お隣さんとのこれからを少し考えてみる
あの後、月城さんに対しての思いに名前が付く前に、有耶無耶な感じになってしまったが、気まずくなるなんてことはなく穏やかな時間が過ぎた。
出来たての甘いアップルパイが、前に作った時よりどこか甘く感じたのは誰と食べているかと言う理由があるのかなと思い、優雅にティーカップを持つ月城さんを見て頬に熱を持った気がした。
「七海さんはこれからマネージャーの方と顔合わせですよね?」
「……あっ。うん、リモートだけどこの後に20時くらいからかな。準備もあるから、夕飯も少し早めに作るよ」
少しボーっとしていたところに声をかけられたので、慌てて言葉を返すことになってしまった。不自然に思われていないだろうか……
そんな不安もよそに、月城さんは特に気にすることなく返事を返してくれる。
「もし、私にも手伝えることがあるようでしたら遠慮なく言ってくださいね。家事のこと以外なら……」
「ふふっ……ああ、その時は遠慮なく頼らせてもらうよ」
「むぅ」
胸を張り、自信満々に小さな拳で叩いたかと思えば、煤けたように視線を逸らした彼女に、申し訳ないけど笑いが込み上げて来てしまう。
それに対して、月城さんは不満げそうに頬を膨らませてしまうけど、その表情すらも可愛らしい。
ふと、魔が差して可愛らしく膨らんでいる頬を指で突くと情けない音を鳴らしながらすぼむ。
「くすっ……うふふ」
「ふふっ……」
その何気ないやり取りが楽しくて、月城さんと目を合わせてから一緒にしばらくの間笑いあった。
月城さんは配信がこれからあるらしく、夕飯を一緒に食べた後に玄関まで見送り、それから1人になった俺はノートPCを持ってきてセッティングする。
時間になったらアプリを起動するが、待機しながらも思い浮かぶのはさっきまでの月城さんとのやり取り。
……なんかカップルみたいな事してなかったか?
少し落ち着いてから思い浮かんだのはそんな思考で……
海斗に言われていた事をいまさら自覚して頬に熱を持ち、悶えたい気持ちになっていると通話部屋に入室があったと通知が来たので、頭を振って一旦思考を切り替えることにする。
そして画面にメガネをかけた男性が写った。
『繋がったみたいですね……まずは自己紹介ですね。それでは、初めまして雨宮さん。これからあなたのマネージャーをさせてもらう事になった佐々木です』
柔和な笑みで自己紹介を行った佐々木さん。彼から雨宮と呼ばれたのが少し違和感を感じてしまったので少し体を固くすると、その反応を見ていたのかクスッと微笑を浮かべる。
『分かりますよ、最初はみなさん名前に慣れていませんからね』
「すみません……」
変な反応をしてしまった事を咎めないでくれた佐々木さんにありがたく思いながら、俺も改めて自己紹介、というより雨宮 隣としての自己紹介を行わせてもらう。
「初めまして佐々木さん。雨宮 隣としてこれから頑張らせていただくので、どうぞよろしくお願いします」
『はい、私もマネージャーとして色々なサポートをさせて頂くので、これから一緒に頑張って行きましょうね』
それからは、俺がどのような配信をしたいのか。どんなサポートをしてもらえるのかなど色んな話をした。初配信をどうするのかと言う話題になったので、昨日に月城さんと話し合ったことを伝えてみる。
「ということで、初配信は料理配信をしてみたいです」
『ふむ……でしたら調理用のスタジオを使わせて貰えるように上に掛け合ってみますね』
「よろしくお願いします」
いきなりこんな配信内容で大丈夫なのかなと思っていたけど、特に何も言われることなく決まってくれてほっとする。
『雨宮さんはもともと料理系でしたし、まさにうってつけの内容です』
「VTuberでわざわざする内容ではないかもですけどね」
『全然そんなことないですよ。今の時代、VTuberでも色んなこと出来ます。それこそ無人島行ったり、バンジージャンプをする人もいますから』
例として出されたものは、本当にVTuberがやるものだろうかと思うような内容だ。それこそ料理系VTuberもいてもいいじゃないと言えるくらいには。
『それに、夜空さんの配信で確認しましたが。雨宮さんの家庭的な料理を見てみたいと言う方も沢山いるようです。それこそ、リスナーの方たちを夜空さんみたいに健康にしてやろうくらいの気持ちでやりましょう!』
自信満々にそう言ってくれる佐々木さんに、こっちもやる気が湧いてくる。
夜空 るなのリスナーの人達に受けれてもらえているという事に関しては、あまり実感はなかったけれど、佐々木さんと言う他者に言って貰えたことで自信がついてくる。
『さて……そろそろ時間もいい事ですから、最後に雨宮さんに聞きたいことがあります』
「聞きたいこと……?」
時計を見るような仕草をした佐々木さんは、姿勢を正すと少し真面目な表情に切りかえて質問をしてくる。それにつられて俺も背筋を伸ばす。一体何を言われるのだろうか……
『あなたはどうしてVTuberになろうと思ったのかです』
それは質問としては正直今更とも言えるような内容。でも、俺みたいな特異な状況の人にはまさに聞いてみたいような質問だった。
夜空 るなのお隣さんとして知らぬ間に有名になっていて、先日の隣人バレによるVTuberデビュー。あまりにも不自然すぎるシンデレラストーリー。
だからこその彼なりの質問なんだろうなと、その時の俺は察した。
「……正直なことを言いますと、ここまで話が進んでいても、現実味がないというか、まだ気持ちが追いついていないみたいなところがあります」
『はい』
「VTuberになろうとしたのも、多分面白そうだからとか、勢いでやってみようと思ったとかあやふやな理由ならいくらでも出てくると思います」
『はい』
トントン拍子で進んでいく雨宮 隣の話に、それこれ仕組まれたようなものでは無いだろうかと他人事のように思っている自分もいると思う。
でも、あの日から1つ変わった事と言えば。
「つき……るなのいる世界の事を知りたい。彼女が夢中になっているVTuberの世界を自分で体験してみたい、それが今の俺がVTuberをやってみたい理由です」
言葉にしてみると自分の胸のうちにストンと収まった気がした。なあなあでやるのではなく、1つの目標として形作ったことで、またひとつ月城さんへの思いが積み重なったそんな感じだ。
他の人からすればそんな理由かと言われるかもしれないけど、佐々木さんは俺の理由を聞いてどこか納得したように頷いている。
『これは、夜空さん心を許すわけですね』
「……?」
『ええ……雨宮さんがVTuberになろうとした理由をしっかりと理解しました。私からの質問は以上です。では、これから様々なことがあるでしょうがどうぞよろしくお願いします』
「こちらこそよろしくお願いします」
なにやら納得している様子の佐々木さんに首を傾げるが、そのまま終わりの流れになったのでお互いに挨拶をしてから通話アプリを閉じることになった。
さて、これからVTuberになるためにやることがいっぱいだと気合を入れてむんっとしていると、スマホに通知が入る。
画面を見てみると親父からLimeが来ていたので文面を確認してみると、今週の土曜日に1度帰ってくるみたいだ。
「親父と会うのは久しぶりだし、飯は少し豪勢にしてやるか」
なんとなくそう独り言を呟き、開いたままのノートPCでレシピの検索を行っていると、再びスマホに通知が来る。
確認してみるとそれは月城さんからで、部屋に訪れてもいいかと言う質問だった。
時間的には少し夜遅いかもしれないけれど、わざわざこうやって尋ねて来るということは何かあったのだろうと思い、問題ないと返す。
それから少ししてチャイムが鳴りここ最近の日課になって来ている出迎えに向かう。
「いらっしゃい月城さん」
「こんばんは七海さん、夜分に申し訳ないです」
「全然大丈夫、とりあえず入って」
「はい、それではお邪魔します」
月城さんを部屋に迎え入れて、ソファに座ってもらう。
さっき沸かしておいたポットを取ってココアを入れて月城さんに手渡す。
なにやら落ち着かない様子の月城さんが温かいココアを一口、口に含んでから一息つくと、訪れてきた理由であろう質問をしてくる。
「七海さん、今週の日曜日って空いてますか?」
「日曜日?うーん……空いてるには空いてるいると思うけど、その前の日に親父が帰ってくるんだよね」
「ああ……保護者の許可を頂くためですね」
「そっ、そんな感じ」
「でしたら都合が良さそうです」
「……?」
なにやら意味深なことを呟く月城さんに思わず首を傾げる。というか、今日は首を傾げることが多い気がするな。そんなどうでもいいことを考えていると、月城さんから割ととんでもない提案が飛び出してくる事になるとは夢にも思わなかった。
「私の両親がこちらに来るようなので、会って頂けないでしょうか?」
「……はい?」
それはもう眩しすぎる笑顔で月城さんからとんでもないことが言い放たれた。
なにやら一波乱あることはどうやら確定したようだと、その時の俺は他人事のように思うしか無かったのだった。
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