱石さえも打ち砕く。


彼らはとても愛情深い生き物で、子ガニに手出ししようとするものに、一切容赦はしない。

 

おまけに、この種は羽化する際に手っ取り早くかたい卵の殻を爆破するというおまけまでついている。あまりの爆発力のため、親でさえ、孵化直前の卵の傍には立ち寄らないらしい。


卵の中の幼生のみがどのようにしてそれほどの火力を持ちえるのかは、魔物学者たちの間でもいまだに討議されている課題だ。


巨大飛び陸ガニギガントフライングキャンサー』の卵が七色を帯びるのは、孵化間近である印。

七色に光る卵を盗もうとする命知らずな愚か者は、無知なよそ者だけだ。

  

猛獣のうなりにも似た独特の羽音を響かせながら現れたのは、10匹ほどの成体で構成された群れだった。


頭部から長く突き出た3対の複眼が蠢き、散らばった卵の欠片を、地面に放り出されて悲鳴を上げている生まれたばかりの子ガニの姿を捉えた。

 

羽化することなく、生命の火が消え失せた数個の卵も。

十分に生育する前に強い衝撃を受けたため、中の幼生は死んでしまったのだろう。


上空に留まっていた親ガニ達の複眼が一斉に逃げ惑う男たちに向けられた。

あたりに羽音に加え、頭が痛くなるような低いドラム音が満ちていく。

大切な卵を奪われ、いくつかの命を失ったことを知った彼らの怒りの声だ。


彼らは魔物には珍しく家族間の強い愛情の絆で知られている。が、残念ながら、あまり頭はよろしくない。


怒りのあまり我を忘れた彼らの単純な思考では、子ガニ以外、卵の周辺にいるすべての生き物は敵だった。


辺り一面は、瞬時に修羅場と化した。

逃げ惑う男たちの背に、頭に、次々と巨大なハサミが打ち下ろされ、肉片が派手に飛び散った。木立に飛び込もうとした男の身体が猛烈なタックルを食らってもんどりをうつ。何とか森に逃げ込んだ者も樹木ごと圧し潰された。


穏やかな森を一変した阿鼻叫喚。

あたり一面に漂う生臭い臭い。

幹に手を添えたまま、シャルは目を背け、口元を押えた。


(だから、さっさと置いていけって忠告したのに)


自業自得という言葉が頭に浮かぶ。


魔物たちを責めるのはお門違いだろう。

彼らの怒りはもっともだ。彼らの大切な卵を盗んだ人間が悪いのだから、報復されても仕方がない。


近づいてくる魔物の気配に、シャルは目を開けた。

見逃してくれればと祈っていたが、そういうわけにもいかないようだ


成体としては小柄に見える個体に見つかってしまった。どうやら狙いを定められたようで、まっすぐに向かってくる。


彼らはこの森特有の種。よほどのことがない限り、傷つけることは禁じられている。

どうしようもない場合、命が危険にさらされている時以外は。

 

覚悟を決めて、傍らの3メートルほどの針葉樹の幹を、なんとか両手で掴む。

あまり太くはないが、固有種であるその樹木は金剛石並みの強度を誇る。

 

腰を落として、一気に力を籠めようとしたその時。


「危ねぇ!」


シャルとカニの間に大男が飛び込んだ。


反射的に動きを止めたシャルの眼前で、バスタードソードが、斜交いに振り下ろされた魔物の鋏を受け止めていた。


「逃げろ!あんただけでも」


両手で幹を掴んだまま、シャルは大きく目を見開いた。


シャルを庇って立ちはだかっているのは、ゲス認定したばかりの誘拐犯のボスだ。

すでに他の魔物とやりあった後らしく、盛り上がった肩口からの流血がひどい。無残に敗れた魔物の皮鎧アーマーのあちこちから血がにじんでいるのがわかった。


限界が近いのか、巨大な剣の柄を握りしめた両手はぶるぶると震えていた。


「まさか、助けてくれるの?」


こぼれた問いかけに、男は唇をゆがめた。


「言ったはずだ。あんたたちを傷つけるつもりはないと」


やっぱり、これはこの男なりの笑顔なのかも。

見た目ほどの極悪人ではないってことか。


ちょっと反省。見た目だけで判断して悪かった。

まあ、誘拐犯で泥棒なんだから、善人ではないのは確かだけど。

 

男の剣と魔物のハサミががっちりと組み合い、しばし互いの動きを封じた。

渾身を込めた男の太い腕に筋が浮かび上がり、血に染まった額から流れた汗がさらに男の服を染めた。

 

「早く・・・奥へ逃げろ・・・くぅ」

 

いくら力自慢でも人間は魔物にはかなわない。ふつうなら。

押し負けた男の身体が吹っ飛んだ。


魔物は邪魔者には目もくれず、シャルに向かって突進した。


仕方ない。


ボコりと引き抜いた木の幹を振るって、シャルはその胴体を薙ぎ払った。軽く、まるでハエ叩きでハエを叩き落すかのように。

 

ガッキ―ン。


分厚い甲羅にぱっくりと開いた大きなひび割れ。

青い体液を滴らせながら、巨体が大きく弧を描いて地響きを発てた。


「殺生はあまりしたくないのだけど」


シャルは、乱れた前髪を片手で抑えてため息を吐いた。


とりあえず、彼らの暴走を止めなくてはならない。力づくでも。




*  *  *  *  *



茂みを飛び出し、幹を振り回して、猛り狂うカニたちを次々と叩き落す。


「どこだ、シャル嬢!?」


襲いかかって来た特大の個体をはね飛ばして、幹を抱えなおした時、覚えのある美声が響いた。


行く手を阻む魔物を切り伏せながら駆け寄ってくるのは・・・


「アルフォンソ様!」


駆け寄ってくるのは、皇国の『笑わない黒の皇子』。今生のシャルの想い人だ。

 

両手に剣を提げたアルフォンソ皇子は、瞬く間にシャルの元までたどり着いた。

さっとシャルの全身を眺めると、大きく安堵の息を吐く。


「無事でよかった。本当に」


笑わないと言われる皇子の顔に浮かぶ笑み。


その破壊力にクラクラしながら、シャルは令嬢らしく挨拶しようとして…。自分の状態にはっと気づき、慌てて抱え込んだ幹を投げ捨てた。


ガランガランと地響きを立てて丸太は足元を転がっていく。


「申し訳ありません。このような姿で」


髪をさっと整えると、魔物の体液で汚れた裾を気にしながらも、シャルが恥ずかしそうに俯いた。


「どうか、危ないことはしないでくれ。心配したんだ。あなたには治癒魔法が殆ど効かないから」


皇子がそう言いながら、ちょうど視界を塞いだ魔物の足を難なく断ち切った。シャルの方に体液が飛ばないように気を付けて。


「会いたかった、シャル嬢」


「私も、お会いしたかった」


二人はどちらともなく見つめあった。

皇子の両腕に嵌められた銀の腕輪が光る。

シャルはそっと手を伸ばしてその一つに触れた。


「腕輪、使ってくださってるのですね」


その魔道具うでわはシャル自らが狩った魔物の魔石を使った手作りの贈り物だ。シャル自らが常に身に着けている封じの腕輪とほぼ同じ意匠の品でもある。


ブレスレットは思った以上に、黒い団服をまとった皇子によく似合っていた。


「肌身離さず身に着けている。シャル嬢からの贈り物だから。あの、その・・・お揃いだし」


アルフォンソの騎士にしては白いうなじがほんのりと赤くなった。


「私の一番の宝物だ」


「嬉しいです。そう言っていただけると」


頬を染めて恥ずかし気に目を逸らす若き恋人たち。


破壊の跡も生々しい、人体や魔物が転がる場所で。けが人のうめき声と魔物の悲鳴をBGMに。


遅ればせながら駆けつけた皇子の従兄で側近であるエクセル・カッツエルは、二人に生ぬるい視線を向けて

 

「二人の、感動的なと言えなくもない、再会に免じて、結界を派手にぶっ壊したことは不問にしてくれるかなあ、マリーナ夫人」


と、一人、呟いたのであった。

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