第9話『お前の勝ちだ。光佑』

加奈子と無事付き合う事が出来、練習にも気合が入る。


そして迎えた二年目の夏。地区予選決勝。


俺は再び光佑との直接対決の機会に恵まれた。


しかし、状況は去年よりも悪い。


何故なら向こうのチームには、あの佐々木和樹が居るからだ。


アイツ。後から高校を選ぶとは卑怯な奴だ。


許せん。絶対に負かしてやる。


そして気合十分で迎えた試合だが、何故か光佑は現れなかった。


何か事故でもあったのか? いや、電車が遅れてるのか。


家族が病気か。東雲先輩に何かあったか?


事情は何も分からない。


こういう時に別の高校というのは本当に不便だ。


しかし居ないのなら居ないで叩き潰すだけだ。


俺は手加減などせず、去年から速度も威力も上がった球を放り、一切かすらせる事すらさせないでアウトを奪い取っていく。


そして、それは佐々木も同じで、佐々木は中学の時よりも上がったコントロールで、打つどころか触る事すら難しい球をいくつも投げ込んできた。


事態は膠着している。


しかし一点。たった一点を取れば試合には勝てるはずだ。


そういう想いを込めながらバットを振るうが、やはり誰も点数を取るどころか出塁する事すら出来ないのであった。


この試合、どうなってしまうのか。


そんな不安が過った九回裏。俺は炎天下で流れる汗を拭いながら、その放送を聞いた。


『代打。立花君』


来た。と思った。


憎い演出だ。


まさにヒーローは遅れてやってくるという奴だろう。


この硬直した状況を壊す為に、勝つために。遂に光佑が姿を現したのだ。


しかも、気迫が違う。


バッターボックスに立っている光佑はこちらを睨みつけて、まるで全てを食い尽くす様な迫力で構えていた。


今日こそ、勝ちたい。


俺は全身に気力を満たし。その溢れそうな力を全て右腕に込めて、ボールを強く握りしめた。


頭の中では加奈子が言ってくれたあの言葉がある。


『晄弘くんなら、きっと世界一にだってなれるよ。最高のピッチャーに』


あぁ、なる。今日。ここで!!


光佑に勝って! 俺は、最高のピッチャーに、なるんだ!!!


全ての力を込めて、俺は最高の球を放った。


爆発しそうな空気を切り裂いて、轟音と共にキャッチャーへと向かっていく球を真っすぐに見ながら俺は、やけにゆっくりとした世界を見ていた。


間違いなく最高の球を俺は放った。


これまでの、そしてこれからもこれ以上の球は投げられないだろう。


だからもし、この球が打たれてしまうなら……俺は。


祈りの様に、俺はボールの行方を追ったが、全て分かっているとでも言うように、光佑のバットは綺麗な軌道を描き、世界を砕くような、爽やかな音と共に遥か上空へ。


俺の背中の向こうへと、打ち返した。


帽子が地面に落ちて、空から日差しが降り注いでいる。


あぁ、と思う。


俺は立ち尽くし、あえてボールの行方は追わなかった。


何故ならもう分かっているからだ。


光佑が本塁打を打たない訳がない。


そう、分かっているからだ。


「お前の勝ちだ。光佑」


口に出した言葉は自分で考えていたよりも重くて、俺は帽子を拾うのも忘れて、ホームベースへと向かう。


真の勝者を称えたかった。


本当は去年、その栄光を受け取るべきだった相手に。


そしてホームベースに帰ってきた光佑に俺は話しかけた。


「流石だな。光佑。負けたよ。でも来年は……光佑?」


何か様子がおかしい。


俺はホームベースを踏んで立ち尽くしている光佑に近づいてその肩を叩き、異変に気づいた。


「なんだ、これ……血?」


「お、おい! ヤバいぞ! 救急車!!」


「光佑! しっかりしろ! 光佑!!」


「タンカ!! 急げ!!」


俺に倒れこむ様にして崩れ落ちた光佑から溢れた血が、俺のユニフォームを赤く染めてゆく。


俺は必死に光佑の名を叫び続けたが、結局光佑が起きる事はなく、そのまま救急車に運ばれていく。


その間も俺は声を掛け続けていたが、やはり目を覚ます事はない。


救急車に光佑が乗り込んだ後は、いつの間にか近くに来ていた監督に腕を引っ張られて、動揺している加奈子と一緒にタクシーへ入れられた。


「すみません。前の救急車を追ってください」


「分かりました!」


俺はタクシーのシートに座りながら、両手を組んで、ただひたすらに祈っていた。


神様がもし居るのなら、光佑を助けて欲しい。


もう二度と野球が出来なくてもいい。


これから先、何の幸せも無くてもいい。


たった一人の、大切な親友なんだ。


俺はただ、ひたすらに祈り続けた。


しかし、結局俺が病院に着いても、次の日になっても、その次の日になっても、光佑は目を覚まさなかった。


そして光佑が目を覚ましたのは、あの日からちょうど一ヶ月後の事だった。




俺は加奈子と一緒に光佑の見舞いに行き、久しぶりにゆっくりと話す機会を得た。


「入るぞ」


「失礼します」


「あぁ、晄弘。それに加奈子ちゃんも。悪いね。わざわざ」


「親友だろ。当然だ。暇つぶし用の漫画も持ってきたぞ」


「ハハハ。助かるよ」


「ちょうどいい機会だからゆっくり休め」


「そうだね」


久しぶりの親友との会話はそれほど緊張する事もなく、穏やかに進んだ。


しかし、そんな穏やかさも光佑の言葉で粉々に砕かれる事になる。


「早く怪我を治せよ。来年こそは俺が勝つからな」


「あぁ、その事か。ごめん。晄弘。俺はもう野球が出来なくなった」


「は」


「……っ!」


「なに、言ってんだ。冗談は止めろ。笑えない」


「冗談じゃない。本当の事だ」


「嘘だ!!」


「嘘じゃない」


「じゃあ何だ。何が悪いんだ。腕か? 俺の腕をくれてやれば、治るのか!?」


「そういう話じゃないんだ。それに晄弘の腕は世界の宝だろう。容易くくれてやるなんて言うなよ」


「お前の方が!! 大事だろう!! 俺よりも、お前の方が!!」


「運命って奴かな」


「これが、運命……? そんな、バカな話が、あるか」


「どうしようもない現実っていうのはあるもんだ。でも、一つ良いことがあった」


「良い事?」


「そう。俺は今こうして生きている。晄弘と話をする事が出来る。それはきっと何よりも良かった事だよ」


「……」


「晄弘。俺はここで駄目だったけど、これから先の道、俺の夢も、晄弘に託しても、良いかな」


「光佑の夢?」


「そう。晄弘と一緒にどこまでも勝ち続けるって夢だよ。俺の想いも一緒に、連れてってくれないかな?」


「……お前は、本当に」


「ごめんな。重荷を背負わせて」


俺は強く強く右手を握り締めて、それを叩きつけたい衝動を抑えながら、唇を噛み締めて、頷いた。


光佑。お前は、本当に残酷な奴だよ。


俺に諦めるっていう、野球を辞めるっていう選択肢も奪っていくなんて。


「俺はさ。ただ、お前とあの場所で一緒にキャッチボールをしているだけで良かったんだ」


「初めての友達だった。嬉しかった。この時間がずっと続けば良いのに。って思ってた」


「でも、これからは違うんだな。俺は、一人で進んでいかなきゃいけない」


俺は静まり返った病室で一人呟いた。


それは誰に向けた言葉でもない。ただ、俺が俺自身へ向けた言葉だったのだろう。


「晄弘、俺は」


「光佑。一つ約束しろ」


「……?」


「俺は加奈子と結婚する」


「っ!? ちょっ、晄弘くん!?」


「そう……か、それはめでたいね。もう日程は決まってるのかな」


「いや、まだ決まってない。それどころかこんな話をするのも今日が初めてだ」


「……」


「でもいずれする。プロになってからか、少し落ち着いてからか。メジャーに行ってからか。それは分からないけど」


光佑は真剣な眼差しで俺を見ていた。


加奈子も……いや、加奈子は少し怒ってるけど、同じ様に俺の言葉を待っていた。


だから俺は、言う。


勇気を出して、一歩前に。


「だから、いつか俺たちの間に子供が出来たら、お前が野球を教えてやってくれ」


「……俺で、良いのかな」


「あぁ、俺は不器用だし。加奈子は野球をやらない。だから頼めるのはお前しかいないんだ」


「そうか。それは責任重大だね」


「そうだ。世界一の投手の子供が野球をまったく知らないなんて大事件だ」


「……そうだね」


「だから、必ず約束を果たせ。どんなに苦しくても、悲しくても」


「……」


「生きろ」


俺の言葉に光佑と加奈子の肩が震える。


しかし俺はそんなことは気にしない。何も、気にしない。


「生きて、生き抜いてくれ。必ず。これで終わりになんて、するな。俺に託したから、終わりだなんて、俺は絶対に許さない」


「晄弘は厳しいな」


「当たり前だ。俺だってお前に重い荷物を背負わされてるんだぞ。お互い様だ。親友だろ」


「……ふふ。そうだな。親友だもんな」


俺は言うべき事は言ったと椅子から立ち上がった。


そして部屋から出ていく準備をする。


しかし、部屋を出る前に言い残していた事があったと、振り向いて光佑に一言だけ残していった。


「言い忘れてた。怪我が治ったら、またキャッチボールをやろう。それくらいは出来るだろ?」


「あぁ。分かったよ」


穏やかにベッドの上で笑う光佑に背を向けて俺は外へ歩き出した。


世界一のピッチャーになれる様に。


遥か先へ行ってしまった光佑と並びたてる様に。

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