第2話『だって晄弘がいるし。後は僕が打てば勝てるよ』

野球クラブでの活動。そして変わった小学校での生活。


それらに大きな問題はなく、僕はごく普通の子供と同じ様に日々を過ごしていた。


そしてそれは学年が進み、六年生となっても同じだった。


「立花ー! クラブ行く前に、秘密基地行こうぜ!」


「良いよ。ただ……」


「よっし。今日はお前にお宝を見せてやるぜ。へへ」


「お宝?」


「そう。内緒だけどな。昨日河原で拾ったんだよ」


友達の松本君が内緒話をする様に耳元で囁いた言葉に僕は疑問符を浮かべながら何のことだろうかと考えていた。


松本君は秘密を抱えているという事自体を楽しんでおり、それをいつ話そうかと考えるのが楽しい様だった。


僕はそんな松本君の様子に苦笑しながら、それでも先に決まっている予定の事は話さなきゃいけないと、今すぐ走り出しそうな松本君に待ったを掛けた。


「じゃあ、すぐ行こうぜ」


「あー。待って。宮浦さんに頼まれた事があるんだ。先にそっちを終わらせてからでも良いかな」


「はぁー? 宮浦ぁ? いいよ。そんなの。後で良いよ。明日とかで良いだろ!」


「そういう訳にもいかないよ」


「ったく、めんどくせぇなぁー」


「なるべく早く終わらせるからさ。待っててよ」


「分かったよ」


松本君は渋々といった所ではあるが、待っていてくれるようだった。


僕はなるべく早く終わらせようと、宮浦さんの所へ向かい、話しかける。


「宮浦さん」


「あ。立花君。もう良いの?」


「うん。大丈夫だよ」


「良かった。松本の奴がいつまでも立花君と話してるから、困っちゃった」


僕はなんと答えたら良いか分からず曖昧に笑ったまま宮浦さんの言葉を流した。


あまり、松本君の事を悪く言われるのは好きじゃない。


でも宮浦さんにも宮浦さんの気持ちがあるだろうし、それを否定するのは良くないと思ったからだ。


それに反応しなければすぐに話が終わると思っていたのだが、どうにも宮浦さんの話はすぐ終わらないらしい。


しかも松本君の事から今度は話題が変わり別の話へと移っていった。


「それでー。立花君はどんなチョコが好き? 私ね。最近料理を勉強し始めたんだ。それでね。今度の試合の時に」


「長い!! いつまで待たせんだよ!! ほら、もう行こうぜ!!」


「あ。ちょっと! クラブが始まるまではまだ時間があるでしょ!」


「うっせぇ! いつまでもくだらない話してやがって! 立花だって忙しいんだよ! もう終わりだ。終わり!」


「立花君は別に嫌だって言って無いじゃない! アンタが勝手に決めないでよ!」


あれよあれよという間に、二人は言い争いになり、つかみ合いの喧嘩にまで発展しそうになってしまう。


僕は何とか二人の間に入って止めようとしたが、二人はもう互いしか見えておらず、どうする事も出来なかった。


どうにかして喧嘩を止めないとと、再び二人の間に入って言葉だけじゃなくて直接止めようとしていた僕だったが、それよりも早く僕の後ろから手が伸びて来て、松本君の腕を掴んで引き離した人がいた。


「遅い。いつまで遊んでるんだ。光佑……それに、あー、松本?」


「晄弘! 助かったよ」


「まったく。お前らが遅いと俺まで父さん……じゃなかった。監督に怒られるんだぞ」


「ごめん」


「わりぃな。大野」


「分かったらさっさと行くぞ」


「あぁ。行こうか。じゃあ、ごめん。宮浦さん。話ならまた聞くよ」


「う、うん! ありがとう。その、今度の練習試合だけど」


「ほら。急げ。光佑」


「立花! 監督の雷が落ちるぞ!」


「分かってる。先に行ってて。僕もすぐに追いつくから」


「急げよ」


早くしろと目で訴えながらも出て行った晄弘と松本君から視線を外して、宮浦さんに視線を戻す。


そして、宮浦さんの話を聞くべく、真っすぐに見つめるのだった。


しかし宮浦さんは頬を赤くしながら、何かを話そうとしていたのだが、結局言葉を出せずに詰まってしまう。


どうしたものかなと考えていると、先に行ったハズの晄弘が僕の腕を掴んで廊下に向けて引っ張った。


僕は力では勝てない晄弘に引っ張られながら、宮浦さんに謝罪してそのまま晄弘と共にクラブへ急ぐのだった。




世界は僕が思っているよりも早く動いていた。


それは緩やかに僕の日常へと侵食してきていたが、それでも僕がやるべき事もやりたい事も何も変わらないのだ。


「あら。光佑君。今週の土曜日は試合ですか?」


「うん。何か隣の県のクラブと試合だって。凄い強いらしいよ」


「それにしては、まったく緊張してないなぁ」


「うん。だって晄弘がいるし。後は僕が打てば勝てるよ」


「自信があるのかい?」


「どうだろう。分かんない。でも晄弘より速い球投げる人見たこと無いし。多分大丈夫じゃないかな」


「そうか。なら父さんや母さんも応援に行っても良いかな」


「来てくれるの!? なら僕、ホームラン打つからね! 見てて!」


「あぁ。楽しみにしてるよ」


「あー! いいな! いいな! ひなも、おうえん行くー!」


「あ、綾も」


「そうですね。ではみんなで行きましょうか」


それから僕は父さん母さんと妹たちの応援を一身に受けて練習試合へと臨み、当然の様に圧勝するのだった。


野球クラブに入ってから親友になった晄弘は凄い速い球を投げるピッチャーで、僕以外には誰も打てない凄い子だった。


そんな晄弘と同じチームで戦うのは楽しくて、僕たちはどんな時でも、どんな場所でも、どんな相手でも。変わらず勝ち続けているのだった。


そして、それは学年が上がっても変わらず、小学校の最高学年になっても変わらなかった。


でも、世界の変化はいつしか僕を置き去りにはせず、大きく飲み込もうとしながら変わろうとしていた。


それは、何気ない日常の中で、静かに、そして大きく変わっていく。


「ねぇ、立花君」


「なぁに。花野さん」


「立花君って好きな人、いるの?」


「好きな人? いるよ。妹たちと。後は父さんと母さんと、晄弘と」


「違う! 違うよ! そうじゃなくて、好きな女の子。兄妹とか家族とか友達とかじゃなくて、恋人になりたい人って意味だよ」


「こいびと?」


「分からない? なら、教えてあげようか。私、ドラマとか見てるし。お姉ちゃん居るから、色々な雑誌見てるし。その辺の子よりずっと詳しいよ? 光佑君になら、教えてあげるけど」


「い、いや。いいよ」


「遠慮しないで。大丈夫。私がリードしてあげるから」


「ぼ、僕。野球で忙しいから、他の事、出来ない」


「そうなの? でも、テレビに出るような有名な選手はみんな綺麗な恋人いるよ? 光佑君も、そういう選手に憧れてるなら、必要なんじゃない?」


僕の両手を握り、壁に追い詰めながら、迫ってくる花野さんに僕は何も出来ず、逃げる事も出来ず追い詰められてしまった。


でも追い詰められた僕を助けてくれるのは、いつもと変わらず、不機嫌そうな顔をした晄弘だった。


晄弘は勢いよく教室の扉を開けると、奥に居る僕を見つけ、足音を鳴らしながら近づくと、僕の腕を掴んで花野さんから引き離してくれた。


そしてそのまま引きずる様に教室を出ていこうとする。


しかし花野さんは駆け足で僕に近づいてくると、晄弘が掴んでいる方では無い手を掴み、僕の腕を引っ張った。


「ちょっと、恋人同士の間に入るなんて、勝手すぎじゃない!?」


「……これからクラブで練習がある。光佑は忙しいんだ。お前と遊んでる暇は無い」


「はぁ!? 遊びじゃないんですけど!? は、はーん。分かった。大野君。モテないからって光佑君に嫉妬してるんでしょ」


「……」


「でもまぁ? 私が協力してあげても良いよ。可愛い女の子とデートとかしたいでしょ?」


花野さんの言葉に晄弘は大きなため息を吐くと、そのまま睨みつけた。


そして怯んだ花野さんに、興味がないとだけ言い放つと、花野さんの手を振り払って、そのままクラブの練習場へと歩いていくのだった。


僕は途中から自分で歩き始めたが、晄弘は歩きながら何か考えている様だった。


「どうしたの? 晄弘」


「いや、もしかして、悪い事をしたかなと、思って」


「花野さんに?」


「花野は、どうでも良い。光佑に」


「僕に? 何で? いつも通り助かったよ。僕じゃ上手くかわせなくて」


「クラスの女子はお前の妹達じゃない。多少乱雑に扱っても壊れやしないだろ」


「そういう訳にもいかないよ。同じクラスメイトなんだからさ。友達じゃなくても、乱暴になんて出来ないよ」


「……もしかして、花野と恋人じゃ、無いのか?」


「うーん。その恋人っていうのは、よく分からないんだよね。父さんと母さんみたいな感じっていうのは分かるけどさ」


「それは、夫婦だな。恋人の先だ」


「先、ってことは恋人の凄いのが夫婦って事? 何だか難しいね」


「光佑は本当に、野球以外何も知らないんだな」


「む。そんな事は無いぞー! 最近歴史のテストで三十点取ったからね!」


「俺は、三十五点」


「ぐぬ。やるなー、晄弘!」


「恋人っていうのは、特別な関係の二人、って事だ。互いに信頼しあってて、何でも二人でやる。みたいな感じ」


「はぁーん? なるほど。って事は僕と晄弘みたいな感じって事?」


「……はぁ? なんで、そうなる」


「だって、晄弘の全力の球受け止められるのは僕だけでしょ。それに晄弘の球を打ち返せるのも僕だけだ。それにずっと一緒に野球やってきたじゃないか」


「それは、そうだが、そういう事じゃない」


「そっか。ま。確かに晄弘と長く一緒に居ても夫婦にはならないだろうしなー。父さんと母さんみたいになる様には思えないし。晄弘は母さんみたいにはなれないだろうし」


「そういう位置で言うなら、光佑が母親だろ。俺より、人当たりが良い」


「晄弘はもっと人と話さなきゃ駄目だよ! 後輩から大野先輩が怖いってよく相談されるんだぞ!」


「それは、まぁ、何とかしてくれ。光佑」


「まったくー! そういう所だぞ! まぁ、借りは定期的に返して貰ってるから良いけどさー」


「光佑は、もう女を見つけたら逃げろ。どうせ振り払えないんだから」


「それは、それでどうなんだろう」


僕は晄弘と笑いながら歩いて、日々を過ごしていた。


ただ毎日が楽しくて、こんな日々がずっと続いていくんだと無邪気に信じていた頃。


僕の世界には野球と家族と晄弘と仲間たちがいた。


それだけで良かった。


でも、時間が進めば、世界が広がれば、年が重なれば、否が応でも関わる物は増えていくのだ。

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