第5話『なら、翼先輩の所までボール、届かせますから』

誘拐事件から月日が流れ、僕たちは平穏な時間を過ごしていた。


あれから大きな事件は何も起きておらず、日常が静かに流れてゆく。


変わった事と言えば、翼先輩が試合を見に来る様になった事だろうか。


前は誘っても絶対に来なかったのに、何か心境の変化があったのかもしれない。


僕としても、翼先輩には格好いい所を見せたいので、ちょうどいいのだけれど。


「やぁ」


「翼先輩! 来てくれたんですね!」


「まぁ、あれだけ熱いアプローチをされてはね」


「ベンチに座りますか!?」


「いや、良いよ。そこまでして貰ったら、君のファンに刺されそうだ」


翼先輩は相変わらず、独特な話し方をしながら、日傘の下で笑っていた。


あの時の様な怒りに満ちた表情を見る事はなく、ただただ毎日楽しそうである。


「それに、その場所は君の天使の専用だろう? ボクが奪ったら睨まれてしまうよ」


「天使って。あぁ、綾と陽菜ですか。でも場所は空いてますし」


「あいてない!」


「いっぱいだよ。お兄ちゃん」


「そうか? でも荷物をずらせば、ほら」


「だめー!! ここは動かしちゃ駄目なの!」


「先輩はあっちに行ってください」


「だそうだよ。残念だけど、ボクは向こうに行こうかな」


翼先輩は遠くにある木陰を指さして微笑む。


僕はそんな謙虚な所も好きだなと思いながら頷いた。


そして、立ち去ろうとする翼先輩の手を掴んで、一言だけ伝えておく。


「なら、翼先輩の所までボール、届かせますから」


「ここから、あそこまでかい? だいぶ遠いけど」


「大丈夫です。約束しますよ。どんな相手でも、どんな場所でも、僕……いや、俺は必ず翼先輩の所まで届かせますから」


「そっか。期待してるよ。頑張れ。光佑君」


「はい!」


日差しの中、日傘をさして一人まるで別の空間に居る様な翼先輩は、この世界の人では無いように思えた。


それこそ、僕を助けてくれたあの時の様に。


別の世界から来た光の使者なのかもしれない。


「お兄ちゃん!」


「ん? どうかした?」


「座って!」


「はいはい」


「見ちゃだめ!」


「だめ!」


綾と陽菜にそれぞれ片目ずつ、合わせて両目を塞がれて、僕は笑う。


楽しくて、幸せで、満たされていて。


夢のような世界だった。


「なんだか愉快な事になっているな」


「大野! こっちに来るな!」


「なんだ、チビ」


「チビじゃない。ひな!!」


「そうか。チビ」


「なんだ、こいつ!!」


「光佑。出番だぞ」


「あぁ。分かった」


晄弘の声に、僕は陽菜と綾の手を優しく外して、ベンチから立ち上がる。


二人はブーブーと文句を言っていたが、すぐに帰ってくるからと言うと、とりあえず納得してくれたみたいだ。


しかし。


「ならボール! ボールちょうだい!」


「こっちに打って」


「いや、それは危ないから。それにこっちじゃファールになっちゃうし」


「ほら。光佑。早く行け」


「分かったよ晄弘。陽菜。綾! 帰ったらキャッチボールするから。それで許してな!」


「ちがうー! そうじゃないのに!」


僕は二人に手を振りながらバットを握り、次の打席に備える。


何度か振りながら感触を確かめて、手になじませて、遥か遠くにある木陰を見据えた。


見えないが、きっと翼先輩はあそこに向かうだろう。


届くかな? いや、届く。届ける。


「光佑」


「あぁ。じゃあ行ってくるよ」


僕は呼ばれ、バッターボックスに立つと、ピッチャーを、彼から放たれるであろう球を見据えた。


集中。集中。集中。


「随分と余裕だな。俺らみたいな弱小には興味なしってか?」


「……?」


突然話しかけられ、僅かに意識を話しかけてきたキャッチャーに向けた。


「ったく。イケメンは良いねぇ。ちょっと顔が良いだけで女にキャーキャー言われてよ」


「だが、俺らがやってるのは野球だ。お前がどれだけモテようが、関係ねぇ。興味もねぇ」


「いや、すまん。嘘言った。興味はある。出来れば紹介して欲しい」


「……話は逸れたが、俺たちはお前たちに勝負を挑みに来てるんだ」


「だからさ。あんまり腑抜けた所を見せるなよ? 中学生最強バッテリー!!」


キャッチャーの人の話が終わるかどうかという所で、ピッチャーから速球が放たれた。


全国に行った時にもあまり見なかった様な速さだ。


きっと毎日練習を頑張っているのだろう。


僕は一度それを見逃し、球筋を見極める。


次は、多分変化するな。奥に、流れるか。


「どうした? ビビっちまったか?」


「まぁ確かに。大野はやべぇよ。もう中学生レベルじゃねぇ」


「だが、ピッチャーが強いだけのチームでイキられてもな」


「さぁ、お前の実力を見せてみろ」


「ガッカリ、させるなよ」


キャッチャーの人の話が終わり、ややしてから、ピッチャーが球を放った。


およそ見えたコースと同じ。


僕は、ただ愚直に練習した通り、バットを振るう。


真芯でとらえて、後は勢いで遥か彼方へ向かって飛ばしてゆく。


僕が今できる最高のバッティングで、遠くにある木陰を目指して。


「んな!? 馬鹿な」


「良い変化球でした。打てたのは運が良かったです。また、戦いましょう」


僕はキャッチャーの人とピッチャーの人に一礼して走り始めた。


ホームランを打った事で監督は喜びながら帽子を回している。


相手チームの監督さんやチームメイトは悔しそうだった。


それを見て、少しだけ胸が痛いけど、勝負事で勝ち負けが決まるのは仕方のない事だって、晄弘のお父さんが言っていたし。


これも仕方のない事だって、諦める。


勝っても負けても楽しめる。


そんな試合が出来れば良いんだけど、やっぱり難しいんだろうな。


ベンチに戻ってから、僕は喜ぶ綾と陽菜の相手をしながら、気になっていた遠くにある木陰を見た。


恐らく木には届いたとは思うけど、ちゃんと翼先輩に届いたかは分からない。


見てくれていると良いな。届いていると良いな。


僕は遠くを見ながら、そんな事を思うのだった。


「見ちゃダメー!!」


「だめー!」




結局試合は僕たちのチームの勝利で終わり、来年以降にまた挑戦するとピッチャーさんとキャッチャーさんに言われ、その場は解散となった。


僕は学校まで車で送ってもらいながら、そこからは綾と陽菜の二人と左右の手をそれぞれ繋いで帰り道を歩く。


野球は楽しい。


家族と過ごすのは楽しい。


晄弘達と過ごすのは楽しい。


友達と過ごすのも楽しい。


しかし、それらとは何か別のワクワクというか、喜びがあるのが翼先輩だった。


この胸の奥から湧き上がる気持ちが何なのか。分からないままに日々を過ごしていた。


だが、別に無理をして答えを見つけようとも思わなかった。


何故なら、今、この生活に十分僕は満足していたからだ。


そして、そんな日々に新しい色を加えるべく、帰り道を歩く僕たちの前に一人の少年が立ちはだかる。


彼はまだ小さい体で、深く帽子を被ったまま塀に寄りかかっており、僕たちの姿を見つけると道路の中央に立って僕たちの行方を塞ぐ。


「えっと」


僕は何か用があるのかと話しかけたが、それよりも早く少年が口を開いた。


「さっきの試合。見てましたよ。練習試合とは言え、勝利おめでとうございます」


「あ、あぁ。ありがとうございます」


「しかし、僕から見れば、ダメダメな試合でしたね。守備も気が抜けている人が多くて、凡庸なエラーばかり。正直みていられない試合でした」


「……」


僕は突然チームメイトを馬鹿にされて、ムッとなり少年を強く見据える。


しかし、少年は気にした様子もなく、言葉を続けた。


「特に酷かったのは、ピッチャー。大野。大野晄弘。あれで天才だとか怪物だとか言われているのは笑ってしまいますね」


「君に、君に晄弘の何が分かるんだい」


「分かりますよ。僕もピッチャーだ。恵まれた環境。恵まれた相方。そしていざという時に救ってくれる救世主。これだけの状況が揃っていて、やることは多少人より速い程度の速球。甘えていると言わざるを得ない」


「君はいったい……」


「佐々木和樹」


少年は帽子を取りながら、一つの名前を言い放った。


まだ幼さの残る、勝気な少年の顔で不敵に笑いながら。


彼はそう名乗りを上げた。


「いずれこの国で最も偉大な投手になる男の名前です」


「佐々木、和樹君」


「そして来年から、貴方の相方になります。よろしくお願いしますね? 立花光佑先輩」


寒い冬の日。


僕は運命の出会いを果たした。

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