あの場所で私は

パン屋の女将

交差点

「ブォォォォォン。」

「ちっ、うるせえなあ。」

近所の工事現場の重機のエンジン音が鳴り響く。あの日も憂鬱な気分で目が覚めた。まだ寝ていたい。学校に行きたくない。学校に対して強い反感があるわけではないが、そんな気持ちでいっぱいだった。

 私は高校二年生。大好きなお茶とお菓子が食べられるからという単純な考えで茶道部に入ってしまったが、この頃は幽霊部員と化していた。私にはあのかしこまった雰囲気にあわなかったらしい。アルバイトをしていたわけでもなく、家に帰ればスマホで漫画を読んだり、大してうまくもないゲームをしていたりただだらだらと時間を頑張って潰すように過ごしていて、誰もが憧れるキラキラJKの青春とは程遠いつまらない毎日を送っていた。あの日が来るまでは。あの日、私の人生は大きく狂わされた。

 あの日。私はぶつぶつと文句を言いながら学校の準備をし、いつものようにギリギリの時間に家を出て、学校まで歩いて15分の道をただひたすらと走っていた。

「あとちょっと・・。」

信号のない交差点にさしかかる。私は学校に間に合うためだけにがむしゃらに走っていて、横からくるトラックの存在に気づくことができなかった。大きなブレーキ音とクラクションが聞こえてようやく、トラックが目の前にいることを理解した。ただもう遅い。私は恐怖で足が完全に固まり、目をぎゅっと閉じた。次の瞬間、ゴンッという鈍い音とともに私は飛ばされた。

 あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。意識が徐々に蘇る。体が動かない。しかし目を開けることだけはできた。

「ん?え、どこだここ。」

そこにはいかにも工事現場とわかる世界が広がっていた。いつもと目線の高さも違う気がする。自分の手元を見ようとしたその瞬間私はあることに気づいた。

「うわああああ。なに。この体・・・。」

ごつい大きなアームに二本のベルトのような足。全く理解が追いつかぬまま、私は何も考えずに助けを求めた。

「だれか!だれか!助けて!!」

しかし誰も反応しない。私の声は誰にも聞こえないようだった。そうだとわかると急に冷静になった。トラックと衝突したときの痛みが蘇ってくる。

「朝学校の近くでトラックと衝突して、目を開けたら私は自分の家の近くの工事現場でショベルカーとなっていた。」

もうわけがわからない。自分の意志で体を動かすこともできないし、助けを求めることもできない。私はこの状況を受け入れるしかなかった。とりあえず寝ればもとにもどっているのではないか。きっとそうだ。だんだんと暗くなってきて、作業する人ももうすでにいなくなっていた。寝やすい環境だ。もとに戻ることを信じてその日はとりあえず寝た。

 次の朝。目を覚ますとそこは昨日と変わらない景色が広がっていた。はあ。人間に戻ることはできなかった。どうすることもできないと悟った私は諦めて周りの観察をすることにした。

「こんな朝早くから活動しているんだな。」

強そうな男の人たちが朝のミーティングのようなものをしている。威勢のよい掛け声が聞こえたあと、それぞれが定位置と思われるところについた。ある一人の男が走ってきて私の前につき、野太い大きな声で

「よろしくお願いします。」

といった。

「ひゃあっ。」

予想以上の威勢の良い声に驚いて間抜けな声が出てしまった。するとその男は急にキョロキョロとあたりを見渡して首を傾げた。どうしたのだろうか。私の声が聞こえるのか。いや、気のせいだろう。

 今日は私の記憶の中ではショベルカーとして初めて動かされる日だ。ずっと自分の意思で体を動かすことができなくて、自分の意思ではないが、ようやく動くことができる。怖い気持ちもあるが、好奇心の方が強く、さっきからそわそわする気分だ。さっきの謎に挨拶をしてきた男が乗り込んできた。手早く準備をしたあと、ようやくエンジンをかける。

「ブォォォォォン。」

あたりに私のエンジン音と思われるものが響き渡った。衝撃に耐えることができずに思わずエンジン音に負けないくらいの声で叫んでしまった。

「ぎゃあああああ。」

そのとたん今度は男の不思議そうな声がした。

「これは誰の声なんだ。」

私の声が聞こえているのか。男は仲間に確認したが、誰も悲鳴のようなものを聞いたと言っている人はいなかった。彼だけには私の声が聞こえているようだ。私は確認するために声をかけてみることにした。

「あの。すみません。」

男はまたキョロキョロしている。その時、私は確信した。

「えっと。ショベルカーです。」

「え?」

男はショベルカーを見上げた。

「なんで、ショベルカーが。夢か。」

ほっぺをつねってみるも普通に痛かったそうだ。ショベルカーになって、初めて話し相手ができた。一日くらい人と話してないだけでムズムズしていた。様々な疑問はあるが、今は嬉しさのほうが強かった。

「実は私、事故で人間からショベルカーに変わっちゃったっぽいんです。」

男の顔はこわばっているが、絞り出すような声で

「そうなんですか。」

と言った。

「はい。」

「これは、この声は俺にしか聞こえていないんですか。」

「多分そうです。あなた以外は反応がなかったので。」

基本人見知りで誰とも極力話したくない私が今日は何故か積極的に話している。人と話すことが大切なんだと実感した。それと同時にこの機会を無駄にはしたくないと思った。

「名前は、なんですか。」

「佐久間司です。あなたは?」

「楠木円です。よろしくおねがいします。」

「よろしく。」

すると強面のおじさんの声が飛んできた。

「おい佐久間。なにをしている。早く仕事をしろ。」

「はい。すみません。」

佐久間さんが私に乗り込んだ。重さはあまり感じられない。

「じゃあ、動かします。」

「はい。」

緊張で声が裏返ってしまった。がたがた動き始める。

「どんな感じ。痛いか。」

佐久間さんから話しかけてくれた。ちょっとうれしい。なんでだろう。

「いいえ。なんか、めっちゃ楽しい。」

「ふっ。よかった。」

そこからたくさん話をした。佐久間さんは私の2つ上の先輩だった。まずはショベルカーになった経緯について。すると佐久間さんは驚きの声を上げた。

「え。実は俺もあの交差点で高2のときに事故にあったんだよね。」

「そうなんですか。大丈夫でしたか?ショベルカーになりました?(笑)。」

「いやなってるわけないよ。」

「そりゃそうですよね。」

「でも相当な速さで突っ込んできたはずなのに無傷だったんだよな。不思議だったけどラッキーだったよ。」

「それは驚きですね。無事で良かったです。」

もしかしたら佐久間さんとこうやってお話ができる理由はこれかもしれない。あの交差点にはきっとなにかがあるんだろうな。私はそう考えた。

 そんな日が数日続いた。自分が人間ではないからこそ、普段話せないようなこともあまり恥ずかしくなく話すことができるんだろうな。今まで生きてきた誰よりも会話が弾むような気がして楽しかった。佐久間さんはいつも朝きたときに

「おはよう。今日もよろしくな。」

そして帰るときに

「今日もありがとう。しっかり寝ろよ。また明日もな。」

といってくれる。その言葉が私にとって大切だったように感じた。佐久間さんが帰ってしまうとものすごい孤独感に襲われる。日に日に彼のことを考えてしまう。愛想がない彼が、笑ったときの顔が頭から離れなかった。私はショベルカーという意味がわからない立場なのにすんなり受け入れてくれて、沢山話をしてくれる。今では佐久間さんの好物や彼の飼っている猫の名前とお気に入りの玩具まで把握している。彼のことをもっと知りたいし、ずっと話していたいと思えるようになった。こんな生活もいいな。でもやっぱり人として彼に会いたい。どうやったらもとに戻れるだろう。人に戻ることができるのだろうか。

 しかし、思っていた以上に終わりはあっけなかった。いつも通り、きれいな星の下で寝た。とくに変わったことはなかったと思う。次に目を開けるときそこは病室だった。すると突然全身激痛に見舞われた。すぐに家族と看護師さん、お医者さんが飛んでやってきて、皆泣いて喜んでいた。わたしもつられて泣いてしまった。

「よかった。」

 しばらくして、私は10日間昏睡状態であったことを知った。それは私がショベルカーであったときの日数とおそらく同じであった。あれは夢だったのだろうか。夢にしては恐ろしくリアルであったが、ショベルカーになっていたなんて普通に考えてありえない話だ。見舞いに来てくれた家族や友人などに自分が寝てた間の出来事を話したが、だれもがそれはすごい夢だと笑うだけでまともに聞いてくれなかった。その間私はずっと佐久間さんへの気持ちが大きくなっていった。私は夢に出てきた男性に・・・。もう会うことは不可能なのか。やるせない気持ちでいっぱいだった。

 私が目を覚ましてからちょうど一週間経った頃だ。お医者さんから退院できるという話を聞いた。最後の日。お世話になったお医者さんと看護師さんにお礼を言って、清々しい気持ちで病院を出た。これから行く場所はもう決めている。私は全力疾走で家の近くのあの工事現場へ向かった。

「はあ、はあ、はあ。」

私は無意識にずかずかと中に入っていった。すると後ろから覚えのある野太い声が飛んできた。

「何をしてるんだ。あぶないぞ。いますぐでなさい!」

そのとたん私は大粒の涙を流していた。

「佐久間さん?」

震えるような声で私は振り向きながら彼と思われる名前を呼んだ。すると彼はすごく驚いた顔をして目を大きくかっぴらいた。

「もしかして。楠木なのか。」

佐久間さんだ。ああ。夢ではなかった。あの10日間は夢じゃなかった。ほんとにあったんだ。私はショベルカーだったんだ。私は出せるばかりの大きな声で

「はい!」

と大きな返事をした。そして私はにこにこした笑顔で彼のもとへ走り出す。

あの場所で私は恋をした。

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あの場所で私は パン屋の女将 @hikarin421

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