第2話 ことばの束ね方
本文はメモと区別される。
書く人には本文という場所があり、そこはメモの一葉ではない、とされている。
メモが本文であってもいいのではないか、と思うのだ。
一発書き、そのあとで編集すればいいと思えば、気を楽にして本文を書き出すことができる。本文は覚書とも区別される。でもそうだろうか。本文、メモ、覚書、どこもことばが書かれた場所がそう呼ばれる。それはそう。
メモに、人と機械が共同してことばをたてる。
並べ、書き、消し、また書く。毎日書く、毎日は書けない。メモが積もる、メモを捨てない。本文に写す、消す、また写す。
わたしたちが書いているのか、ことばが増えたり減ったりするのをみているだけなのかを、機械にも人にもわからなくなった頃。そういうときがきて、ようやくというか。
いったんよし、これでいい、という判断をする。ことばが本文に定着した場所が、本文という場所になる。だからメモも覚書も本文も区別することができない。
清書される場所である。そうではない場所があることになる。ことばを貯めておく場所もある。(つまり文章は保存が効く素材でできているはずだ)
メモされたことばの素材や、プラグインされた作業の道具で騒々しい場所というのは、本文と別に用意しておかれるはずだ。本文から近い順に、慌ただしいところをアトリエと呼ぶ、その街区は利便性を考えれば本文のそばにあるべきだ。
静かな貯蔵庫があるとすれば、そこは本文から離れた土地に建っている。
ものを書く人と機械は街の中を行き来し、そこを本文と自らが定めた場所に、ことばを並べ、書き、消し、また書く。書いたら運ぶ。
街の中にことばがあるとするならば、広い空間を使ってものを書くなら、ことばには移動することも起こりうる。ことばを動かす。そのとき書く人はことばの移動にともなう、なにかしらの損失を認めざるをえないはずだ。
貯蔵庫から本文までの距離は、けっこう離れている。その距離を縮める方法があるとしてもそれは今後の課題として、いまは愚直にことばを本文へ向けて、運ぼう。
たくさんのことばを意味なく置ける場所が貯蔵庫であり、適したことばの並びを検討するのは本文で行う。アトリエで作業する、籠る、汚くなる。アトリエに近い場所で、荷解き場がほしい。
ことばがばらばらと運ばれる。
整理に手間取ってしまいそうだ。どこも貯蔵庫になられては困る。書くことそのものから離れてしまうのはどうかと思うし、書く人はいつだってはやく書きたい。
貯蔵庫から荷解場までのあいだに起こるロスも減らしたい。こぼれ落ちることばの放埒な塊ではなく、同じ文章(なんらかの意味で)を扱いやすいかたちに成形してから運んでみよう。
ことばは、意味が同じでもかたちは違う。おおよその意味として同じことば、というのがあるとして、それらを集めてみると、かたちまで同じとはいかない。ことばにかたちがあるならば、そこにはサイズ感も様々あるにちがいない。
「ことばの大きさが違う」というのを、ここでは面積のことを言っているとする。四角い見た目のことばを想像している。
かたちの違いは縦横比のことだとする。
そうするとことばを単純に扱える。ことばの個性は四角形のプロポーションにまでパラメータが減る。四角いことばをなるべく多く溢さず運べるかたちにしていく。
ことばが「棒」になる縦と横の比率として、縦の長さが横の長さの二倍以上は欲しい。そのようにする。
細長い棒のかたちに変える。端を引っ張ると、ことばの輪郭が伸びる、とする。
柔らかい物の中央を叩いて伸ばすと、ことばの厚みが不均一になりそうだ。捻り伸ばすようだと、ことばが細かく混ぜ込まれてしまう。ある程度硬いほうがよさそうである。端と端を持って、力を加えると縮む。寸胴なかたちになる。逆に引っ張ると、ことばが均一な細さになる。
書く人の手で簡単にかたちを変えられるように、棒に可塑性を持たせてみよう。やわらかくて、伸ばしても千切れないのだが、一定のかたちに、ある強度で留まるとする。
何度かたちを変えても壊れない素材でできている。
アトリエに運んだら、本文に馴染むかたちに変えることになる。そのとき、ことばは、細長い棒ではなくまた別の呼び名で呼ばれるだろう。
いろんなかたちの変え方が、そう、書き方があるだろう。
棒は折ろうと思えば折れ、曲げようと思えば曲がり、切ろうと思えば切れる。
書く人の気持ちによる。ただ、壊せない。
いや壊すこともできるのだが、壊し方については別の話題なので、書く人と機械にはことばを壊すことはできないとしておく。
棒がさまざまな角度に伸びているのを、まっすぐ一様な方向に頭とお尻を向ける。ことばには頭とお尻があるようだ。読みはじめと読みおわりくらいの意味にしておく。
端をそろえるために他と比べていやに長い棒は切る。読めなくなってはいけないから、意味の途切れないような箇所を狙うだろう。棒は書く人が容易に切れる柔らかさも性質として持っていなければならない。指先でなぞるだけで、あるいは道具で線を引くようにするだけでことばとことばの接着が切れる。
棒は、ことばが線状に連なって出来ている、ということにしているが、ことばをより物として扱いたい。
棒そのもので一つのことばになっていく。一本の棒を拡大すると文字がそこに並んでいる、という識字ではなく、棒のプロポーションだけで意味がわかる。ここまでの作業を経て、棒は、ある程度同じ面積の同じ長方形の輪郭をしているが、どれも微妙に違っているはずだ。
棒の輪郭がはっきりしている。
書く人と機械は棒のやりとりをする。即物的にことばを扱うようになれる。
棒をその手で掻き集め、おもむろにまとめる。
棒は「束」になる。順番を揃えてまとめると「組」である。束になると、隣り合う棒とは意味が通じなくなる。もっともこの時点では、棒にはなにかの意味で共通点があるだけだ。どこまでも同じような意味のことばが反復するだけで、順番と呼べることばの流れはない。一本の棒のことばは、もう一本の棒のことばと無関係にある。棒と棒を近づけて、目を離すと一つの文章になっている、ということがないべきだ。
棒同士は溶け合ったりしない。
ことばをことばとくっつけても一つのことばにはならない、としておく。ことば同士でコミニュケーションをとらない段階、束ねる最中である。文章を、ことばではなく棒くらいに思って取り扱うほうが、創意に向くときがある。
まとめあげた棒の本数にもよるが、ことばは、小さく潰れて灰色の濃淡しか目では判明しない。輪郭を引伸ばされ、圧縮され、変形したことばの密度が棒の表面をなす白黒の模様に反映されており、二階長で表現されたグレースケールのマーブル模様をしている。
集めた棒を、一本分の面積に納める。
同一平面上に置けるとする。棒が溶け合い密度を増すことになる。荷解き場でことばが復元できなくなりそうだ。平面に奥行きがあるとして、棒の背後に棒を重ねるほうがよい。数本を重ねると断面はほどよい四角形になる。数百本でも同じような四角形になるとする。棒の断面の厚みは束ねる本数によって変わるのだ。
マーブル模様が前後に重なると、真っ黒な棒ができる。
ということは、ことば成す文字の黒い部分は不透明で、白い部分は透明だ。そうでないと奥にある濃淡が最前面のテクスチャに干渉することが起きない。ことばのグレースケールは透明度にも反映されているとしよう。
ことばの余白は透けている。
束ねることに目が慣れてくると、濃淡からことばの種類、本数の予測が立つようになるだろう。
紐を、棒の背後から側面を通して前面で結ぶ。紐自体はことばではない、すると他のなにか、ことばに触れて力を及ぼすなにかを想定しないといけない。
紐もことばかもしれない。ことばを縛ることばでできている、としておく。千切れず、しなやかで、扱いやすく、あまり変化しないことばがいい。
縛られた棒は動かない。
ことばをその場に留める力が生じていることになる。
隣り合う棒と棒は、これまでになく近づいている。
触れ合う部分には相応の力がかかっているはずだ。零れ落ちずに安定している(ことばが割れないように圧縮力に強くしておくこと)
棒の表面がある程度ざらざらしている、としてみる。そのざらざらはことばのかたちでできているのだろうか。卍卍卍と並べてみるに、文字と文字が噛み合い絡み合ってしまうだろう。棒と棒が密接になるほど、凸凹が噛み合って解けなくなりそうだ、そういう風にはしない。
奥行きの文字間を保つのであれば、前後の文字は重ならずに済む。
文字間に働く力や、透明な枠が想像できる。文字の凸凹ではなく、そうした目に見えない事物がことばの位置を保つということになる。
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