第8話『加奈子。好きだ』

クリスマス当日。


俺は学校近くの喫茶店で加奈子を待っていた。


本当は寮まで迎えに行くと言っていたのだが、加奈子が待ち合わせが良いと言った事でこの喫茶店になった。


なのだが、落ち着かない。


やはり二時間前は早すぎただろうか。


しかし、加奈子が先に来て、待っているという状況は嫌だし。


とりあえずすれ違うのも嫌だから外から良く見える窓側の、かつ入り口の近くを陣取った。


だが、時間が経つのが遅い。


待てど暮らせど加奈子は来ない。不安になって時計を見れば、さっき確認した時からまだ十分しか経っていなかった。


信じられん。


既に六時間くらいは経っている感覚だったぞ。


今日の俺は何処かおかしい。


それだけは確かだった。


しかしこんな浮ついた気持ちのままでは加奈子を喜ばせる事なんて出来ないだろう。


俺は自分を落ち着かせようと、何故か頼んでしまったコーヒーを飲む。


苦い。


砂糖を入れ、コーヒーを飲む。


苦い。


ミルクを入れてみる。


苦い。周囲を確認してから砂糖を二つほど投入。


……なんとか飲めそうだ。


「ふふ。可愛いね。大野君」


「誰だ」


不意に話しかけられ、俺はその声がした方を見た。


そこには知らない女が立っており、俺を見て笑っている。


いや、誰だ?


知らないそいつは勝手に俺の前に座って話を始めた。


「忘れちゃった? いや、格好が違うから気づけないのかな」


「どこの誰かは知らんが、そこに座るな。待ち合わせしてるんだ俺は」


「でも相手。全然来ないじゃない。さっきから見てたけど。一人だよね?」


「いや、それは。来るのが早すぎただけで、加奈子が遅いわけじゃない」


「加奈子? あぁ、千歳さんかぁ。ふぅーん。でも、君ばっかり早く来るなんて、彼女。君とのお出かけ。楽しみじゃ無いんじゃない?」


「加奈子は真面目なだけだ。だから予定時間を守る。俺が適当すぎるだけだ。それに楽しみかどうかは関係ないだろう」


何だこいつ!


何だこいつ!!


分かってるよ! 俺が一番分かってる!!


加奈子は光佑が好きなんだ。だから俺なんかと出かけて楽しいわけが無いって分かってるよ!!


それでも俺が頼んだんだ!! わざわざ俺を煽りに来たのか!?


俺は怒りを表面に出さない様にしながら、冷静さを保つためにコーヒーを口にした。


「でもさ。釣り合わないって思わない?」


「は?」


「千歳さんと貴方じゃ。釣り合わないでしょ」


「……何が言いたい」


「私、今日暇なんだよね」


はぁ。なるほどな。


つまり暇だから俺をからかって遊んでいると。


とんだ暇人もいたもんだ! ふざけやがって!


何なんだ、こいつは!


そうさ。分かってる。


昔母さんに言われた事は、何となくだけど覚えてる。


俺みたいなめんどくさい奴と友達やってくれてる加奈子は凄い奴だ。


神様みたいな奴だ。


俺なんかとは釣り合わない。


本当は光佑みたいな凄い奴と一緒に居る方が良いんだ。


それでも、俺が一人じゃ何も出来ない情けない奴だから、加奈子は優しいから、だから一緒に居てくれるんだ。


分かってるんだよ。本当は。


それでも、好きなんだ。


だから、この気持ちを諦めるなら、加奈子から聞きたいんだよ。


でないと俺は二人の事を祝福できない。


諦めきれないんだよ。


「私ね。君の事良いな。ってずっと思ってたんだよね。ずっと前からさ」


「晄弘くん! ごめんね! 待たせた!?」


「いや」


「やっほー。千歳さん」


「……今井先輩」


「ごめんね。千歳さんが来るの遅いから。私が先に借りてたの。まぁ、このままずっと借りてても良いんだけど」


「……っ」


「でも、そうねぇ。ふふ。多少は着飾っているみたいだし。大野君にも見せる? まぁ大して変わってない様に見えるけど」


「っ! 私は!」


俺はとりあえず加奈子も来た事だし。残っていたコーヒーを全て飲み干して立ち上がった。


そしてレシートを掴み、一緒に加奈子の手も掴む。


加奈子がどんな顔をしているかを確認する余裕は無かった。


「行くぞ」


「えっ、う、うん」


「待って。大野君」


しかし出ていこうとする俺の手を掴み、先ほどの暇人がまだ何か言い足りないのか、俺に向かって話しかけてきた。


「なんだ」


「そのね。分かってるとは思うけど。世の中。選ばれた人というのがいるわ。彼らはその辺の人間よりも自由に何かを選ぶ事が出来るの。だからあえて、昔から一緒に居るからという理由だけで、選ぶ必要は無いと思うわ。よく周りを見た方が良いわよ。あなたに相応しい人はそんなには居ないのだから」


「話は終わりか?」


「え、えぇ」


「じゃあ、自分はこれで」


最後の最後まで、腹立たしい奴だった。


あぁ、言われなくても分かってる。分かってる!!


加奈子があえて俺を選ぶ理由なんか何もない。


良く周りを見ろ。だと? 見てるさ。見てたよ!!


それで、俺にもっと相応しい場所へ行けというんだろ。


相応しい人間と共に生きろと。


光佑や加奈子はお前には似合わないと。


あぁ、あぁ……分かってるんだ。


もうそんなに言わなくても、分かってるんだ。


なぁ、もう良いだろう。


今日くらいは、幸せな気持ちで居させてくれよ。


俺は加奈子の手を握ったまま、暗くなっていく気持ちと共にイルミネーションの所へと向かった。




そして、イルミネーションの近くで俺たちは並んでその光の世界を見ながら互いに無言で座り込んでいた。


ベンチは冷たくて、どこか寂しい。


しかし、どれだけあの人に馬鹿にされたとしても、ここまで来たんだ。


今更引けない。逃げられない。


俺はせめて、想いだけでも伝えようと勇気を振り絞って、口を開こうとした。


「あの」


「ねぇ」


「あぁ。すまん。加奈子から、言ってくれ」


「ううん。晄弘くんからどうぞ」


「いや、俺のは、すまん。もう少し勇気を出してからで、頼む」


情けない。


俺はうつ向いたまま、そう加奈子に告げた。


ここまでイルミネーションだってまともに見てないし。加奈子だってまともに見てない。


何をしに来たんだ。俺は。


「そう? じゃあ私から話すね」


「おう」


「今井先輩と何か話した?」


「今井?」


「さっき喫茶店で一緒に話してた人」


「あぁ、まぁ色々と嫌味を言われた」


「えぇ!? 嫌味を言われてたの!?」


「あぁ、お前はかっ……いや、光佑に相応しくないとか、そういう風に言われた」


「えぇー? あぁ、そうかぁ。晄弘くんはそういう風に判断するのかぁ」


「そういう風? どういう事だ」


「晄弘くんは自分の価値が分かってないって話だよ」


「分かってないって事は無いだろう。ちゃんと分かってる」


「じゃあ聞くけどさ。晄弘くんがこの人には勝てない! って思ってる人は誰?」


「そりゃ。光佑とか加奈子。それに父さんとか母さんだな。後は爺ちゃん婆ちゃんとか。それに……東雲先輩とか」


「あれ。東雲先輩には勝てないの?」


「あぁ、なんか苦手なんだ。あの人。それに、光佑の妹二人にも勝てないな。後、光佑の父さん母さんとか。いっぱいいるぞ」


「でもその中で野球やってる人。光佑くんしか居ないよね」


「……確かに」


「ねぇ、今高校でさ。野球やってる人ってどれくらい居ると思う?」


「そりゃ……いっぱいいる」


「そうだね。いっぱいいる。でもそのいっぱい居る人たちは、みんなじゃないかもしれないけど、晄弘くんに勝てないって思ってるんだよ?」


「そうなのか?」


「そうだよ。だって晄弘くんは甲子園で優勝したんだよ? ならそれだけ凄いって事じゃない。しかもエース。晄弘くんが弱くて情けなくて、バンバン打たれちゃう人だったら、優勝なんて出来なかったよ」


「でも俺は、光佑に勝てなかった!」


「そうだね。悔しいね。でもさ。また来年勝てば良いじゃない。それが駄目ならその次の年。そうやって挑み続けるのは嫌?」


「……嫌じゃない」


「ならさ。そういう気持ちがあるなら、晄弘くんは光佑くんとライバルなんだと思うよ。対等に競い合っている。だから今は負けていても、いずれ勝てば良いんだよ」


「……」


「それにさっ!」


加奈子は、明るい言葉でそう告げると、ベンチから立ち上がった。


そして数歩歩き、俺の方を振り向いた。


俺はそんな加奈子を目で追い、その姿を見て息を飲んだ。


いくつもの淡く輝く光を背に、思わず見惚れてしまうような笑顔で、想いを口にする加奈子を。


「晄弘くんなら、きっと世界一にだってなれるよ。最高のピッチャーに」


あぁ。と思う。


俺は加奈子が好きだ。


いつもよりも可愛い服を着て、髪型だって変えているのに、いつもと変わらない微笑みで俺を見てくれる。


俺を見つけてくれる。加奈子から目を離せない。


なんだ、イルミネーションを見に来たのに、まるで目に入らないじゃないか。


俺は、ただ、嬉しくて。それ以上に、悲しくて、泣いた。


こんなにも美しい加奈子と、共にあれる。光佑が羨ましくて、でも、きっと祝福できると、そう思った。


「ちょ、ちょっと晄弘くん!?」


「いや、すまん。ただ嬉しかったんだ」


「そ、そうなの? なら良いけど」


心配そうに駆け寄って、安心した様に微笑んで。


あぁ、なんて愛おしいのだろう。


今なら言える。そんな気がして、俺はその言葉を口にした。


「加奈子。好きだ」


「えっ」


「ずっと好きだった。でも言える勇気が無かった」


「そんな……うそ」


「嘘なんか俺は言わない」


「でも……信じられない」


「信じるまで何度だって言うさ。好きだ。加奈子」


加奈子は俺の告白に、頬を赤くしながら髪をいじって、何処か戸惑ったような顔をしている。


しかし、すぐに意を決したような表情に変わると、俺の手を取り、真っすぐに見下ろしながら返事をくれた。


「そ、そのね。告白ありがとう。それで、私は、まぁ前に言った通りなんだけど」


「あぁ、分かってる」


「そ、そうだよね。へへ。でも、まぁ改めて言うのも、良いかなって。何か夢みたいで……」


「光佑が好きなんだろう?」


「……は?」


俺は目を閉じながら、あの時の中学卒業の時の告白を思い出していた。


そして、気持ちが溢れない様に気を付けながら言葉を重ねる。


「今日は、最後の思い出が欲しかったんだ」


「……」


「もちろん、二人の邪魔をしたかった訳じゃない。ただそう、自分勝手な話にはなるが、フッてもらえれば、諦められるかなと」


「……」


「そうだ。二人の結婚式には呼んでくれよ? きっと良いスピーチを」


「あぁ、なんか悩んでた自分がバカみたい」


「加奈子?」


「晄弘くん。目を開けて」


「あ、あぁ」


何やら様子がおかしい加奈子に戸惑いつつ、俺は目を開けた。


目の前にはいつもよりも綺麗な加奈子が、何処か怒気を纏わせながら、笑っている。


それに俺は何故か酷く恐怖を覚えた。


「これが! 私の気持ちだから」


次の瞬間、俺の唇には加奈子の唇が重なっていて。


俺は訳も分からず、動くこともできず、ただ硬直していた。


そして、満足したのか少ししてから離れて、加奈子は怪しく笑う。


「今日まで、本っ当に無駄な時間だった! さっさとこうすれば良かったのよ。悲劇のヒロインなんて私には合わないわ。まったく!」


「ど、どういう事だ? 加奈子は光佑が好きなんじゃないのか?」


「そんな訳無いでしょ。分かんない? 分かんないならもう一発行こうか?」


「い、いや良い。これ以上は冷静さが無くなりそうだ」


「そ。なら良いけど。あ。ごめん。私が我慢出来ないわ。もう一回行くね?」


「えっ、まっ」


待ってくれと言おうとして、加奈子に再び唇を奪われ、俺は我慢出来ずに加奈子を抱きしめた。


しかし加奈子を強く抱きしめる事はせず、壊れない様に、慎重に。


「冷静に考えて貰いたいんだけど。光佑くんが好きなら同じ高校に行くでしょ」


「それは、光佑が急に高校を変えたから」


「ちょっと自分の事を思い出して欲しいんですけど!! 晄弘くんは私に行く高校を教えてくれましたか!?」


「お、教えてない」


「なら、私はどうやってここに来たと思う?」


「……偶然?」


「んな訳あるか!! 聞いたの!! 晄弘くんのお母さんに!!」


「そ、そうか」


「つまり、私はどちらでも選べたんだよ。でも晄弘くんを選んだの。分かる!?」


「あ、あぁ。分かった」


「まぁ、正直、今思えばあの時光佑くんの志望校も聞いておく事が出来たなぁ、とか反省する所もあるんだけど、でも! そういう事を忘れちゃうくらい晄弘くんしか見えてなかったの! 私は! 分かった!?」


「あぁ、よく分かったよ」


俺は腕の中で怒り、胸を叩く加奈子の温かさに、これまでにない喜びを感じていた。


思えば、ずっと加奈子の事が気になっていたのかもしれない。


加奈子から告白される、ずっと前から。


「ちょっと、離して」


「おう」


「あー、もう髪も服も崩れちゃった。せっかく時間かけて綺麗にしたのに」


「す、すまん!」


「良いよ。一番求めてたのは手に入ったから」


加奈子はいつもとは少し違う、いたずらっ子の様な笑顔を浮かべ、俺の手を取った。


そして真剣な表情になると、俺の目を見ながら口を開く。


「晄弘くん。好きです。私と付き合ってくれませんか」


返事などもちろん決まっていた。

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