2-2

 通学を始めて3か月目の、授業の合間の小休憩の時間。


 ふぅ、と、私は小さく小さく溜息をつきながら鏡を見た。


 3か月もたてば、事件の事はあまり騒がれず、かといって忘れられたわけでもない感じだが変わったことがある。


 主に私の『元婚約者と幼馴染大好きフィルター』が外れたおかげで、学園内での状況や、令嬢の派閥、その交友関係にパワーバランスが解ったのだ。


 ちなみに私は底辺というかボッチ。 いかにあの3人組……という名の真の恋人ばかふたりおまけ1人わたしの状況が異質だったかわかった。


 私は本当にバカだったようだ。 情けなくって腹が立つ。


(これは、婚約者作る前に友達作りが先だわ……社交界で生きていけない!)


 と、シフトチェンジ(5速→1速ね! AT車オートマ限定じゃわからないわよ!)をした。


 上位貴族(伯爵以上)の方たちは状況をよくわかってくださっていて、互い距離を測っていたが、小さなことの積み重ねによる日々の努力によって、ようやくお友達と呼べるような令嬢もでき始めた。


 しかし、地味~な嫌がらせや陰口に針の筵は相変わらずだ。 主に低位貴族(子爵・男爵)。 裁かれたのが同じ爵位の令息・令嬢という連帯意識があるのかは知らないが、まぁチクチクと陰口、嫌がらせを毎日毎時間仕掛けてくる。


(だっるっ! こちとら今世と前世合わせたら30オーバーだぞ!? そんなちんけな虐めにまけるか!ぼけ!)


 と思いつつ、決定打を待つため、そして心に傷を負った儚い深窓の令嬢を装うべく、常に穏やかに静観を続けている。


 が。


 今日は直接的だったなぁと、水を止めてハンカチを絞る。


 清楚で可憐で慎ましい、守ってあげたい系令嬢の演出も込みで、休憩時間も静かに本を読んでいたのだが(跡取り娘だから領地経営学の本だけど、侍女に可愛くレースのブックカバーを作ってもらって令嬢感アップも忘れない!)そんな私に、絡んで来たのは元婚約者バカの類友たち。


 今までは登校前に私の机の上に牛乳をぶちまけたり、インクをぶちまけたり、わざわざ私の前で浮気された女が悪いみたいな話をしたりしていたのだが、今日はわざわざ、座って本を読んでいるところに花瓶の水をかけにきてくれたのだ。


「みっともねぇな、捨てられた女は! 頭でっかちだから嫌われるんだろ。 伯爵令嬢がそんなに偉いのかよ!」


 というセリフ付きで。


『少なくともお前たちよりは偉いんだよっ!!!』


 と、怒りで意識が飛びそうになるのを必死にこらえ、拳を握りそうになるのを咄嗟にハンカチを取り出して机の周りを拭くことで堪え、それらを終えた私をなお笑ってる類友バカを見たくなくて、「少し気分が……失礼しますね。」と周りの人たちを巻き込まないように、汚れたハンカチを洗いがてら、お花畑に来たのだ。


(やれやれ……とうとう直接攻撃してきたわね。 うんうん。 キンノー子爵令息にレタナハ男爵令息、ルガリシ男爵令嬢とユールマタ子爵令嬢……それにお父様商会の下請けをしているポッラカム=ツオ男爵のところの双子、ね。 我慢も限界だったし、そろそろ抗議文でもお父様に書いてもらおうっと。)


 ただいま絶賛娘溺愛中のお父様だ。 されたことを過少にお話しても、『おいこら、われ。 なに調子こいとんじゃ、こっちは伯爵位ぞ? 一代成金とはいえ国一番の商会の会長ぞ? うちの娘に何しとんじゃい!? 取引停止するぞ!(要約)』くらいは書いてくれるはずである。


 ふぅっと、もう一度控えめに小さくため息をついて(誰に見られているかわからないから、自室以外演技は継続中!)お花畑(笑)から出ようとした時だった。


「クロス伯爵令嬢様。」


 お花畑で、汚れたハンカチを洗っていた私に声をかけてくれたのは、この国では最も有名な辺境伯令嬢で、私はひゅっ!っと、演技も忘れて息をのんでしまった。


「ナキテス辺境伯令嬢様。 大丈夫ですか?」


 慌てて私は静かにスカートの端を摘んで頭を下げた。


「お目汚しをしてしまいました。 申し訳ございません。」


「そのようなことはありません。 それよりも、大丈夫ですか? 話は聞きました、お顔の色が悪いですわ。」


「えぇ、御心配をおかけしました。 少しびっくりしただけです。 大丈夫ですわ。」


「いいえ、ご無理なさらないで。 保健室に行きましょう?」


 私の事を追ってきてくださったのは、イデーレ・ナキテス辺境伯令嬢。


 ナキテス辺境伯家の令嬢で、現王太子殿下の婚約者。 私の在籍するクラスの委員長をしていらっしゃる方だ。 銀色の髪に赤い瞳がとても素敵な方で、湖に落ちる前の私の憧れの人だった。


(いえ、本当に大丈夫で! 貴方様が目の前にいるから緊張してるんです! ……なんて言えない!)


 ここ4か月の演技のお陰で、彼女はしっかり騙されてくださっているが「王太子の婚約者様をだました」ことで不敬にならないかだけが私は心配だ。


 そんなことを考えていると、彼女はそっと背に手を当てて、お花畑を出ると私を保健室へを促してくださる。


「さ、参りましょう? 付き添いますわ。」


「お気遣いありがとうございます。」


「かまいません。 それより、なぜ言い返さなかったのですか? 貴女に非はありませんのに。」


(さっきの事かしら?)


 たしかに私はただ黙って机を拭き、床を拭いたのだから、それを言いたかったのだろう。


(あれ? でもあの時教室にはこの方はいなかったはずだけど……)


 不思議に思いながらも、私は俯き、フルフルと頭を振った。


「確かに、元婚約者たちかれらは罪を犯しました。 ですが、その友達があのように言うという事は、私にも非があったのでしょう。」


(そんなこと本当はこれっぽっちも思ってなくて、あのままだとくそムカつく顔面殴りそうだったから逃げ込んで来ただけだけどね!)


 本音を飲み込みながらそういうと、彼女は痛ましげに目元を細めた。


「あ、保健室につきましたわ。」


 そこでそっと彼女の手を離れた私は、静かに頭を下げた。


「ここまで送ってくださって本当にありがとうございます。 おかげで助かりました。 このお礼は改めて後日させていただきます。」


「そんなことはよろしいのよ。」


「いえ……私のためにお心を砕いてくださり、本当にありがとうございました。 もう授業の時間ですので、どうぞ教室に戻られてくださいませ。」


 もう一度頭を下げ、保健室に入ろうとした私にナキテス辺境伯令嬢は悲しげな顔をなさってから、それでも教室へ戻っていった。


(は~~~~~、ほんとに緊張した!)


 心の中で大きくため息をついてから、私は保健室の先生に診察していただき、その日は先生の勧めもあり早退することになり、そのお陰でお父様に物凄く心配されたため、憂うように「私は仲良くしたいのに出来ないんです」と告げ口したところ、ちょっと持ちこたえた頭を真っ赤にして、ものすごい勢いで執事と共に執務室に走っていった。


 その後、般若顔のお父様が、みっちりと嫌味をこめた盛大な文章の抗議文が超高速で各家々に叩きつけられたことを聞いた時は、心の中で思いっきり『YESっ! お父様、頭皮が沸騰しててもかっこいいっ!』と思いつつ、夕食時に、『自分のためにお父様の手を煩わせてしまって申し訳ありません』と謝ったら、なんていい子なんだと泣いてしまった。


(……少々やりすぎてしまったかもしれない。)


 反省しつつ、デザートをいただきながら、私はそういえば、と、お母様を見た。


「あの、お母様……。 ご相談なのですが、お礼の御品をお送りしたい場合、どうしたらよいのでしょうか?」


「お礼のお品? 何かあったの?」


「えぇ。 今日、体調を崩した時にナキテス辺境伯令嬢様に助けていただいて……その、お礼をと思ったのですが……こういう時どうしていいのか、私にはわからなくて。」


(流石にこんな重い話を相談するお友達はまだいないんです! しかも相手、格上だし!)


 そう思って申し訳なさそうにお母さまを見ると、カトラリーを持ったまま立ち上がって呆然としているし、お父様は飲んでいた珈琲をこぼしている。


「お、お父様! 火傷してしまいます。 お母様も……。」


 あわてて声をかけると、傍にいた侍女たちが慌ててお父さまの方へ駆け寄り、お母様を座るように促している。


「あ、あの、ご迷惑を……。」


「そんなことはどうだっていいのわっ! あ、あなた、へ、辺境伯家にお礼状を!」


「そ、そうんだな! すぐ、すぐに用意する。 あぁえぇと、は、感謝の花束と共にまずは御使者を! よろしければお礼の挨拶に伺いたいと連絡をするんだ!」


「お父様? お母様?」


 コーヒーのかかった服のまま、お父様は執務室に走って行き、お母様はそれを追って出て行ってしまった。


「……あら? 私もしかして間違ってしまったのかしら……?」


 みんないなくなってしまった食堂で、私は今のうちに、と、デザートを久々に大きなお口を開けて食べた。


 まさか、翌日辺境伯家に伺うことになるとはこれっぽっちも気が付かずに。

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