第10話『陽菜がそれを願うなら、俺はどこまでも付いていくよ』

あの日。


あの暑い夏の日から一ヵ月が経ち。


目覚めた俺を待っていたのは、泣いて、泣いて、ボロボロになった妹たち。


そして、妹たちほどではないが、目に涙を浮かべながら喜んでいる父さんたちの姿だった。


俺はそんなに長い間眠っていたという事に理解が追い付かず、呑気にただいまなんて言っていたのだが、それに対する綾と陽菜の反応は、ベッドに寝ている俺の体を叩くというものだった。


無論激しく痛むような物ではないが、周りの人たちは酷く驚いていたように思う。


しかし、そんな事よりも、俺は何故か体が酷くだるくて、また沈むように眠ってしまうのだった。




それから二週間ほど経ち、俺はある程度元気になり、ベッドの上で上半身を起こしている事くらいは出来るようになっていた。


そんなある日の事、俺はお医者さんと面談する事になり、ある事実を教えられる事になった。


「残念ながら、プロの選手を目指すのは難しいでしょう」


「そうですか」


事故の後遺症らしく、色々と専門的な話をしてくれたが、俺にはさっぱり分からなかった。


分かった事と言えば、俺がプロの野球選手になれないという事実に、父さんや母さん。綾の方がショックを受けているらしいという事だけだ。


涙を堪え、先生の話を聞きながら、悲しんでいる。


それに関しては、酷く申し訳ない気持ちだった。


「でも、例えば仕事にしないで、たまにやるくらいなら問題ないですか?」


「えぇ、そうですね。ただし、何か違和感を感じたら止めて欲しいという事と、どちらにせよ元の生活に戻る為にはリハビリは必要だという事はご認識下さい」


「わかりました。そうなると、部活は引退した方が良さそうですね。監督にも連絡してみます」


出来ない事はしょうがない。


確かに惜しい気持ちもあるけれど、無くなった物を追いかけてもしょうがないのだ。


過ぎ去った、消え去ったものは、追いかけた所で取り戻せる訳じゃないのだから。




そして、半年が過ぎて、俺は暇していた時間分を全て勉強に費やし、来年の受験に向けて準備を進めていた。


病院も退院し、何とかゆっくりとではあるが、日常へと戻りつつあった。


そんなある日。俺は町中で偶然ある人に出会った。


翼先輩のお姉さんである東雲環さんに。


何故か俺の顔を見て、逃げようとした環さんを、陽菜と綾に頼んで追いかけてもらい、俺は松葉杖を突きながら、後から合流した。


「環さん。なんで逃げるんですか」


「ごめんなさい。私、ごめんなさい」


「謝らないでください。別に何か怒ってるわけじゃないですから。むしろ、こちらこそ、申し訳ない。急に追いかけまわしてしまって」


「それは、私が、逃げたから……」


このままじゃ話が先に進まないなと考え、俺と目を合わせようとしない環さんに、俺はその言葉をぶつけた。


「環さん。翼先輩に会わせてください」


「……あ、あの子は、その、遠い所へ行ってしまって」


「どこに行ったんですか? 住所を教えてもらえれば、俺、行きますよ。今結構暇なので」


「それは、その、言えないけど。あの子、一人にしてほしいって言ってたし」


「あの手紙。受け取りました」


俺の言葉に環さんは肩を小さく揺らした。


そして、俺は真実を確かめる為に、一つ嘘を吐く。


「あれ。書いたの環さんですよね」


「そ、そんなこと無いよ。あれは、翼が」


「そうですか? 残念ですけど。以前に見た翼先輩の書き方と全然違うんですよね。むしろ翼先輩に見せてもらった環さんの文字とそっくりでした」


「……ごめんなさい」


「別に、怒ってませんよ。多分、翼先輩の最期の言葉を、環さんが書いてくれたんでしょう?」


俺の問いに環さんは小さく頷いた。


それを見て、俺は思わず漏れそうになった溜息を必死に止める。


多分その気持ちを外に出してしまえば、我慢できなくなってしまうから。


「翼先輩に、会わせてもらえますか? 家に、居るんでしょう?」


環さんは地面を見つめ、うつむいたまま、小さく首を縦に振った。


そして、俺たちは環さんと共に、東雲家へと向かう。




以前ならそれほど時間もかからずにたどり着けたであろう東雲家は、体力が落ち、満足に動かなくなった体では到着まで随分と時間がかかってしまった。


しかし、たどり着いてしまえば、特に何の障害も無く中へと入る事が出来る。


そして、家の廊下を歩き、一番奥にある仏間で、俺は翼先輩と再会した。


写真の先輩はいつもの自信満々な表情に、不敵な笑みを浮かべており、いつか見た姿とそれほど違いはない。


今年に入ってからはすっかり痩せてしまっていたから、もっと前の元気だった頃の写真を使っているのだろう。


俺は環さんに許可を貰い、翼先輩の写真の前で姿勢を正した。


そして、陽菜と綾は環さんが気を利かせて、連れ出してくれたため、俺と翼先輩の二人きりになる。


「お久しぶりです。翼先輩。来るのが大分遅れてしまいました」


「でもまぁ、俺なりに最速で来たつもりなので、許してもらえると嬉しいです」


「本当なら、何もかも全部手に入れるつもりだったんですけどね。結局全部無くしちゃいましたね」


「野球も、先輩も。残ったのは、何も出来なかった俺くらいですか」


「正直な所、翼先輩の前だから言えますが、俺は、もう良いかなって思ってたんですよ」


「晄弘や和樹との約束もありますけど。でも……もう、翼先輩の所へ行っても良いかなって」


「翼先輩やみんなは怒るかもしれないですけど、翼先輩に会えるなら……」


「駄目だよ!!!」


いつの間にか、流れだしていた涙をそのままに、翼先輩へ話しかけていた俺は、不意に聞こえてきた声にそちらを向いて、驚いた。


そこには、酷く怒った顔で、今にも泣きだしそうな顔で、立っている陽菜がいたからだ。


陽菜も綾も、環さんに付いて行って、甘い物を食べていたハズなのに。


「陽菜。どうしてここに」


「お兄ちゃんは、何も無くしてない!! 全部まだここにあるよ!」


「ひな」


「陽菜がいる! 綾ちゃんだっている!! みんながいる!」


陽菜は怒りながら、泣きながら俺に飛び掛かって、胸を叩いた。


小さな女の子の手なんて痛くもないはずなのに、陽菜の手は俺の中に酷く重く響いた。


「この人に、会いたいなら、天国に届くくらい、凄い人になればいいでしょ! 私がお兄ちゃんをその場所に連れてってあげるから、だから、居なくなるなんて、言わないでよ……」


「陽菜。ごめん……俺」


俺は泣きじゃくる陽菜を抱きしめながら、その背を撫でた。


それでも陽菜は泣き止まなくて、俺は先ほどまでの己を殴りつけたい気持ちになった。


こんなに小さな子を、大切な妹を悲しませて何をやっているのかと。


どうしようもない馬鹿野郎だ。


そしてそんな俺から少し離れ、陽菜は目元を乱暴に拭いながら、宣言した。


廊下の向こうから差す光を背に受けて、いつかの日に俺の心を照らした野球や先輩の様に。陽菜は笑う。


「お兄ちゃん。私、アイドルになる」


「お兄ちゃんが、私以外の人を追いかけて、どこかに行かない様に」


「私からもう目が離せなくなる様に」


「誰にも負けないあの空の一番星になるから」


「だから、私とずっと、一緒に居て」


陽菜は俺の手を握り、そう言い放った。


世界を照らす輝きを瞳の奥に秘めて、情けない兄の為に。


「あぁ、陽菜。分かった。陽菜がそれを願うなら、俺はどこまでも付いていくよ」


だから俺は、新たな道を選ぶ。


きっとこの道を進むには今までとは違う努力が必要になるのだろう。


でも、それでも、この小さくて、優しくて、強い女の子を、その夢を守るために。


俺もまた立ち上がろう。




東雲さんの家を出て、自宅に戻ってきた俺は、机の引き出しに翼先輩からの手紙を静かに置いた。


また翼先輩と会うのは、頑張って、頑張って、走りきった先になるだろうから。


その時まで、翼先輩への想いも、俺の中にある願いもこのまましまっておこうと思う。




『やぁ。久しぶりだね。いつもは会って話をしているのに、こうして手紙を書くのは不思議な気分だよ』


『でも、手紙なら好き勝手話せるからね。これはこれで便利な気もする。君との連絡は手紙を使うのも良いかもね』


『しかし、しかしだ。光佑少年。大変残念だが、ボクは遠くへ行くことになった』


『寂しがりの君の事だ。ボクがどこへ行ったのか気になって夜も眠れない事だろう』


『だが安心して欲しい。こう見えても、ボクは何回も海外旅行をしていてね。慣れているんだ』


『まぁ、海外の名医ならボクの病気なんてちょちょいのちょいと治してくれるさ』


『そして、治して貰ったら、ボクはそのまま海外を転々としながら生活するつもりだ。少々早いが高校からは卒業という所だね』


『君は共に行くなんて言うかもしれないが、生憎とボクは一人でいるのが、好きなんだ』


『君と共に行くことは出来ない』


『君は君の事が大好きな人と共に生きていきたまえ』


『それでも、もし。君がまだ未練がましくボクを想うなんて言うのなら、空を見て欲しい』


『そして空に想いを向けてくれ』


『それだけできっと、ボク達は共にあれるだろう』


『さて、あまり長くなっても悪いね。じゃあこの辺りで終わろうか』


『さようならだ』


『いつか、同じ空の下で会おう』

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願いの物語シリーズ【立花光佑】 とーふ @to-hu_kanata

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