第3話 シャル、忠告する
周辺に広がるこの『太古の森』。ここはシャルにとっては馴染みの領域だが、一族以外にとっては、そうではない。むしろ、危険な場所。令嬢がうろつく場所ではない。
この森で、彼らは面識もないシャルを、リーシャルーダ・ベルウエザー子爵令嬢を名指しで狙ってきた。
不思議なことに彼らは知っていたのだ。彼女が城内ではなく、おあつらえ向きに護衛も付けずに、弟と二人でこの森にいることを。
当初、シャルは、自分もおもてなし準備を手伝わせてほしいと申し出たのだ。が、彼女の熱意溢れる、せっかくのやる気は、母に一瞥の下に切り捨てられた。使用人たちにも絶対にやめてくれと懇願されてしまって、発揮することができなかった。
それで、結局、専属侍女のエルサの『それじゃあ、無難に外で食材を採ってこられてはどうです?』という、その場にいた一同から絶賛された提案に、素直に従うことにしたわけで。
諦めてそう決めたのが昨晩。弟とともに出かけたのが今日の早朝。
原初の木々が鬱蒼と蔓延るこの森は、ここベルウエザー領特産の野生の果実やキノコ類の宝庫。
実際、悪くない考えに思えた。シャル自らが彼女にとって『誰よりも大切な方』をもてなすために貴重な食材を探すというのは。
国を超えてベルウエザー領に来られる相手の目的と素晴らしい料理の腕前を考えると。
外にいる限り、誤って家具を修復不可能なまでにぶっ壊したり、壁を大破したりすることもない。
シャルは、普通の人より、もっと言えば獣並みに、聴覚も臭覚も優れているので、食材採集には自信がある。
珍しい植物や獣、魔獣が生息するこの場所を保護するための人間よけの特殊結界を張り巡らせてあるので、この地の知識を十分に持つ彼女なら、単独で行動しても特に危険はないはずだった。
ちょっと、油断してたかも。
シャルは大いに反省していた。
ここ数年の異常気象で自然の恵みは確実に減っている。少しで見つかればラッキーと、森を探してみると、有るわ有るわ。びっくりするほどの豊作。自分でもキノコや果実集めに夢中になり過ぎたと思う。
シャルがここを熟知していたことも裏目に出た。
せいぜい出くわすのは魔獣の類だと思っていたので、父に作ってもらった特別誂えの武器『クロスボウまがい』は持ってきていない。あれさえあれば、こういう人間を相手にすることもやぶさかではない。が、素手は、いろいろとまずい。
ブーマ国の建国前からこの地を治めてきたベルウエザー一族。
はるか昔にこの地を去った『
概して、彼らは自然を愛し、人の世の権力争いには無縁。国事や政に口を出すこともない。自分たちに直接かかわりがなければ。
だが、いったん、敵に回すと・・・。
甘く見るべき相手ではないことを、相手は思い知ることになる。
その華美で繊細な見かけに反して、彼らの多くが好戦的でやるときは徹底的にやる。目には目を、ではなく、やられたら倍以上返しが普通だ。
シャルは、血族の中では、極めて平和主義者な部類に入る。
常日頃から無駄な戦いは、できる限りにおいて、避けるべきだと信じている。
大男の鋭い視線を感じながら、シャルはなんとか自然な動作でバスケットを岩陰に置いた。
なるだけ、よろよろと、か弱そうに。深窓の令嬢らしく今にも失神しそうな感じを装って。
少なくとも、そう見えることを祈りながら。
伏し目がちに、役に立ちそうなものがないか、周囲をさりげなく眺めておくのも忘れずに。
バスケットに山盛りの食材は希少なものばかりだ。全部諦めるのはやっぱり惜しい。
ぜひともあの方に美味しく調理して、いや召し上がってもらわねば。
それにしても…。男たちを見ながら思う。
(いかにも寄せ集めって感じ。統制も今一つかなあ。あの頭髪不足気味の大男以外は、雑魚っぽい。ただ、あのマントの術師は要注意ね)
領内で、いや、国内でもトップクラスの術師の母の結界内にこうも容易く侵入するなんて。
リーダーらしい大男はある程度できそうだが、その他は、まあ『よくあるタイプのゴロツキたち』に見える。
ベルウエザーの住人ではない。完全なよそ者だろう。
術者らしき人物は、マントをすっぽりかぶっているので男か女かもわからない。
あのマント姿…。本人が本当に実力でここに潜り込んだのなら、かなりの術者。強力な魔道具を使用した可能性もあるけど。
それに、と『普通の令嬢』をせいいっぱい演じながら考える。
(私を誘拐することが目的なら、どうしてあの卵を?無事に持ち帰れれば、すさまじい値段で売れるだろうけど)
卵の正体を知って担いでいるなら、それこそ、こんなふうにのんびり『誘拐している』場合じゃないはず。
よほど扱いに自信があるのか、あるいは・・・
まさか、あれが何か知らない?知らないで盗もうとしてる?
「痛い目に合わせる気はない。おとなしく招待に応じてもらえれば、弟君は無事に返すと約束するぜ」
どうやらシャルの沈黙を恐怖のためと思ってくれたらしい。
大男が黄ばんだ歯をむき出した。
ひょっとすると、彼なりに微笑んだつもりだったかもしれない。
やや癖のある銀色の髪。大きな眼鏡の奥で瞬く大きな瞳は、光線の加減で金色にも見える琥珀色。美人と言うより小動物系の愛らしさを感じさせる顔立ち。少女の域を脱していない小柄な華奢な体つき。
家族や知人、唯一の友人に言わせると、自分は黙っていれば『守ってあげたくなる風情』をしているらしい。
不本意ながら自分の外見がどのような印象を与えるかを、シャルは経験上よく知っていた。
「わかりました」
弱弱しくうな垂れて答えてから、背負い籠を指さし、涙目でお願いする。
「ですが、その卵は置いていってもらえませんか?それはこの森にしか生息しない、大切な固有種の卵。下手に衝撃を与えると死んでしまいます。成体に出くわすと危険ですし」
「生憎だが、それは無理だ。雇い主は、こいつとあんたの両方をお望みらしいんでね。俺も初めて見たぜ。こんな七色の卵は。貴重なものなんだろ?心配せずとも、卵は細心の注意を払って丁寧に扱っている。この籠も特別製でハンマーで力いっぱい殴っても壊れない仕様だ。こちとら、荒事にも慣れてるしな。なにせ、相場の10倍の報酬が懐に入ることになってるんだ」
相場って誘拐の?それとも密猟の?あるいは両方込みで?そんなのに、平均的な報酬額ってあるんだろうか?
危機感なしにニンマリ笑う男に確信する。
少なくとも、この男たちはそれがどんな生き物の卵か知らされていない。
卵はすでに見事な虹色になっている。いつ孵化してもおかしくない。
この時期、よりによってあの卵に手を出すように指示したってことは・・・
雇い主の目的は単なる子女誘拐ではない。
あの彩では、大した時間は残されていないだろう。
仕方がない。これは非常時。
視線で告げると、拘束されたままのサミーがほんのわずか頷いた。
「死にたくなければ、すぐにそれを置かれた方がよろしいかと・・・」
言いかけたとき、男の一人が担いでいた籠が光った。ほぼ同時に破裂音がし、炎が噴き上げた。
背中を赤くはじけさせ、形容しがたい声を上げながら、男は地に転がった。
淡白質の焦げる嫌な臭いが鼻を刺す。背中に深く入った切れ込みから白い骨が覗き、噴き出した血が赤く地面を染めていく。
「籠を捨てろ!」
ボスの怒声に、立ち尽くしていた男たちが慌てて籠を投げ捨てた。
驚きにナイフ男の手がゆるんだ。刹那、サミュエルがすっと大きく身をかがめた。
シャルは右掌に隠し持っていた木の実を、その隙に投げつけた。
木の実は見事に男の胸当てを破壊し、男の身体が崩れ落ちる。
弟が無事に草むらに駆け込むのを目の端でとらえ、シャルは叫んだ。
「サミー、
恐慌に陥り、少しでも遠くへと男たちが全力疾走する。
投げ捨てられた籠。そのいくつかから、爆発音とともに子犬ほどの甲殻類に似た異形が這い出して来る。
低く神経を逆なでするような唸りが、羽音が。まっすぐに近づいてきた。驚くべき速さで。
シャルは茂みに走りこむと、目をつけていた幹に手を伸ばした。
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