お隣さんと夜空に浮かぶ月の下でカフェオレを

 それから何があったかと言うと、テンションがぶち上がった親父がどこからともなく酒を持ち出し、大人組で酒盛りを開始してしまったので、皿を洗った後に、はづきさんと一緒に俺の部屋に避難してきた。


「うちの親父がごめんな、はづきさんの部屋占領しちゃって……」

「別に大丈夫ですよ。なにより、お父さん達が仲良くしているのはいい事ですから」


 玄関で靴を脱ぎながらはづきさんにそう問いかけると、彼女も苦笑しながら返事を返してくれた。


 そして、猫の置物を優しい微笑みをしながらひと撫でする。この前もそうだったけど、うちにある猫の置物を見る度にそんな反応をするのでちょっと恥ずかしい。

 この置物はお隣さんバレがあるよりも前に、彼女の誕生日の時に雑貨屋で買ったお揃いの置物。今はまだ猫の置物だけだけど、もっと特別を増やしていくのもいいかもしれない。

 ふと、いつも同じ反応をする彼女に対してからかってやろうと思いついたので、勢いで提案してみる。


「今度、もっと一緒のもの増やそうか」

「へ?」

「そうだなぁ……マグカップとかどう?」

「ちよっ、葵さん?!」

「キーホルダーとかもいいな」


 なにやらワタワタしているはづきさんが可愛らしくて、畳み掛けるように色んなものを提案してみる、そうするとこれまたワタワタと……

 それから何個か提案していると、少し落ち着いてきて、からかってきた俺への意趣返しなのか挑発的な笑みを浮かべて。


「でしたら……」


 と乗ってきてくれたので、そのまま一緒に欲しいものを提案し合う時間となった。





 玄関から部屋に入って、欲しいものを話し合っていると時間としてもいい時間だったので、お風呂を沸かしてから、遠慮していたはづきさんを説き伏せて、先に入ってもらう。


「お風呂ありがとうございます」

「早いね。もっと長く浸かっていても良かったんだよ?」

「家主を置いて長風呂する訳には行きませんよ」


 それから程なくして、濡れている事で艶かしい光沢を放つ美しい黒髪を、タオルで抑えながらはづきさんがお風呂から上がってきた。

 お風呂上がりで紅潮した頬も合わさってほんのりと彼女に色気を感じてしまい、思わず見蕩れていると、イタズラめいた表情をしたはづきさんがソファに座った俺の前に滑り込むように座ってくる。

 その瞬間、ふわりと漂うシャンプーの香りを感じた。

 同じものを使っているはずなのに、どうして俺とこんなに香りが違うのだろうか……そんな些細なことに女の子を感じでさらにドギマギする。


「葵さん、ドライヤーかけてもらってもよろしいでしょうか?」

「えっ?」

「はい、どうぞよろしくお願いします」


 はづきさんが突然言ったことに反応出来ないでいると、俺の返答を待たずにドライヤーを手渡される。

 片手に持ったドライヤーと前に座ったはづきさんのしっとりと濡れた髪を交互に見つめる。気になっている女の子の髪を乾かすという大役を俺に出来るのだろうか?

 そんな考えも思い浮かんだりしたけれど、このまま放置してはづきさんの髪が痛む方が嫌だなと思ったのもあるけど。

 なにより、楽しそうに頭を軽く揺らしているはづきさんを見て少し緊張が抜けたので、大人しく櫛を使って髪を梳かしながらドライヤーの風を当て始めることにした。


「風が熱くありませんかー」

「ふふふ、大丈夫でーす」


 演技じみた口調ではづきさんに問いかけると、彼女もそれに乗っかってくれて、楽しそうに返事を返してくれる。そんなやり取りがとても楽しい。


「そういえば、今日の配信しなくてもいいのか?」

「私もそこまでの配信ジャンキーでは無いですからね。たまにはお休みです」


 細くしなやかな髪を梳かし、ドライヤーの温風を当てながら世間話を始める。

 ただでさえ最近は雨宮 隣としてデビューするための準備を手伝わせている状態だからな、少し心配になって尋ねるとそんな答えが返ってきた。


「配信する事は好きですけど、少しは休まないとすぐに潰れちゃいますから。まあ、こわちゃんさんとかは配信ジャンキーなので、いつ休んでいるんだろう?と思うくらいにはしていますけどね」

「あれは体力が無限にあるのと、喉が鋼で出来ているんだろうな……」


 この前のオール配信視聴の時にこわちゃんのチャンネル開いた時に、数時間の枠が何本も立っていた事や、フェアリップで出会った元気っ娘を思い出しているとはづきさんと視線が合う。

 彼女も同じことを思い出していたのか一緒に苦笑をこぼした。


「さてと……ドライヤーはこれでいいかな」

「ありがとうございます葵さん。誰かにやってもらうのって結構気持ちいいんですね」

「機会があったらまた今度やってやるよ」

「あら、でしたら今度からたまにお願いしましょう」

「あれま……それじゃあ、その大役を承りましょうかね」


 からかうように声をかけてきたはづきさんに対して、大仰な感じで返事を返すと顔を向き合わせて一緒に笑いあった。




「今日はとりあえず、俺の部屋で眠ってくれ。俺はこっちで眠るから」


 あの後、俺も風呂に入った後に親父たちの方を確認してみると楽しそうに酒を交わしていたので、今日のところは、はづきさんには俺の寝室で眠ってもらうことにした。

 俺はとりあえず親父の部屋で眠ることにする。

 いきなりそんな事になったら、押し問答をするのは当たり前で、とは言っても内容としてはいきなり寝室を借りなければいけなくなったことであって。


「葵さんの部屋を借りるなんて、申し訳ありませんよ。私はソファで十分です」

「ダメ。ソファで眠って体を痛めたり、体を冷やしちゃったらこっちの方が申し訳なくなるから」

「でしたら、私がそちらの部屋で眠るのはどうでしょう?」

「ああ……こっちは」


 はづきさんに親父の部屋で眠ることを提案されたけど、ある事情でこっちで眠ってもらうのはちょっと躊躇ってしまうのだ。


「……母さんの仏壇がこっちにはあるんだ」

「あっ……それでたしら、しょうがないですよね。無理を言ってすみませんでした」

「大丈夫、気にしてないから」


 俺の言葉にはづきさんもなんと返したら良いのか分からなくなったのか、少しの間沈黙が落ちてしまう。けど、その沈黙を破ったのもまたはづきさんだった。


「……手を合わせても良いでしょうか?」

「えっ?」

「葵さんのご家族ですからね、ご挨拶したいです」


 はづきさんのその申し出にパッと顔を上げると、真っ直ぐと見つめてくる彼女と目が合った。

 家族に挨拶をしたい……そう言ってくれるはづきさんに胸の奥が温かくなった気がした。


「じゃあ、お願いしようかな。俺も母さんにはづきさんを紹介したかったからね」

「初めての挨拶ですからね、少し緊張します」

「あまり気負わないでいいよ。母さんは気さくな人だから。葵が女の子を紹介に来た!って楽しそうにしてくれるよ」

「ふふ、そう思って貰えると私も嬉しいです」


 はづきさんを親父の部屋の母さんの仏壇の前に案内する。その間に緊張をほぐすかのように会話を交わす。家族の事を親父以外の人と話すこと、そんな機会が訪れることがあるんだな、そんな事をその時の俺は考えていた。


「……料理とか家事。そう言った事はさ、母さんに教えて貰ったんだよね」


 仏壇に飾られた、写真に向けてはづきさんが両手を合わせて黙礼をする。その写真に写った女性は今の俺の容姿によく似ていて、大人にしてさらに女性らしくなったらこんな容姿になりそうという感じ。

 そんな母さんがカメラに向かって微笑んでいる美しい瞬間がそこに写っていた。

 そんな光景を見ながらふと、言葉が溢れ出てきた。


「まえさ、俺って家族の時間を欲しがっているんだろうなとはづきさんは言ってくれたよね。正直さ、それ結構的を得ていてさ。母さんと一緒の時間を過ごせなくなって、親父がそんな俺のために時間を割いてくれて、でもそれも申し訳なくなって」


 そんな時にはづきさんが俺の前に現れた。

 俺のその独白に彼女は下げていた頭を上げてから振り返り、静かに見つめ返してきた。


「一緒の時間を過ごすことが長くなって、母さんに教えて貰った事を凄く褒めてもらって。それが本当に嬉しかった」


 彼女がどう思っているのかは、普段の感謝の言葉を聞いていると大体わかる。でも、今はこれだけは言わせてもらいたいかなと思い、溢れ出てくる言葉をそのまま伝えることにする。


「俺の作ったご飯を美味しいと言ってくれてありがとう、一緒の時間を過ごしてくれて、ありがとう」


 最後まで言葉を言いきって軽く頭を下げる。

 少しの間そうしていると、両手を小さな手のひらが持ち上げて包み込む。伝わってくるその熱が心地よく感じた。


「私も感謝しています……いつも、ありがとうございます」


 お互いに感謝の言葉が出てくるのが嬉しくて、一緒に笑いあった。そう思い合える相手がいる事を母さんに紹介できたのが嬉しい。

 少しの間そうしているとはづきさんが握ったままの手を少し引いてから声をかけてきた。


「葵さん、少しベランダに行きませんか?今日は月が綺麗だと思いますよ」

「?……分かった。ちょっと待ってて、冷えたらいけないし何か温かい飲み物入れて来る。そこにブランケットもあるから、良かったら使って」

「分かりました。じゃあ、先に外にブランケットを持って出てますね」


 それから、お湯を沸かしてカフェオレを入れてから外に出る。ベランダに置いてある椅子に座って月を見上げていたはづきさんがこっちに気づいて視線を向けて微笑む。俺は手に持ったコップの片方を手渡しながら彼女の隣に座った。


「ほら、カフェオレ。熱いから気をつけて」

「ありがとうございます。うん、甘くて美味しい」


 カフェオレのほのかな甘さに頬をほころばせ、月をまた見上げるはづきさん。多分、外に誘って来たということは何か話したい事があるんだろうなと思い、一緒に静かに月を見上げる。

 少ししてから、ぽつりと零れるように言葉が聞こえ始めた。


「私、ひとり暮らしを始めた理由を前に教えましたよね」

「うん、確かご両親のためと玲さんと同じようにしたんだよね」

「はい。まあ、本当の事を言うとそこにもうひとつと言うか、今思うとちっぽけな理由もあったんですけど」


 そう言って話し始めた内容は今の彼女に取ってはつまんないプライドだったと笑って話せる内容だったようで。

 簡単に言うと玲さんに対して勝手に対抗意識を抱いていたらしい。

 歳が離れているから、学校が一緒になることもない、周りの人たちも優しくて比べられることもない。

 けど、小さい頃から知っている身近なすごい人。

 その人に追いつきたいから色々な無茶をしていた。

 結果、生活もボロボロになって行って、どうしようもない状態で色々と堂々巡りとなり始めた日々。


「でも、 そんな時に葵さんに出会えました」


 私の一番の幸運です。そう言いながら恥ずかしそうに伝えてきてくれたはづきさんに、こっちも恥ずかしくなったのでコップをクルクルと回して中身のカフェオレが作り出す渦を見つめた。


「葵さんのおかげで誰かに頼ることは恥ずかしくないことなんだって気づけて。頼ったぶん相手に返して、そんな関係を築いていけるのが大事なんだなって思えるようになりました」


 ついでに言うと、配信でなんだかんだ1番ウケが良いのがお隣さんネタだったらしい。

 人気が出たのも俺がお世話を焼き始めた頃みたいで、その頃から自分の私生活の一部を話したり、冗談も言えるようになって見てくれる人が出始めたからだとか。


「これからも一緒の時間を過ごしていきましょうね葵さん」


 自分のことを話し終えたはづきさんは、俺の事を見つめて笑みを浮かべながらそう言ってくれた。


 その日見た笑顔は月よりも美しかった。






 あの後、夜が明けて朝になって部屋にやってきた親父が、母さんに挨拶したあと、もう仕事に戻らないといけないと言ったので見送りに玄関に出た。


「もう少しいればいいのに」

「すまんなぁ、葵に早く会いたくて無理した」

「案の定かよ……」


 悪びれることをなくそう言われたので呆れているとタクシーがやってきたので、それに親父が乗り込む。


「そう言えばさ、なんか報告したいことあるとか言ってなかったっけ?」

「ん?ああ、言ってたな」

「結局なんだったの?」

「それはなぁ……」


 タクシーの窓から顔を出した親父が勿体ぶるような感じでドヤ顔を決めてきたのがうざったかったので、早くしろと急かすと驚愕の報告をぶちかましてくる。


「父さん、再婚するかもしれないわ」

「……はい?」

「それじゃあ、近いうちにまた戻ってくるから楽しみに待ってろよ〜」

「あっちょっと待って!こんのッッックソ親父ぃぃぃー!!!」


 言うか早いが、親父はすぐにタクシーに出てくれと伝え声を置き去りにしながら言ってしまった。

 せめてもの抵抗に、罵倒の語彙力の少ない俺はそんな文句しか言うことが出来なかったよ……




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この2人なんで、まだ付き合っていないんだろうって作者も不思議に思ってきた

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