第2話

 昨日と同じように、朝から容赦なく光が降り注ぎ、シミの浮いた肌を焼いている。アスファルトはすでに熱を持っていて自転車を漕ぐだけでこめかみから汗が垂れていく。昨日は結局、矢島と会うことができず、花の名前を思い出すことはできなかった。とはいえさすがに二日連続で訊かれることはないだろうと五郎は自転車を漕ぎながら考えていた。

 花に水をやると、花びらに丸みを帯びた水滴が乗っていた。顔を近づけると鮮やかな赤を拡大させている。花はこんなにきれいだったのかと驚いた。

「この花はなんという名前ですか」

 昨日の男の声だった。

「すんませんなあ。昨日、知ってる人に会わへんかって、まだ名前わからへんのですわ」

「この花はなんという名前ですか」

 五郎は顔を上げると、茶色いスーツ姿に大きめのハットをかぶった男が五郎を見下ろしていた。顔は帽子の影になっていて見ることができない。

「また今日、矢島さんに会うたら教えてもらうさかい、今日は堪忍してえな」

「この花はなんという名前ですか」

 またや――

 五郎はほぼ夏の気温なのに寒気がしてきた。人間と喋っているような気がしない。

「伊藤さん」

 声の方を振り向くと、矢島が手を振っていた。そうだ、矢島から花の名前をこの人に言うてもらおう。

「矢島さん、この人がな、花の名前を教えてほしいって言ってはんねんけど、わし、忘れてもうてな。すんまへんけど、この人に教えてやってくれへんやろか?」

「この人って誰ですか?」

「いや、ほやから、この人やんか」

 五郎は男の方を向くと、そこには誰もいなかった。

「あれ? さっきまでここにおらはってんけどな、昨日も来はってん。もうずっとしつこいくらい花の名前訊きはんねや」

「伊藤さん、最近暑いからちょっと体調悪くなったんとちがいますか?」

 五郎は首を振った。

「そんなことない。あまりにもしつこいからこの花壇に何か埋まってんのか思いましたわ」

 矢島は「何言うてはりますねや」と一笑に付した。「伊藤さん、今日はもう上がってもらっていいですよ。ゆっくり休んでください」

「一体あの男はなんなんやろうな」

 五郎は額縁に収まった妻に喋りかけると痰が絡みいつものように大げさな咳払いをした。

「うるさいなあ。もっと静かにできひんの」

 妻の小言が聞こえてきそうな気がし、遺影を見てみるが、妻は遠くを見るような目で笑ったままだった。背景は桜がぼやけている。葬儀のときに、背景を決められると言われ、娘と相談して桜にしたものの、妻と花見に行った記憶はない。

「明日も聞かれるんやろうか」

 五郎は最近娘にうるさく言われて持たされたスマートフォンで花の名前を調べようとした。しかし、電話とメールしか使ったことがなく、調べ方がわからない。

「また明日、矢島さんに会うたら聞くことにするわ」

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