第2話 シャル、誘拐犯に狙われる

これは、ひょっとすると、ちょっと困ったことになっているかも?


サミーの、まさしく<申し訳なさそのもの>の顔に直面して、リーシャルーダ・ベルウエザー、通称シャルは思った。


「ごめん、姉上。新入り猫ブランシュを追ってたら…う」


「おっと、動かないでもらおうか。お嬢さん、あんたもだ」


聞き覚えのないだみ声が、弟のうめき声に重なった。


細い首筋を太い腕で締め上げられ、弟が目を白黒させている。


「声を出すなと言ったはずだぜ、お坊ちゃん」


母譲りの魔術の天賦の才があるとしても、弟はまだ12歳。接近戦の力技では勝ち目はない。


成人男性に背後から羽交いじめにされたら身動きできなくて当然だ。


おまけに首筋にナイフを突きつけられているし。


「手が滑って、そのお綺麗なお顔をざっくり傷つけちまうかもしれないぜ」


細面の狐顔の男はサミーの青ざめた頬にナイフの側面をピタピタと当てながら、もう一方の手でも別のナイフをもてあそんでいる。


「お嬢さんも、下手な真似をすればどうなるかわかるだろ?」


シャルは、男を睨みつけると、投げつけるつもりで持ち上げたバスケットを下ろした。


姉として、母によく似た弟のきれいな顔に万が一にも傷を付けさせるわけにはいかない。


「ほお。まさに『銀の聖女様』そのものの色合い。どうやら間違いなさそうだな」


坊主頭の凶悪な面構えが、木立の後ろからぬっと現れた。


「こんなところで会えるとはな。正直、疑っていたんだが」


その視線がちらりとやや下に向けられる。


「俺は、もう少し胸がある方が好みだな」


バスケットの持ち手を握る手に力が入りかけたのを、シャルは慌てて抑えた。


まずは落ち着かなくては。


冷静に対処すれば、なんとかなる。きっと。


ここで下手をしたら、かえってサミーに怪我をさせるかも。それに…

 

深呼吸をして、心の中で突っ込みを一つ。

 

自分は16歳になったばかり。まだまだ発展途上なだけだ。


将来的には母上並みのナイスバディになる…という可能性だってゼロではない。たぶん…。


「リーシャルーダ・ベルウエザー子爵令嬢、おとなしく来てくれれば、危害は加えない。ある気の毒なご令嬢がぜひあんたに秘密裏に会いたいそうだ」


「気の毒なご令嬢?」


「あんたが婚約者を誘惑したせいで、辛い思いをしてる方だ」


「婚約者を…誘惑?」


シャルは大いに首を傾げた。


シャルはいわゆる箱入り娘。領外に知り合いなどほとんどいないし、誰かを誘惑したなんて全く覚えがない。


そもそも、シャルの容姿を知っている者そのものが、そう多くはない。


つい先日まで社交と名のつくものには、一切出たことがなかったのだから。


うら若き貴族令嬢としては、この社交経験のなさは、致命的と言える。


両親に迫害されているわけではない。むしろ、並み以上に熱愛されている自覚はある。


だからこそ、外の世界とは隔離されてきた。


自慢じゃないが~ほんとに自慢できないのだが~、令嬢には稀な、というかありえない欠点を隠すために。

 

領外に出たのも、公の場で貴族たちと顔を合わせたのも、あの『歓迎の宴』が初めてだったと思う。


その際に一方的に見初められた、とかは、まあ・・・ないだろう。 

そりゃあ、多少珍しい髪と瞳の色ではある。が、容姿そのものは、特筆すべきほどではない。


(自分としては、それなりに可愛い方かも、くらいは思うけど)


別に恨むわけではないが、絶世の美女と名高い母の娘にしては、残念な容貌だ。

 

あの時は、爆弾騒ぎで他の貴族と交流を深めるどころじゃなかったのは確かだ。となれば、考えられる理由は・・・


来訪予定の賓客関連の可能性が高い。

 

(そう言えば、面と向かってお話したのはあの日が初めてだったっけ)

  

アルフォンソ・エイゼル・ゾーン。ローザニアン皇国第二皇子にして、皇国第二騎士団の団長を務める、若き天才騎士。笑わない黒の皇子。

 

あのパーティでの爆弾騒ぎが、二人の想いを育むきっかけになったと言えないでもない。いろんな意味で、二人にとって、いやシャルにとって、転機となった事件だった。

 

(あれからもう3か月。いや、まだ3か月?あの方に巡り合って、思いがけないことを知って・・・、なんかあっという間だった気がするわ)

 

「おい、あんた、聞いてんのか?」


多少、呆けていたのだろう。

男のイラついた声にシャルは慌てて想い人の端正な面差しを脳裏から追い払った。


いつの間にか、大男の手下らしき男たちに取り囲まれていた。類は友を呼ぶということわざ通り、やはり人相の悪い男たちが10人ほど。少し離れて、灰色のローブを頭からすっぽりかぶった術者らしき人影が一つ。

 

半数は抜き身の刃物をちらつかせ、残りは大きな背負い籠を担いでいる。


籠から覗いているのは、丸いきれいな楕円の、大きな卵。なんだかキラキラ虹色に輝いている。


虹色?これはもしや?


姉の視線の先にあるものに、ほぼ同時にサミーも気が付いたようだ。父によく似た赤みを帯びた茶色の瞳が大きく見開かれる。


これは、本当に、困ったことになるかもしれない。

 

いつもなら護衛役として付き添っている頼りになる愛犬ケリーは、この場にいない。


賓客のために大物を狩ると言う名目で、城を抜け出し狩りに出かけた父の一声で、猟犬として、騎士団共々、否応無いやおうなしに、祖父が暮らす国境北部の森へ引っ張り出されてしまったからだ。


現在、城内は母マリーナの指揮の下、てんやわんやの真っ最中。とてもじゃないが、すぐに異常事態に気がつくとも思えない。姉弟が困った羽目に陥っているとは考えもしないだろう。

 

侍従や侍女をはじめ、使用人たちは『高貴なお客とそのお連れたち』をもてなす準備に大わらわ。留守番役の騎士や衛兵たちも、城内や城下を見回って警備の最終確認中だろう。

 

シャル達が今いるのは、城の裏門に続く道の先にある『太古の森』の中心部近く。

魔獣保護区のため、近所の住人が散歩に来るとか、もの好きな旅人が観光にくるなんてことは考えられない。


第一、周囲にマリーナが対人結界を張り巡らせているため、基本的に、外部の者が入ることはできない。一族およびベルウエザー本家に直接仕えている者以外が簡単に出入りできるところではないのだ。

 

だからこそ、暇を持て余していたサミーを誘って、ブランシェ~1週間前に拾った白猫~とともに、散歩がてら食材探索をしていたところだったわけで。

 

いったいなぜ、こんな無頼な輩が入り込んだのか?


魔法の才能ゼロのシャルとて、ベルウエザーの直系の一人。結界が維持されているかくらい感じることができる。


結界は正常に機能している。

母にも悟られずに結界をかいくぐるなんてこと、一流の術師でも難しいはずなのに。

 

現状ではっきりしていること、それは・・・

彼女が一人で得体のしれない侵入者たちに対処しなくてはならないということだった。

 


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