第4話『大丈夫。陽菜は必ず僕が守るからね』

ある冬の寒い日の事だ。


その日は綾が体調を崩したので、僕は陽菜を迎えに小学校まで行っていた。


そして母さんたちは綾を念のため県外の病院に連れて行くという事になり、僕はクラブを休んで陽菜と共に留守番をする事になった。


陽菜と僕は本当の兄妹では無いけれど、本当の兄妹と変わらないくらい、仲が良い。


それは陽菜の両親が殆ど家に帰れない為、ウチで預かっているという事もあって、綾と同じくらいの時間を一緒に過ごしているからだろう。


だからその日も母さんに頼まれた通り、陽菜の送り迎えをして、帰り道は今流行りのアニメの曲を歌いながら、手を繋いで一緒に歩いていた。


特になんて事もない日常だ。


でも、その日はいつもと少しだけ違っていた。


帰り道、人の目が少なくなる道の途中に一台の大きな車が止まっていたのだ。


別に何てこともなく、どこにでもあるような車だが、その時は何故かそれがおかしな物に見えて、僕は強く警戒していたのを覚えている。


そして、その嫌な予感は当たり、車の中から出てきた男の人と女の人はサングラスを掛けながら、手にはギラりと光るナイフのような物を持っていた。


僕はマズイと思って、陽菜を抱えて逃げ出そうとしたが、背中に強い衝撃を受けて、地面に倒れてしまう。


さらに最悪な事に腕の中に居た陽菜を女の人に奪われて、その体にナイフを当てられてしまった。


「この意味が分かるね? 言っておくが脅しじゃない。最悪は君だけでも良いからね」


「何が、目的なんですか?」


「そう怯えないでくれ。私たちは悪人じゃない。ただ、『家族』が欲しいだけなんだ」


「か、ぞく?」


「そうさ。まぁ詳しい話は家に着いてからで良いだろう。さ、乗りなさい」


僕は陽菜に突き付けられたナイフを見つめながら、言われた通り車の中に乗った。


逆らえば陽菜が傷つけられてしまう。それが何よりも怖かったのだ。


そして車に乗ってからはアッサリと陽菜は僕の腕の中に返され、僕と陽菜は互いの体を、もう二度と離れない様に強く抱きしめた。


「ふふ、やっぱり兄妹は仲良くないと。さぁ行きましょう。あなた」


「あぁ。行こうか」


不気味だ。なんだか気持ちが悪い。


でも、すぐに何かをされるという訳では無いようだった。


おそらくはこれから向かうのだろう。その家とやらに。


「お、お兄ちゃん」


「大丈夫。陽菜は必ず僕が守るからね。大丈夫。大丈夫だ」


最悪、僕が盾になって、陽菜だけでも逃がそう。


警察の人がいれば、その人に陽菜をお願い出来る。そうすれば、きっと家に届けてくれるはずだ。


だから、大丈夫。


僕は湧き上がる不安をかき消す様に、陽菜を抱きしめて、震えを消した。




車はそこまで遠くまでは走らず、どうやら山をいくつか超えた先の町に着いた様だった。


最悪は歩いて帰る事も考えていたが、多分これなら警察に頼った方が確実だろう。


「さぁ、ここが私たちの家だよ」


「入りましょう。家族仲良くね」


気味が悪いほど穏やかな声で、僕たちに中へ入れと優し気な声で急かす。


彼らは一人が前に、もう一人が後ろに立っているため、陽菜を抱えながら逃げるのは困難だった。


そして案内された家はそれなりに大きな一軒家で、中もしっかりとした建物で、ウチよりも立派な建物に見える。


広い方が逃げ出すのは容易いとは思うけれど、家の中がよく分からなければ、それも難しいだろう。


それに、僕たちが入ってから、後ろで鍵をしっかりと掛けられてしまったため、逃げ出す際には邪魔だ。


状況は考える限り最悪だった。


ならば、今はただ待つしかない。


僕は陽菜をしっかりと抱きしめながら、案内されるままに家の奥へと向かった。


「さぁ。ここが君たちの部屋だよ」


案内された部屋は小綺麗な部屋で、色々な物が置かれた場所だった。


女の子が喜びそうな可愛らしい家具や、本やお人形。そしてこの状況では何も嬉しくないグローブが新品の状態で置いてあった。


しかもショップで見た高いスニーカーまである。


「さぁ、光佑君。陽菜ちゃん。ここが今日から君たちの部屋だよ。欲しい物は何でもあげようじゃないか」


「僕たちの、名前」


「当然知っているさ。私たちは君たちと家族になりたくて、ここに招待したのだから」


「家族なら」


「かぞくなら、ひな! もういるもん!! お兄ちゃんとあやちゃんと、お母さんとお父さんがいるもん!!」


「陽菜ちゃん。それは昨日までの家族だ。今日からはここで私たちと過ごすんだよ。ほら、お父さんだ。言ってごらん」


「お母さんよ。陽菜ちゃん」


「お、お兄ちゃん」


「大丈夫だ。陽菜。お兄ちゃんが守るから。大丈夫。大丈夫だ」


陽菜は二人の大人の狂気に当てられ、僕にしがみついたまま怯えてしまっている。


二人はそんな陽菜の反応に恥ずかしがっているんだね。なんて言いながら笑っていた。


恐ろしい。僕は初めて人が怖いと思っていた。


こんなにも、訳の分からない人がいるのかと。


「あぁ、そうだ。二人にはお姉ちゃんを紹介しないとね」


「お、姉ちゃん?」


「そうだ。友里花。友里花。弟と妹を連れてきたよ」


男の人の声に、奥の方から何かが近づいてくるような気配がした。


そしてそれは少しの時間を置きながら、ゆるりと僕たちの前に姿を現した。


長い髪とその髪に隠された顔は表情こそ分からないが、僅かに見える目はギラりと輝いている様に見える。


「あ、あぁ、わたしの、弟と妹だ。汚くない。可愛い」


「そうだよ。友里花。君が見つけた二人だ。仲良くすると良い」


「じゃあお母さんとお父さんは向こうに行ってるからね。何かあったら呼んでね」


「う、うん。分かった」


僕たちをここに連れてきた人たちよりも若い女の人は僕と陽菜を交互に凝視しながら、笑った。


その笑顔に僕は思わず息を飲んでしまう。


恐怖からか、僕は動くことが出来なくなってしまった。


「ふ、ふふ。かわいい。怖がってるの? こわくないよ」


「こ、来ないで」


「本当に、可愛いなぁ。そうだ。一緒にお風呂に入ろうか。どう? 名案でしょ? 裸の付き合いは心を近づけるんだよ?」


「……っ」


「ねぇ、聞こえてる? 聞こえてるよね? なら……返事してよ!!!」


女の人は近くにあった人形の足を掴むと勢いよく床に叩きつけた。


その音に、声に、陽菜はすっかり怯えてしまい、僕に強くしがみ付いた。


そして女の人は息を荒くしながら、鋭い目で僕を見つめる。


それがただ、怖くて、僕は陽菜が居なければ泣き出してしまったかもしれない。


でも、ここには陽菜が居て、僕はお兄ちゃんだから、負けられないんだ。負けたくない。


「あ……ごめんごめん。びっくりしちゃったよね。でも、二人も悪いんだよ? お姉ちゃんの質問に答えないから。ねぇ、そうだよね?」


「それは」


「なに? それは……なに?」


女の人の鋭い目が僕に突き刺さる。


駄目だ。この人を怒らせたら、陽菜に何をするか分からない。


僕はごめんなさいと謝った。


すると女の人は嬉しそうに笑って、僕を抱きしめるのだった。


お母さんや環さんとは違って、この女の人の変な匂いが、感触が、僕は気持ち悪くて、吐きそうになるのだった。


「良い子ね? うんうん。お姉ちゃんは正しいもの。いつだって貴方達を導いてあげるわ。正しい方へ」


近くで囁かれる狂気に、飲み込まれそうになっていた僕は、急いで女の人から離れて、部屋の奥へと逃げた。


陽菜を決して離さないと、強く抱きしめて。


「ふふ。照れてるの? 可愛いね」


大きな女の人に、僕は恐怖から必死に何かを求めていた。


しかし、この場において、この人を止める何かは存在せず、抵抗するにも陽菜を危険に晒す恐怖から、僕は、目の前が暗く……。


『失礼。ここにボクの大切な物が入ってしまったんだけれど。お邪魔しても良いかな?』


「……なに?」


『物音がしたからね。ここに居るんだろう? いや、なに。この家にボクの大切な物があるんだ』


「そんな物、ないわ」


『いや。あるね。居るんだろう? ボクの大切な後輩。立花光佑とその妹がさ』


「……翼先輩!!」


僕は窓の向こうから聞こえてきた、よく知る人の声に思わず大きな声を上げた。


それはまさに救いの声であった。


助かる! これで、陽菜だけでも!!


「黙りなさい!!」


次の瞬間、僕は頬を思い切り叩かれて、その勢いのまま新品であろうベッドの上に投げ出された。


ジンジンと痛む頬に涙がにじみそうになるが、陽菜は決して離さず、強く抱きしめて、ここから逃げ出そうとベッドから飛び降りようとした。


しかし、すぐに女の人に腕を掴まれてしまう。


だから僕は陽菜だけでも逃がそうと、腕の中から離し、逃がした。


「陽菜! 逃げて! 先輩と!!」


「やだ! お兄ちゃん!!」


「ふ、ふふふ。光佑君は私とずっとここに居ようね?」


「お兄ちゃんを、はなせ!」


「陽菜、先輩の所へ行くんだ!」


「こんな時も家族が大事なのね? ふふ。素敵。素敵な弟だわ」


僕は腕を掴まれたまま、ベッドに押し倒されて、そのまま上に乗られてしまう。


何とか抜け出そうとするけど、どんなに力を入れても、抜け出すことが出来なかった。


そして、さらに何が起きているのか、顔を近づけてきた女の人に口で口を塞がれてしまう。


息苦しくて、声が出せなくて、悔しくて涙が溢れて止まらない。


僕はお兄ちゃんなのに、こんな情けない姿を陽菜には見せたくない。


が、何をしようとも、抜け出すことは出来なかった。


『む。どうやら中は大変な事になっているね? 大野少年。頼めるかい?』


『まか、された!!』


外から翼先輩と何故か晄弘の声が聞こえて、直後激しい破壊音と共に窓が破られた。


粉々に砕けた窓ガラスの向こう側から、背に光を受けて、眩いばかりの後光と共に、翼先輩が部屋の中に入り込んだ。


不敵に。大胆に。自信に満ち溢れた笑みを浮かべている。


と思われた翼先輩の顔は見たことが無いほどに、怒りに染まっていた。


「どうやら考えていた以上に最悪の状況だった様だね」


「東雲先輩。向こうに警察が来たみたいだ」


「ちょうど良いね。ここに呼ぶと良い。犯罪者は捕まえてもらおう」


「な、なによ。あなた!」


「ボクかい? ボクは通りすがりの正義の味方さ。悪党を退治して、子供たちに夢と希望を届けるのがボクの役目だ」


ガラスの散らばる机の上から床に降りて、歩くたびに靴でガラスを鳴らしながら翼先輩は歩く。


僕たちに向かって。


「さぁ、いい加減その汚い体を光佑君からどかしたまえ」


「何よ! 何なのよ! せっかく、手に入ったのに、綺麗な、私だけの宝物が!」


女の人は僕の上に乗ったまま、泣きわめき、僕は抵抗する力を弱め、手を下ろした。


そしてそんな僕の手を泣きながら陽菜が掴み、抱きしめる。


「お兄ちゃん」


「あぁ、陽菜。ごめんね。ごめん」


涙を流す陽菜に何もしてやれず、僕はただ安心させる様に陽菜の頭を撫でてやる事しか出来なかった。


そして、混乱した場に、この家の父親と母親が駆け込んできて、さらに窓の向こうから警察も来て、事件は終わりを迎えた。




その後、僕と陽菜は無事警察に送ってもらい、自宅へとたどり着く事が出来た。


家に着くと、目を赤くしたお母さんとお父さんが居て、僕は酷くビックリしてしまった。


でも、触れ合ったみんなの温かさはあの女の人とは違っていて、とても安心できる物だった。


そう。これで事件は全て解決した。かに見えた。


しかし現実には警察はあの人たちを捕まえる事はせず、むしろ何故か晄弘と翼先輩だけ厳重に注意して終わったという。


信じられないような話だったが、お母さんとお父さんの話では彼らはあの町で有名な権力者という事らしく、泣き寝入りするしかない様だった。


警察も向こうの味方で、問題を大きくすれば逆に晄弘や翼先輩が危険なんだそうだ。


子供たちの恩人に迷惑はかけられないと、二人は事件を無かった事にする事に了承したという。


そのことで僕は何度も謝られたが、晄弘や翼先輩や陽菜が無事なら僕はそれで良いのだ。


陽菜も綾もあれから夜寝るときに僕の布団に潜り込んでくる様になったけど。


不安なのだろうとお母さんは言っていた。


それなら僕はお兄ちゃんとして、妹を守るだけだ。


情けない所を見せてしまったけれど、僕は何よりも格好いい人を見つけたから。


これからはもっと強い人間になろう。


そう心に誓うのだった。

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