第2話

 頭痛がする。立っている地面が歪んだような感覚がした。悪い冗談だと否定しようとするたび、積み重ねてきたはずの記憶が輪郭を失っていく。


「俺の、16年間は……?」

「成長の速いクローンの記憶は、簡単に再現できてね。誕生後に電気信号による刺激を定期的に与えることで過程をスキップできる。お前が1週間だと思った記憶はたったの3日かもしれないし、1日だと思ったものは2秒に過ぎないかもしれない。昨日の自分と今日の自分が同じだと、誰が証明できる?」


 何かを否定しようとするたびに、それを否定する材料がないことを実感する。指で顳顬こめかみを押さえながら、俺は質問にさえならない言葉をぶつける。


「なんで、なんでこんな事を……?」

「産まれた理由なら、“跡を継ぐ”ことだ。お前は4代目なんだから」

「それって、クローンの……」

「クローンの寿命は短くてね。たった20年しかないんだ。俺が3代目の活動を終えるまで、あと4年。本当なら、産まれて10年目に告知してクローン製造の技術を叩き込むんだが……」


 俺が親父だと思っていたものは、オリジナルから数えて3代目のクローンだった。遺伝なのか、寿命の半分を超えた瞬間に突如として加齢するらしい。それが正しいなら、俺は4年後に禿げ上がる計算になる。


「そうやって只管ひたすらクローンが代替わりする事に、なんの意味があるんだよ……!?」

「さぁな。意味なんか無いのかもしれない。人間が生殖によって自らの遺伝子を遺すことに、意味があるのか?」


 命題を与えられたから、やるだけだ。3代目は冷たく呟き、水泡を浮かべる培養槽の肉塊を眺める。恐らく、これがオリジナルなのだろう。既に人間の原型を留めていない肉塊は、何故自らのクローンを代替わりさせることに拘るのか。混乱した頭で考えても、何もわからなかった。


「クローンの生殖に成功すれば、俺たちは親になる。俺は3代目の敷島しきしまひかるの名を捨て、“親父”になった。子供を養い、責任を持って10年間育て上げる。それが、俺たちの仕事だ」

「ふざけんなッ! 俺にだって感情があるし、意思もある。20年しか生きられないなんて嫌だし、次の世代を産むなんて考えたくない。そもそも、俺は『産んでくれ』なんて頼んでない!」

「……勝手にしろ。お前は、何も成せずに死ぬんだな」


 初めての反抗期だった。俺は親父の頬を殴り、家を飛び出す。整理できない思考が喉を伝い、唸るような声となって虚しく放たれていく。

 こんな倫理的ではない事を続けるわけにいかない。俺がこの場で死ねば、親父はどう思うのだろう。クローンを作るのにも時間が掛かるらしいが、これであの家は末代になるのだろうか?


 数時間が経ち、気付けば歩道橋の上に立ち竦んでいた。

 夜の闇から周囲を見渡せば、無数のカラフルな光が視界に飛び込んでくる。等間隔に流れていくヘッドライトの残光や、そこかしこに広がる民家やマンションの灯り。そのどれもに生活や人生があって、昨日と今日がある。俺には、何がある?

 お前は何も成せずに死ぬ、と親父は言った。今のままだとアイツの思う壺だ。まだ6年しか生きていないのに、俺は死ぬのか?


「……嫌だな。まだ生きていたい」


 たとえ駆け足の人生でも、積み重ねたものが嘘でも。後悔のない時間が20年しかないのは、あまりにも短すぎる。

 生きていく理由を敢えて付けるなら、“産まれたから”なのだろう。産み落とすことが罪でも、生まれることに罪はない。

 怖くても、進むしかない。それが誰かの望む答えではなくても。今、ここで俺が決めたのだから。


 帰宅すれば、親父は黙って料理を作っていた。これも“親”の役割なのだろう。俺は礼を言うと、地下室に行く許可を乞う。親父は黙って頷いた。


「4年後までは好きに使え」

「いいんだな、親父?」

「お前が生殖を成功させれば、不要になった旧モデルは自害する決まりだ。どちらにせよ、俺がこの世から居なくなるまでの期間がそれぐらいだろ?」

「……わかった。大往生させてやるよ」


 地下室へ向かった俺は資料を広げ、寝る間を惜しんで脳に技術を叩き込む。オリジナルや旧モデルが継いできた叡智の集合に、他のモデルよりも多い時間。与えられた条件は、これを成り立たせるのが現時点で俺だけだということを意味する。

 俺は最新式だ。旧型に負けるわけにはいかない。

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