大食い美少年『三大欲求のジョー』

佳原雪

ラーメン屋『中華・麺所』

勝ち負けを決めることを勝負という。それは争いごとの解決策であったり、己の力を誇示する手段であったりする。それは大小問わずどこでも行われている活動だ。そうして、この町の飲食店にはストップウオッチとカウンターが常備されている。それはなぜか。それはなぜか。それはなぜか!

どこでも行われている、勝負。決着のテーマが、この町では『大食い』だからに他ならない。


ここは『中華・麺所』。仕事帰りのサラリーマンがスポーツ実況チャンネルを眺めているところに、輝く美貌の子供が一人、大人の腕を引いて入ってくる。見るものが男なら女に、女であれば男に見える超越的な容姿。アルコールを提供する店に馴染まない子供の姿は、自然、その場の耳目を引きつける。

「すみません、ラーメンを一杯、それから…… ウーロン茶とビールを一杯」

カウンター席に座った少年は、肩までかかる金の髪を指先でクルクルと弄った。真っ先に出てきた彼の髪と同じ色のビールを、少年はぐっと飲み干す。

「き、きみ……アルコールは二十歳からだよ」

隣に座っていたサラリーマンが、恐る恐るといった様子で少年に話しかける。少年はふ、と微笑んで、大丈夫だよ、と答えた。

「とおーっくに成人しているから安心してほしいな。僕は『馬蹄錠なぎさ』だ。聞いたことあるかな? そうでも、そうでなくても、気軽にジョーと呼んでくれ」

横に連れた背の高い美丈夫へ腕を絡ませて、胸を張った少年は涼やかにそう言った。

「馬蹄錠って、二人組レギュでやってる大食いチャンプの?」

「あっ見てくれてるんだ、ありがとうね」

「えっもしかして『三大欲求のジョー』? じゃあ隣にいるのって『汚れ知らずのグロック』? わっ本物だ! 本物のグロック・リンリン!」

更に隣にいたサラリーマンも反応する。胸ポケットにネクタイをしまった姿のまま、革張りの手帳を取り出して開く。

「ファンなんです。サインください」

「ん、いいよお。でも今日はオフだから今回だけ特別だよ。はい、これは僕から。リンリン、サインしてあげて」

ジョーが水を向ければ、言葉少なに『応援、ありがとう』と答えて、リンリンは受け取った筆を滑らせた。



肩に掛かる金髪を括り、馬蹄錠なぎさこと『ジョー』はつるつるとラーメン(小)を啜る。隣に座るリンリンがウーロン茶を飲むのを眺め、泡の消えたビールで口を湿す。テレビはスポーツ生中継。ガヤガヤとした喧噪を味わっていると、噂話が耳に入る。

「大食い? おジョーさんってのは、随分小食なんだなあ? 普段は隣の男に食わせてんのか?」

べろべろでろれつの回っていない声だ。ジョーはゆらりと振り向いた。その目はアルコール酩酊に潤んではいるが、端から見てわかるほどに苛立ちの火が灯っている。ジョーは男だ。光る美貌が性別と年頃を薬物酩酊じみてうやむやにするとしたって、性自認は男だ。それは揺らがない。翻って、彼をお嬢と呼ぶのは場外勝負の始まりを示した。

「……僕のことを『お嬢さん』と呼んだな? やるか? いますぐ、どっちが正しいか決着付けるか? 我慢ならないんだよ、女みたいに言われるの」

「野郎なのか? そんな髪型にしておいて女と間違えるも何もないだろ!」

「うるさいな、短くしていると食べるときに邪魔なんだよ!」

ジョーは男だ。だが、馬蹄錠なぎさという名前は彼の性別を間違える人間を倍にした。そのことが、余計にジョーを駆り立てる。

「みろよ、『三大欲求のジョー』が怒っている……これは、勝負が見られるかもしれないぜ!」隣のサラリーマン達は色めき立った。「今日は『麺所』にきて正解だったかも!」



狭い店の中でボルテージはゆっくりと、だが着実に上がって行く。

「なぎさ、ここは私が」

それまでウーロン茶を舐めているだけだった長身の男がのっそりと身を傾ける。グロック・リンリンだ。長い髪が肩を滑ってざらりと音を立てる。寡黙だがリンリン。趣味は筋トレ。渾名はアレイ。身長184センチの男は身を屈めて、ジョーにお伺いを立てた。

「リンリン? えーでもこの後、僕とお楽しみの予定があるだろ? まあ、いいか」

ジョーは両手を握りしめた。そして宣言する。

「ルールは二対二、主題はラーメン、辛さレベルはノーマルだ。温度オプションはオリジナル(店主におまかせ)! この後予定あるから一人頭三杯のタイムアタック! それでいいか!?」

「へっ、受けて立つ。威勢の良い嬢ちゃんにキャン言わせてやるってもんだ」



店主と店を巻き込んで大食い勝負は始まる。四人席に向かい合って座り、店主が腕組みをして脂ぎったストップウオッチを握る。実際は使わないが、雰囲気だ。

「実況は俺! ちょうど居合わせた『アレイちゃん大好き』が務めます!」

グロック・リンリンからサインをもらっていたサラリーマンが空のビール瓶を握り、マイク代わりに叫ぶ。

「勝負レギュレーションはツーマンセル! 料理は『麺所』おなじみの肉抜き醤油ラーメンです! 辛味無し、激アツオプションなしの比較的平和な勝負となっておりますが、場内は既にアッツアツ! 真剣勝負の様相をなしております!!」

グロック・リンリンは座っている。馬蹄錠なぎさことジョーは対戦相手をじっと見ている。臆することなく。対して、対面に座る作業着の中年男性(名を鍵山渡、女雛翔という)は同行者と目を見合わせている。負けることはないが、分が悪いかもしれないなという顔である。実況はノリノリだ。場に飲まれて席に座ったは良いがこれからラーメンを三杯食べるのか……という後悔まで半歩の距離。

「今更辞退するとか言わないよね……」

「勝負の舞台に上がったからには、今日が年貢の納め時! いま、開演のゴングが鳴らされようとしています!」

再度言うが実況はノリノリだ。アルコールが入っているのは勿論、実況の練習が役に立つ日が来たことに舞い上がっているのである。

「箸は割ったか? 胃薬は飲んだか? 用意は良いか? 1、2、3……『開始』!!」

ドン、ドンと器が目の前に置かれる。ジョーはひったくるようにつかみ、箸を二本突き刺すと獣のように食べた。二杯、三杯。自分の分が終わると、隣で箸を付けようとしたグロック・リンリンのぶんもかっさらう。少し咎めるような目もお構いなしだ。


ラーメンを食べるときのコツがある。啜るのではなく、吸い込む。それを息継ぎ無しでやる。あるいは息の代わりに麺を吸い込む。そのようにして馬蹄錠なぎさは食べ続けた。そして、当然のように勝った。手を止めて目を丸くした勝負相手の二人を置き去りにして。二対一でもそうでなくても、現役大食い選手権ユーザーというのはそういうことなのだ。



「悪かったよ」鍵山は言った。「こんな嵐みたいに食べるのだとは知らなかった」

「分かってくれたのなら良いんだよ」

とてもラーメンを一人で六杯も食べたとは思えないような、普段通りの涼しい顔でジョーは言った。勝負には勝った。名誉は守られた。そういうことになった。グロック・リンリンは何も言わない。馬蹄錠なぎさは万事が万事こんな風だからだ。

「『アレイちゃん大好き』のお兄さんも実況お疲れ」

「あ、ありがとう! 頑張ったよ!」

実況をやっていたサラリーマンの男は、ふーっと息を吐いたあと、 俺もグロック・リンリンと勝負したかったよー、と呟いた。ジョーは眉を上げ、目を瞬く。

「僕らに会いたければ大食い選手権に来なよ。いつでも相手をしてあげるよ。ね、リンリン?」

「……勿論」

サラリーマンは連れの肩を抱き、きゃあ、といった。それを見て、ジョーは満足げに頷いた。相棒が人気者というのは気分が良いものだ。



「それじゃあ、御馳走様。僕らはここら辺でお暇させてもらうよ」

支払いを終えたジョーはグロック・リンリンの腰を抱いて夜の闇へと消えていった。そういえば、と残ったものが訊ねる。

「何が『三大欲求』なんだ?」

「ああ、それは……」

『三大欲求のジョー』というのは、べらぼうに食べることからついた二つ名であるが、要点は他にもある。馬蹄錠なぎさは、スキャンダルを出す。本当に出す。ホテル街に出没するし、朝帰りもするし、デートスポットにも普通にいる。カメラマンにピースサインさえしてみせる。そうして熱愛報道もメチャクチャに出したあげく、そこまで一人にお熱なら逆に真剣な付き合いをしているのではないか?と噂を立てられるほど。相手はご存じグロック・リンリン。喋らない男。鳴らないベル。ジョーの顔が腰の位置に来るほどの大柄さを持つ、長髪の男。


彼らは男だ。男同士でSEXするとき、体はなるだけ空になっていた方が良い。そして、今日はその日であった。たとえ食欲がなくても、グロック・リンリンとSEXをするためなら、馬蹄錠なぎさは三倍食べる。チューニングした体を台無しにされるとなれば、怒り狂って四倍食べる。馬蹄錠なぎさというのはそういう男だった。


勝ち負けを決めることを勝負という。だが、勝ち負けを決めずに過程だけを楽しむ勝負もある。馬蹄錠なぎさは鳴らないベルであるところの男が、どんな声を上げるかを知っている。夜の勝負はこれからだ。桃色の光を放ち、大食いの夜は更けていくのであった。

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大食い美少年『三大欲求のジョー』 佳原雪 @setsu_yosihara

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