第2話 光の弟

 今年で俺は二十七になる。家を出てもうすぐ十年くらいだろうか。

 今はもう、生きてるのか死んでるのかすらも知らない、俺と同じクソ野郎な父親とはやはり血は争えないのか、俺は子どもの頃から音楽が好きだった。

 もう小学生の頃には作詞作曲をし始めて、今でもそれで細々と飯を食っていっている。


 小さな芸能事務所に所属して、フェスに出してもらったり、動画投稿サイトに楽曲をアップしたりするシンガーソングライター。

 それが、凡人の俺の今だ。


 季節は八月の半ば。残暑とは言うが、まだまだ夏の盛りで死ぬほど暑い、ちょうどお盆の時期。日本各地は帰省ラッシュで騒がしい。

 しかし、最近は大雨が続いているので、酷暑と多湿も相まって、一週間前に最悪なことにもエアコンがぶっ壊れてしまった狭いアパートの我が家は半ば地獄と化している。

 今朝の天気予報では「一日、晴れのち曇り」の予報だったはずが、昼過ぎの今は土砂降りだ。

 温い扇風機の風を浴びながら、俺は意味もなくつけっぱなしのテレビを横目に煙草の煙を吐き出して目の前のテーブルに突っ伏す。

 もうTシャツも短パンも全部脱いで、夏の一人暮らし正装パンイチにでもなってしまおうか。


「あー……あかん。何やこの蒸し暑くて息苦しい不快な空間。んな地獄環境で仕事なんかしてられるかボケ」


 愚痴を零した拍子に、面倒臭くて何年も切ってなかった長い黒髪が耳から落ちてきて、口の中に侵入してくる。


「髪も暑苦しい……はあ……今ここで切ったろうかな……」


 ますます不快感が増してきて、俺は髪をかき上げて立ち上がるとヘアゴムを探した。

 ピンポーン。

 不意に、インターホンが鳴った。

 ちょうどヘアゴムを見つけて髪を適当に括っていた俺は、思わず小さく舌打ちをして煙草を灰皿に押し付けると玄関へ向かう。

 暑さで頭が回らないが、おそらく宅急便か何かだろう。

 俺は扉を開け放って、挨拶をしようと口を開いた。


「はーい。こんに、ち……は……」


 玄関の前に佇んでいた人物の姿が目に入った瞬間。挨拶の途中で、声が変に裏返った。

 そこにいたのは、177cmはある俺でもかなり首を傾けて見上げなければならないほどの、高身長の大男。

 この土砂降りの中、傘もささずに来たのか頭から爪先まで全身がずぶ濡れ。そのせいで、服がぴったりと身体に張り付いていて、男のガタイの良さもすぐにわかった。

 否、すぐにわかったのはそんな事じゃない。


「ええと、こんにちは。突然すみません、あーっと……」


 大男が視線を泳がせて、どこか気まずそうに声を漏らす。

 俺は思わず、大男──その少年のいやに大人びている顔を凝視しながら、ポツリと久々にあの名前を口に出した。


「お前……アカリやん」


 一目見た瞬間、確信した。間違いない。目の前にいるこの少年は、弟の「アカリ」だ。

 俺が名前を零した途端、アカリはみるみるうちに眼窩から零れてしまいそうな程に目を見開いて、とっくの昔に声変わりしたのであろう、俺には新鮮に聞こえる声を大きく上げた。


「え……え!? わかります!?」

「いやわかるに決まっとるやろ。つか、お前、デカ……デカ過ぎひん? あと何でそないな濡れ鼠になっとんねん!? ちょ、早うウチに入り! 風邪ひくやろ!?」


 ほぼ十年ぶりの弟との再会に混乱しながらも、とにかくアカリに風邪をひかせるわけにはいかないと、俺はアカリを家の中に招き入れた。





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