第5話『目指すは二百キロだ』
佐々木和樹という男は自分でも言っている通り、まさに天才だった。
球速こそ俺の方が速いが、コントロールは圧倒的に佐々木の方が上だ。
しかしその球速だって、圧倒的という訳じゃない。
いずれは追いつかれるかもしれない。
俺は追いつかれない様に。光佑の相方という位置を守る為に、練習を重ねた。
より速く、より正確に、より重く。
何度も投球練習を重ねた。
「最近頑張ってるな。晄弘」
「あぁ。もっと速い球を投げたくてな」
「そっか」
「目指すは二百キロだ」
「それは期待だな。よし。俺も受けていいか?」
「あぁ。助かる」
光佑が構えてくれて、俺はそこに向かって全力で放る。
しかし、いつも通りだ。どうしようもないほどに。
焦るような気持ちが湧き上がるが、焦ったところで何も変えられないというのも現実だった。
そして、中学二回目の優勝を果たし、三回目も優勝し、焦りを抱えながらも何とか二人で最高の結果を導き出した。
後ろから近づいてくる佐々木和樹の恐怖に怯えながらも、掴んだのは間違いなく俺たちの栄光だった。
そして佐々木は一人中学に残され、俺たちは高校へと上がる。
最低でも一年間は安心して光佑と共に野球が出来る。そのハズだった。
ハズだったのに!!
「立花光佑。高校の三年間。俺たちは敵同士だ」
中学卒業の日。突如伝えられた事実。
それは光佑が俺とは別の学校に行くという事実だった。
光佑は俺よりも妹や、東雲先輩を選んだ。
俺は、別にどこで野球をやっても良かったのに。
お前が居るから、野球が楽しかったのに。
どうしようもなくて、悔しくて、なんでこんなにも思い通りにならないのだろう。
結局光佑と別れてからも、真っすぐ家に帰る事は出来ず、フラフラと町をさ迷い歩いて、俺はあの大池に来ていた。
始めて勇気を振り絞った場所。
俺たちが確かに共にあった場所。
ここに居た時には、この時には何もかもがあったのに。今は何もなくなってしまった。
俺は何を間違えたのだろうか。
「晄弘くん?」
「加奈子か」
「どうしたの。こんな所に来て」
「それは、加奈子だって、そうだろう」
「私は、晄弘くんに付いてきただけだから」
「そうか」
「……何か、悩んでる?」
「いや、全然」
「本当に?」
「本当に」
本当は、色々と抱えている物はあるけれど、加奈子には言えなかった。
何だか格好悪いというのもあるが、加奈子は守りたい人だから、俺が何か困らせる訳にはいかないのだ。
そんなこんなで、半ば意固地になりながら加奈子に答えていたのだが、加奈子は溜息を一つ吐くと、俺の横に座って話し始めた。
「これからさ。光佑くんが別の高校に行って、私たち二人だけになっちゃうじゃない?」
「知ってたのか!」
「先ほど聞きました。すっごく怒ったけどね。のらりくらりとかわされちゃったよ」
「そうか」
「私だって二人と同じ高校に行くために勉強必死に頑張ったのになぁ。何だかなぁって感じ」
「あぁ。加奈子は頑張ってた」
「ありがとう。でも、結局そういう想いは一方通行だったのか! って憤っちゃったのね。でも、違うなって分かったの」
「違う?」
「そう。きっとね。光佑くんも言えなかったんだよ。打ち明けられなかったんだよ。大切だからこそ、話せない事があったんだ」
「でも、俺たちは友達で、何でも言い合える仲で」
「晄弘くん。友達だから言えない事だって。あるよ」
「友達だから、言えない事……? それは、加奈子も、あるのか」
「うん」
俺はまるで何も見えない暗闇に迷い込んだかのような気持ちになった。
友達だけど言えない事があって、そのせいで俺はこうなっているっていう。
もう訳が分からなかった。
頭を抱えたくなるような話だ。
「……勇気を、出さなきゃね」
「加奈子?」
「ちょうど良かったかも。ジャージ今日まで持って帰るの忘れてて。タオルもあるし」
「何言って……って、何やってるんだ!」
加奈子は突然スカーフを取ると、スカートを脱いだ。
そして、眼鏡をはずして俺に渡すとそのまま上着も脱いでゆく。
何がどうしたんだ? どうなっているんだ!?
何も分からないまま加奈子は大岩の上に行くと、下着姿のまま大池に少しのためらいの後、飛び込んだ。
俺は何も止める事が出来ないまま、水に飛び込んだ加奈子のもとへと向かう。
上着を脱いで、池に飛び込んだ。
まだ三月だ。多少温かくなってきたとは言え、池に飛び込むような季節じゃない。
それに加奈子は泳ぐのがそんなに得意じゃなかったはずだ。
俺は急いで池の底でもがいている加奈子を抱き上げて水面へと上がった。
「何やってんだ!!」
「あはは、ごめん」
「無茶するなよ。心臓が止まるかと思ったぞ」
「ごめんね。勇気を出したかったんだ」
「勇気?」
「そう。いつかの晄弘くんみたいにさ」
加奈子は木漏れ日でキラキラと輝く濡れた黒髪を後ろに流し、顔を拭って真剣な目で俺を見る。
その表情に、見慣れているはずの加奈子に、俺は何故か心臓が跳ねるのを感じた。
「ずっと、好きだったの」
「え?」
「あの日、助けられたあの日から、ずっと、ずっと好きだった。思い出すだけで胸が高鳴った。人よりも動きが鈍くて、可愛くなくて、暗くて、勇気も出せなくて、それでも、あの日からずっと、ずっと好きだった。私が良いって言ってくれて、それがずっと、私の支えだったの。これが、私の『友達には』絶対に言えなかった秘密」
あぁ、と思う。
そうか。加奈子はずっと、恋をしていたのだ。
そりゃそうだ。光佑は凄い奴なんだから。
誰も彼もが光佑を好きになっていく。
それは当然のことだ。
でも、それを光佑に伝えてしまえば、俺は二人と一緒には居られないだろう。
二人の邪魔になりたくなくて、離れようとしてしまう。
だから言えなかったのだ。
ずっと気を遣われていたのだ。
「急にこんな事言って、驚いた?」
「あぁ」
「まぁ返事が欲しい訳じゃないから、忘れても構わないよ」
「忘れないよ。忘れるわけが無い」
「そ、そう」
水に濡れた髪を弄りながら、赤くなった頬で顔を逸らす。
そんな加奈子を見ていると、何だか心臓がドクドクと早くなって、落ち着かない。
俺はそんな自分の状態を誤魔化す様に、加奈子に早く水から上がる様に促した。
俺は持っていたタオルで体を拭きながら、こっそりと加奈子を盗み見る。
濡れた髪が肌に張り付いて、僅かな光の中で白い肌を晒している加奈子は、俺が今までに見たどんな物よりも美しかった。
呼吸が出来なくなるくらいに。
きっとこんなに美しい加奈子なら光佑も喜んで付き合うだろう。
そうなれば二人は幸せになる筈だ。
俺はそんな二人を見る事が出来れば幸せだ。
その筈だ。
光佑と加奈子が互いに見つめ合い、笑い合っている姿を想像して、何故か胸の奥がチクりと傷んだが、俺はそれを無視する。
そしてジャージに着替えた加奈子を途中まで送り、一人家に向かうのだった。
当然の様に母さんには卒業式で何やってんだと怒られたが、俺はそれどころでは無かった。
頭の中では加奈子の姿が何度も現れ、そして好きだと囁いてゆく。
それは俺に向けたものでは無いというのに、俺は胸が高鳴ってしまった。
そして、俺はそんな気持ちを振り払う様に眠り、夢の中でも加奈子と触れ合う様な夢を見たせいで、早朝誰もいない所で下着を洗う事になってしまった。
情けない。
いったい何をやっているんだ俺は。と自分を殴りつけたい気持ちを抱えつつ、邪な気持ちを振り払う為に町内を走り回るのだった。
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