第4話 どうすりゃいいんだ
メリィさんから提供されたマニュアルに、『決断力のある男性はかっこいい!』と書かれてあったのを思い出した僕は、ハキハキした口調を意識しながら「気になってるイタリア料理のお店があるんですよ。行きませんか?」と朱華さんに提案した。ちなみに今挙げた店はメリィさんのチョイス。朱華さんの反応はというと、
「気分じゃないかな」
さっそく出鼻をくじかれた。メリィさんのせいだ。
「そもそも私、お腹空かないし」
それは、夕飯は食べないという意味で受け取っていいのだろうか。
「だったらカフェで──ぐぇっ」
リードを引っ張る朱華さん。やめて。首締まるから。
「私、行きたいところあるんだよね」
なんというかこの人は、マイペースというか自己中心的すぎる。最初、どうしてこんな美少女がマッチングサービスを利用したのか不思議でたまらなかったけど、今ならその理由がわかる。大金という餌で繋ぎ止めておかなければ、相手は彼女の傍若無人っぷりに耐え切れず逃げ出してしまうからだ。それは他者を顧みないエゴイストであるがゆえの悲劇か。金銭という対価無くして、誰も彼女とは遊んでくれない。自業自得ながらも不憫に思う。
「わ、わかりました。そこ行きましょう」
朱華さんの希望によりゲームセンターで遊ぶことになった。これは予期せぬ事態だ。初回はまずカフェかレストランで談話するのが鉄板で、あらかじめそれを想定したイメージトレーニングを積んでいたのだが、当初の予定が狂ったせいで、その成果を発揮できる場を失ってしまった。うーん、困ったな。飲食店に立ち寄れないとなると『料理のメニュー表から会話を広げる作戦』を実行できないじゃないか……。
「朱華さんっ」
遊技場へ向かう道中、隣を歩く彼女に声をかけた。心臓の鼓動が早まる。
メリィさんから授かった攻略マニュアルを横目に、僕は次の言葉を考える。
対話は、他人との距離を縮めるに最も効果的な手段だ。とにかく積極的に喋りかけて、朱華さんの好感度を少しでも稼いでおきたい。とはいえ、女子と話すのは得意じゃないので、とりあえずマニュアルを参考にしながらやってみることにする。
よし。まずはこれから試してみるか。
【① 自分の将来の夢や目標を語ろう】
ママ活女性の多くは、若い男性の何かに打ち込んでいる姿に弱いそうだ。
「実は僕、夢があって──」
と、そこでぷつりと言葉が切れた。借金のことが脳裏にちらついて、将来を考えるのが急に怖くなった。夢は一応、あるにはあるのだけれど。きっと叶わないんだろうなと思ったら、口にするのが躊躇われた。勝手に自爆してメランコリーな気分に陥っていると、朱華さんがリードを引っ張って続きを催促してくる。
「焦らされるの嫌いなんだよね。続き言ってよ。3秒以内ね。はい、3、2、1──」
「妹と海外旅行に行きたいんですっ」
急かされて、つい答えてしまった。いや、これでいいんだ、今は。
「大人になって、いっぱいお金を稼いで、それで、クルーズ船で世界を一周するんです。まあ行けてもたぶん何十年後とかになるんでしょうけどね。あはは……」
自分で言ってて悲しくなってきた。そんな幸せが訪れる保証なんてどこにもないのに。
「羨ましいな。私にはそういうの無いから」朱華さんは独りごちた。「夢を見ることは、限られた命を持つ者の特権だよ」
それを最後に会話は途切れた。朱華さんの発言が妙に詩的だったので返事に困ってしまった。どう返せばよかったんだ。
……気を取り直して、次の話題に移行しよう。
【② 共感して寄り添ってあげよう】
女性は共感欲求が強いらしいので、相談に乗ってあげるといいそうだ。
「最近なにか悩んでることありますか?」
ちょっと直球すぎたか。
「とくに無いかな」
「無いんですかっ!?」
「あった方がよかった?」
「そりゃ無いに越したことはありませんけどっ……」
話のネタがなくて困るんですよ僕が。
強いて挙げるなら、と顎に手を当てながら朱華さんが言う。
「ひとつだけあるよ。本当に取るに足らない悩みだけど」
「ぜひ聞かせてください!」
僕は一言一句聞き漏らさないよう聞き耳を立てる。人間関係に関する悩みがきたら『それは相手が悪い。俺ならそんな思いさせないのに』という台詞、仕事関係なら『それは相手が悪い。俺ならそんな思いさせないのに』という台詞、金銭関係なら『それは相手が悪い。俺ならそんな思いさせないのに』という台詞を口にしながら相槌を打てば上手くいくらしい。マニュアルにそう書いてあった。なので今からそれを実践してみる。
「実は、元カノ──」
お、これは人間関係の話題だな。……元カノ?
「を自称するストーカーに首を狙われてるんだよね」
「あーそれは彼女が悪いですね、僕ならそんな思いさせ──えっ、首を狙われてるっ?」
戦国時代かよ。あと命狙われてることを取るに足らない悩み事で済ませちゃダメだろ。
(……って、さすがに嘘だよな。まったく、変な冗談はやめてほしい)
さてはこの人、最初から真面目に相談する気ないな。今の発言とか明らかに嘘だし。きっと、相手が中学生だからと侮っているのだろう。子供扱いされるのはあまり良い気分がしない。
【③ お姫様扱いしてあげよう】
お姫様扱いされるのが女性の願望らしい。ただし行き過ぎると逆効果のようだ。
といっても、お姫様扱いって具体的に何をすればいいのだろう。
車道側を歩くとか? 今の並びを確認すると、朱華さんが車道──右側を歩いている。位置を変える必要がありそうだな。悟られないよう、さりげなく実行に移すとしよう。僕は朱華さんの背後に素早く回り込むと、
「ぐえっ」
リードが引っ張られたことにより頸椎が圧迫され、つい間抜けな声を漏らしてしまう。朱華さんのせいじゃない。僕が動いたことでリードが引き延ばされたのだ。それゆえに起きた事故。そういえば首輪のことすっかり忘れていた。
「……なにやってるの虎太郎? マゾなの?」
朱華さんが怪訝な目で僕を見る。誤解なんです。
マニュアル通りにやってみたが全部失敗に終わった。メリィさんのせいだ。
はぁ、と息を吐いて、空を仰ぐ。新宿の空は狭くて、晴れているのに星が見えない。地面を見下ろせば昼間のように明るくて、この街はいつ眠るんだろうなと思った。
度重なる失敗で、僕は自信を喪失しかけていた。最初から向いてないとわかっていたけど、まさかこれほど適性が無いなんて。こんな調子で僕はやっていけるのだろうか。不安でしょうがない。
右を向くと、朱華さんの綺麗な横顔があった。紅玉のような瞳はずっと前だけを見ていて、きっと僕なんか視界の端にさえ映っていないのだろう。
そういえば、と今になって改めて思う。
はじめて会ったときからずっと、朱華さんの足取りは、ばね仕掛けの人形のようなギクシャクしていた。どうしてずっと忘れていたんだろう。彼女は今にも躓いてしまいそうなのに。
……これじゃ人のこと言えないな。自分のことばかり考えて、隣を歩く彼女に寄り添おうとしなかった。小手先のテクニックばかりに頼って、それで上手くいくと信じて。本当に馬鹿だ。
目的地のゲームセンターがようやく見えかかった頃、僕は朱華さんの手を取った。支えになれれば、と思った。冷たく無機質な感触が手袋越しに伝わってくる。それが人間の手じゃないと直感的に理解したけど、僕はなにも訊かなかった。それどころじゃなかった。だって物凄くドキドキしていたから。
ほどなくして、ようやく手を握られていることに気づいたらしく、朱華さんが顔を向けてきた。そのときどんな表情をしていたのかは僕にはわからない。恥ずかしくて前の方ばかり見ていたから。
ゲームセンターの手前で、勇気を振り絞って目を合わせようとしたら、ちょうどタイミング悪く朱華さんがそっぽを向いた。五月半ばの温暖な時期にもかかわらず、そのときの朱華さんの耳は赤く染まっていた。
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