第2章 オトコ嫌いの百合天使
第6話 帰ってきてよバカ兄
デートを終えて解散すると、送迎場所として指定された新宿アルタを訪れる。付近のパーキング・メーターで車を停めて待っているらしい。マップが表示されたスマホの画面に目を落としつつ目的の場所へ向かうと、
「私たちこのあと暇なんで一緒に飲みませんかぁ?」
「本当は今日合コンだったんですけどー、急に中止になっちゃって時間持て余してるんですよねー。飲み代ならウチらが奢るんでお話しましょうよー」
黒服こと犬飼さんが二人の女子に言い寄られていた。浮かれているのか、犬飼さんの表情は緩み気味。「えー、こんなオッサンでええの?」と頭を掻きながら思案していると、「あっ!」目が合った。僕の存在に気づいた犬飼さんが「おーい! 虎介クーン! こっちこっち!」無邪気な笑顔で手を振ってくる。見つかってしまった。
「──うちの息子です!」
犬飼さんが肩を抱き寄せてくる。距離感バグってんな。
それを見て何かを察したらしい二人は、ばつの悪そうな顔をして足早に去っていった。遠ざかっていくその後ろ姿を見送ると、犬飼さんが目配せしてきた。……それよりいつまで僕の肩を抱いてるつもりなんだろうか。なんか手つき怪しいし。
「いやー、ホンマに子供って感じやなぁ、肉感っていうか触り心地が。上手く言葉にできんけど、なんか尊い感じがする。荒んだ心が癒やされるわぁ」
えっ、怖い。この人なに言ってんの?
犬飼さんが真剣な面持ちで僕を見下ろした。
「試しに一回『パパ』って呼んでみいひん?」
「嫌です……」
「うーん、そっかー。ほんなら『父さん』でええよ」
「それも嫌です……」
「じゃあせめて『仁さん』って、名前で呼んでくれん?」
「あ、それならいいですよ」父さん呼びよりはマシだし。
「……くくっ、心理学様々やなぁ」
「今なんか言いました?」
なにもー、と仁さんが目を背けた。良いことでもあったのか、嬉しそうな顔をしていた。
セダンの後部座席に腰かけると、運転席に座った仁さんが中身の詰まった紙袋を僕に手渡した。それは見慣れたハンバーガーショップのものだった。
「お腹、空いとるやろ?」
「……! ありがとうございます!」
ちょうどお腹が減っていたところだ。ありがたくいただこう。チーズバーガーとポテトをむさぼり食い、グレープジュースで乾いた喉を潤す。完食後、油にまみれた手を紙ナプキンで拭いていると、
「そういえばメリィさんいませんね」
「社長なら助手席でぐっすりや」
覗いてみると、メリィさんがすぅすぅと寝息を立てていた。天使のような寝顔だ。黙ってたら可愛いのになんて失礼なことを思う。
「体育祭の練習で疲れてんねやろ」
そのまま永眠してくれんかな、と仁さんがぼやく。
体育祭の練習ってことは、メリィさん学生だったのか。そこまで意外じゃないけど、どんな学園生活を送っているのかまるで想像つかないな。友達いるんだろうか。
「……っもう、ざけんじゃないわよぉ……なんでクラスTシャツに……わたしの名前だけ載ってねぇんですのぉ……」
気の抜けたふにゃふにゃ声でメリィさんが呟く。寝言か?
「にしても初日からどえらい目に遭ったなぁ。同情するわホンマに」
うんうん、と物知り顔で仁さんがうなづく。まるでデートの一部始終を見ていたかのような口ぶり。
「……デート、見てたんですか?」
「いや」仁さんは首を振った。「でも虎介クンのデート相手がどんなヤツかくらいは知ってる」
仁さんは続けた。
「あれは怪物や。それ以上でもそれ以下でもない。人類にとっての天敵。核兵器なんかよりよっぽど危険な連中や。なまじ感情があるせいで状態が常に不安定やから、さっきみたく街のど真ん中で急に暴れ散らかす。制御が利く分、核兵器のがお利口さんやね」
「……運動音痴に創作ダンスやらせるとかぁ……頭沸いてんじゃないの……陽キャの自己満足に……わたくしを巻き込んでんじゃねぇですわよぉ……」
メリィさんちょっと黙ってて。
「せやから国のお偉いさん方は、多額の金銭や娯楽を提供して連中の機嫌を伺っとる」
お金持ってるわりに定職に就いてるようには見えなかったけど、そうか、国から貢いでもらっていたのか。俗にいう、いただき女子ってやつなのかな、朱華さんは。
「ほんで、そんな激ヤバな連中に『恋愛』っちゅう娯楽を提供するのが、うちの団体の役目。……日本政府からの頼まれ仕事ってわけや。表向きは高級デートクラブと銘打っとるけど、その実態はバケモン相手の接待業務。そしてそれが君の仕事や、虎介クン」
「!! じゃあ最初からそのつもりで……朱華さんの正体を知ってて、僕にその仕事を持ちかけたってことですかっ?」
仁さんは「ごめんな」とうなづいた。振り返ってみれば、不審な点はいくつかあったように思える。
「多重債務者の中から勇者を選出するってなったとき、社長、虎介クンが適任や言うてな。前々から目ぇつけてたらしいねん。君には見どころがあるからって」
「見どころ」
「せや、キミには──ヒモの才能がある」
「ヒモ?」
「自分は働かんで彼女の金で生活してるクズのことや」
「うわっ、クズですね。……えっ、じゃあその才能がある僕って……」
「大丈夫。今んとこ問題ないから。虎介クンはええ子や。今んとこは」
そこは嘘でもいいから、ちゃんと否定してほしかった。
深夜、自宅のアパートに到着。道路脇に車を停めると、仁さんが後ろを振り返って僕と顔を合わせた。
「裏社会の先輩からひとつアドバイスや」真剣な顔で言う。「たった一つだけ、これだけは絶対譲れへんっちゅうモンを決めとき。それのためなら手を汚してもかまわない、それ以外の全てを犠牲にできるって思えるやつをな。そしたら迷わんでよくなるから」
なあ虎介クン、仁さんが僕に呼びかける。
「……ごめんな。こんなことに巻き込んで。罪滅ぼしやないけど、もしなにか困ったことがあったら俺を頼ってくれてええから」
僕は曖昧にうなずいて、車のドアに手をかけた。「虎介様」呼び止めたのはメリィさん。やっと起きたのか。僕は振り向き、続きの言葉を待つ。今にもまた閉じそうなまぶたを擦りながら、メリィさんは告げた。
「新規の方が、明日お会いしたいとのことです」
「マ、マジっすか」
***
心猫が、自宅のダイニングテーブルの脇で、車椅子の背もたれに寄りかかって寝ていた。時計の短針がてっぺんを刺さんとする中夜。遅くとも二二時までには自室へ消える心猫が、こんな時間帯に部屋の外にいるのは珍しい。
テーブルの上には未開封のカップ麺が四種類ほど置かれている。心猫の前にも一つあったが、それは既に完食済みだった。食べ終えたのに、なぜこの場を離れずそのまま眠ってしまったのだろう。
「心猫」
座った状態での睡眠は体に悪いので、一旦起こしてやる。歯磨きもさせなきゃだしな。
心猫が寝ぼけ眼で見上げてくる。
「……んあ、お兄ぃ、おかえりぃ」
いつも反抗的な妹の口から『おかえり』が出たことにちょっぴり驚いて。
「ただいま」僕はテーブルの上を片付けながら。「座ったままだと首とか痛めるから、ちゃんとベッドで寝なきゃだめだぞ?」
コクリとする心猫。寝起きは素直な我が妹であった。
「もう歯磨いた? お風呂は?」
「とっくに済ませた」
寝る準備は万端のようだった。ならどうしてダイニングに?
「そっか。じゃあ早く寝よっか。夜更かしは体に悪いからさ」
「……お兄ぃのバカ。誰のせいだと思ってんの」
心猫がぷくりと頬を膨らませる。いきなりそんなこと言われても困っちゃうよ。
「部屋まで行くの、手伝って」
上目遣いで頼まれた。ずるい妹だ、と思う。
車椅子を部屋の前まで押してやると、今度は「ベッドまで運んで」と命令してきたので、僕はそれに大人しく従った。必要もないのにドアをノックして、入室。「バカじゃん」という呟きが前から聞こえてきた。兄ちゃん、頭悪くてごめんな。
妹の部屋に入るのは久しぶりだった。全体的にベージュがかかった、温かみのある内装。ふつうの女の子の部屋って感じだ。勉強机にはパソコンや教科書、そして七歳の誕生日に僕が贈った猫のぬいぐるみが置いてある。
ベッドの上には、一冊のフォトアルバムがあった。横に退けようと手を伸ばせば、「っ、触んな! 見んな!」と叱責を受ける。よほど癪に障ったのか、心猫の顔は朱に染まっていた。小さい頃の写真、見られたくないのかな?
(あれ。でもこれって僕のじゃないか? 名前書いてあるし)
心猫は、何も聞くなと言わんばかりのしかめっ面で、「ぐぬぬ」と声を漏らす。怒られたくないので、僕は早く部屋を出て行こうとした。すると手首を掴まれる。「『ベッドまで運んで』って言ったじゃん……」抱き上げてからベッドに下ろせと? さすがにそれはちょっと厳しいぞ。筋力的に。
「お兄ちゃんの筋力をあまり過大評価しないほうがいいよ?」
「そういうお兄ぃは私の体重を過大評価しないでくれる?」
その返しは反則すぎる。もし今ここで首を横に振れば、『心猫の体重が重いから』という理由で断ったことになるじゃないか。……兄ちゃんを悪者にしないでくれよ。
やむをえまい。僕は明日筋肉痛になる覚悟を決めると、「うおおおおおっ……」全力で心猫をお姫様抱っこして、息を切らしながらも慎重にベッドに下ろした。予想どおりのヘビー級。いくら瘦せていても、身長が高いうえに他の発育もよろしいので軽いわけがなかった。
「あのさぁ」
毛布を頭まで被り、ひょこっと半分だけ顔を出す心猫。その口元はうかがえない。
「私、今日、お兄ぃの学校まで行って先生に聞いたんだけどさ。夜間散歩部なんて部活、どこにもないって言ってた。じゃあ同好会ですかって聞いたら、それも違うって」
ギクゥ! 嘘がバレてしまった。しかもたったの一日で。てかフットワーク軽すぎんだろ!
「……お兄ぃの嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき」
「ごめん」
気の利いた言い訳は、思い浮かばなかった。
「ホントに、ムカつく。しかもあんなバレバレな嘘ついて。バカじゃん。目だってめっちゃ泳いでたし。バレないとでも思ったの……?」それからしばらく沈黙が続いたのち「でも」と心猫が言った。「なんで嘘ついたとか、私聞かないから。重い女って思われたくないし」
「……? それなら大丈夫だよ、全然軽かったよ?」
「お兄ぃのクソバカ! 体重の話じゃないんだけど!」
あれ違った? たしか重い女がどうとか言わなかった?
「ああもうようするに……いつか本当のこと話してってこと! ……私、待ってるから」
消え入るよう声で僕は「うん」とうなずいた。妹に余計な気を遣わせて、自分はなんて情けない兄貴だ。
「絶対、いつか必ず、話すから」
それは来年かもしれないし、数十年後かもしれない。もし話せる日が来たら、そのときは愉快な思い出話になっていればと思う。
魔々活男子よ億稼げ 可児俊 @pacopaco8585
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔々活男子よ億稼げの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます