願いの物語シリーズ【立花光佑】

とーふ

第1話『僕、野球クラブ辞める』

切っ掛けは、多分父さんに連れて行って貰った球場だったと思う。


まだ小さな子供だった俺は、夜だというのに外に居るという状況に興奮しつつ、何が始まるのかと楽しみにしていた。


そして、あの夜空を照らす光の世界で、俺は初めて野球というものに触れたんだ。


正直、どのチームが戦っていたのかとか。どんな試合だったかとか。そういう細かいことはさっぱり覚えていない。


ただ、あの場所で、多くの人の注目を浴びて、光の下で輝いている人たちを見て、どうしようもなく憧れてしまったんだ。


俺もあの中に行きたいと。そう願ってしまったんだ。




それからの俺は父に野球を教わりたいと強請り、今まで大した我儘を言ってこなかったお陰なのか、アッサリと初心者用野球グッズを手に入れる事に成功した。


そして父と一つの約束をした。


「良いかい? 光佑君。このグローブもバットもボールもタダじゃない。お父さんが働いてお母さんが支えてくれたから買えた物だ」


「うん」


「だから、君がすぐ飽きたと言って放り投げてしまったら、お父さんもお母さんも凄く悲しい」


「うん」


「無理はしなくても良いが、暇があるときは遊んでくれると、お父さんもお母さんも嬉しい。だから、約束だ。すぐに飽きないで、ちゃんと触ること」


「分かった!」


俺は父さんの言葉に大きく頷いて、それから父さんとの約束通り毎日必ず何かしらの練習を行う事にした。


その練習方法が正しいのか分からないが、とにかくボールを上空に投げて、それを走り回って拾う練習をしたり、バットでボールを打って、それを拾いに走ったり。


とにかく一人でも出来る練習方法を試して、毎日の様に野球に向き合い続けた。


父さんとの約束もあったが、あの光の世界へ行くためには、とにかく凄い事が出来るようにならなくてはいけない。という気持ちだったから。


しかし、その弊害はすぐに訪れた。


俺が野球の練習を始めてから三カ月後、父さんと母さんの前に呼び出された。


「まさかこんな事になるとは」


「前から思いついたら一直線な子でしたからね。絵本が好きになった時は、家中の本を読もうとしてましたし」


「うーむ。あまりにも不健康すぎたからと野球を見せてみたが、ほどほどという言葉は光佑君には無いみたいだな」


「……あの、ぼく、何かいけない事をやっちゃった?」


「いーや。そんな事は無いぞ。ただ、お父さんもお母さんもビックリしちゃってるだけなんだ」


「そうですねぇ。まさかこんなにすぐボールが駄目になってしまうなんて」


「僕の使い方が、駄目だったから?」


「そういう訳じゃないんだが、朝陽さん。この辺りでキャッチボールが出来そうな子は居ないのかな」


「この辺りで、ですか? 東雲さんの家は二人ともおっとりとした子でしたし。この子に付いていけそうでは無いですね。他もこの子に付いていくのは難しい子ばかりですね」


「難しいかぁ」


「私の知っている限りではボールよりもお人形さんを持って遊ぶのが好きな子ばかりですね」


「……少し気になったんだが、光佑君は友達とかは居るのだろうか」


「えぇ、その辺りは問題ないと思いますよ。誰とでも仲良くなれる子みたいで。お人形遊びも付き合ってくれるし。どこの家に行ってもお手伝いとかもしてくれるみたいで。評判は良いですね」


「綾ちゃんの事も見てくれるし。光佑君は本当に出来すぎるくらいに良い子だね。しかし、ならばこそ、少しの我儘くらいは聞いてやりたい……うむ」


「どうしましょうか」


「一つ、案がある。ただ、それをすると、朝陽さんに負担が増えてしまうんだが」


「私は構いませんよ。普段から光佑君には助けられてますし。綾ちゃんの事もご近所づきあいも」


「なら、分かった。光佑君」


「うん」


「野球のクラブに入ってみる気はあるかい?」


「くらぶ?」


「そう。光佑君と同じ様に野球が好きな子がいっぱい集まって、遊ぶ場所なんだ」


「……」


俺はその時、そのクラブという場所の意味はよく分からなかった。


ただ、今のままでは多分父さんと母さんの負担になっているであろう事は何となく想像出来ていて、そこに入る事でその負担が減るのだろうと思っていた。


それに、自分と同じ野球が好きな人が集まると聞いて、行ってみたい。見てみたいという気持ちが生まれたのは確かだった。


だから俺は、父さんの問いに頷いて応え、人生初めてとなる地元から外の世界へ。


そして、自分と同じ野球を好きな人たちに触れ合う事となる。




野球クラブに入ってから数カ月。


俺は既にこのクラブを辞めようかと考えていた。


何故なら母さんの負担があまりにも大きいからだ。


家から山の向こうの町まで車で送り迎えをする。


どう考えても負担が大きすぎる。


母さんは大丈夫だと笑っているが、大丈夫な訳が無い。


だから俺は、もう辞めると両親に言うつもりだった。


しかし、そんな俺のお願いよりも先に、また両親の前に呼び出される事となった。


「光佑君。実はね。一つ提案があるんだ」


「僕も、ある」


「そうなのか。なら、まず光佑君の話から聞こうかな」


「僕、野球クラブ辞める」


「理由を聞いても良いかな?」


「……うん。その、もう野球に飽きちゃったんだ」


「そうか。朝陽さん。やっぱり、引越しは必要みたいだね」


「えぇ。光佑君に気を遣わせてしまうなんて、申し訳ないですから」


俺は両親と自分の会話が噛み合わず、首を傾げながら、その原因たる父さんにどういう事かと問うた。


すると父さんは優しく笑いながら俺の頭を撫でて、母さんは俺の体を抱きしめた。


その意味が分からず、俺はまた二人にどういう事かと尋ねたのだ。


「光佑君。君が優しい子に育ってくれて僕たちはとても嬉しい。でもね。君が我慢する事は無いんだよ」


「そうですよ。ただでさえ、貴方は自分よりも他人を優先してしまうのですから、本当に好きな事はそう言わないと損ばかりしてしまいますよ」


「でも、僕は、本当に野球は、いいんだ」


「ねぇ、光佑君。私、貴方が凄く楽しそうに野球をやっているのを見るのが好きなんです。綾ちゃんだってお兄ちゃんの活躍を見て、嬉しそうに笑ってましたし。光佑君の好きは私たちの負担にはならないんですよ」


「でもそうだね。優しい光佑君が気づいた通り、お母さんは仕事が多くなってしまった。だからね。僕たちは引っ越そうかと考えているんだよ」


「引っ越し?」


「そう。とは言ってもここから山向こうの町に、だけどね。そこでお父さんがお友達から家を貸してもらえる事になったんだ」


「じゃ、じゃあ!」


「なんと、その家は野球クラブから歩いてすぐの所にあるんだよ。だから、お母さんの負担は大きく減るね」


「城所さん達には本当に感謝しか無いですね」


「うん。そうだね。いっぱいお礼をしないと」


俺はその当時はまだ幼く、大変そうだった母さんの負担が減る理由は分からなかったが、母さんがもう大変じゃないと聞き、それを理解し、自分でも分からずに涙を流していた。


それは家族が笑っている事に安心したからか。


もう人生の大きな部分に野球が入り込んでいて、それがまだ自分の中に残ると分かり安心したのか。


何も、分からないが、ただ、溢れる感情のままに泣いていたのだった。


「あらあら。この子ったら。そんなになるまで我慢して」


「我慢強いというのは時に欠点だって、僕は思うね。光佑君も、朝陽さんもさ」


「あら。確かにそう言われると私も気を付けないといけませんね」


「綾ちゃんはもっと自分の意見を大事にする子になって欲しいなぁ。僕は子供に我儘を言われて困るというのが夢だったんだ」


「残念ですけど。その夢は叶わないかもしれませんね。綾ちゃんも光佑君によく似て、気遣い屋さんみたいですから」


「困ったものだね」


父さんと母さんは笑いながら俺を抱きしめて、その日は結局泣き止む事が出来なくて、俺は寝るまで泣き続けていた。


そして、数日後町へと引っ越した俺は、新しい家と新しい学校と新しい町で生きていく事になるのだった。

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