第34話

ごぼごぼと気泡が舞う。御丁寧な事に、周囲は転がり落ちてきた開口部より届く光をのぞき、闇に包まれている。


種族的に暗視を持つ私たちだからいいが、仮に目を回していたり気絶したりした者が居たら救助すらままならなくなる。


殺傷力はない。ただの水だ。だが、この迷宮。結構な確度で侵入者わたしたちを殺しにきている。


体躯に恵まれているトロルがすっぽり入る程度に深さがあり、軽く流れすらある水は金属鎧でも着ていればそれだけで致命になり得るものだ。


余談だが、トロルは意外な事に水に浮くらしい。


巨体ではあるが、別に筋肉ばかりではなく脂肪もたっぷり蓄えられているからだろう。


鎧のたぐいも着ておらず、肺腑のデカさも相まって苦労なく水面に顔を出せる。


前世はプール授業も受けられなかったし、今世は海や湖の類を見たことが無かったので不安だったが、これなら私とサイレスは問題ないだろう。


問題なのはアプリ―リルと、何よりもレーレだ。


アプリ―リルはポーターとして荷物を持ってもらっていたが、幸いレーレが掛けた”不膨ふくれず”の魔法鞄マジックバッグのおかげで泳ぎの邪魔になることはないだろう。


最悪重しになっていたとしても手放せばそれだけで水面に浮いてこれる筈だ。


だが、レーレは水を掻く手足すらない。不死族アンデットゆえ呼吸は不要なのかもしれないが、水中では呪文も唱えられず助けも呼べない。


下手に流されてしまえば、あとは朽ちるまで水底で揺蕩う他ないのだ。


だからこそ無理にでも確保してくれるよう、転げ落ちながらも声を掛けたのだが、果たして無事だろうか。


どうにか水面へと顔を出し、でかい声で呼びかける。


「レーレ! みんなも! 無事!?」


「げほっ、なんとか、な! サイレス殿に助けられた!」


おお、流石はトロル期待の若手神官。あの状況下でよくバレーボール大のレーレをキャッチできたな。


「けほっ。じ、自分も大丈夫です。プリンセ様!」


アプリ―リルも無事のようだ。一緒に落ちてきた籠に掴まり浮いている。


網目も荒い、さして大きくもない籠だけれどアプリ―リルの体重なら十分支えられるらしい。


レーレの従者は、うつぶせのままぷかりと水死体のように浮かんできたので引っ張っていく。


どこか、這い上がれる箇所を探して辺りを見回せば――ああ、やはりだ。ここで手を緩めるような温い真似はしないだろうさ。


「『いと清らかなる水の乙女。愛しき同胞に、湖より情け深き抱擁を!』」


水の精霊に力を借りた、水幕ウォータースクリーンの魔法だ。本来ならば、火事場の熱や炎を遮るための術とされている。


土か、風の精霊でも居ればそちらに頼ったのだが、水中で立ち泳ぎを続けている現状。呼びかけられる精霊も限られる。


ドーム状に展開された水の守りは、初撃の一斉射からなんとか仲間たちを守り抜いた。


骨兵スケルトン不死族アンデットの一種であるが、おそらく迷宮ダンジョンの生成したものだろう。


ほぼ装備は統一されており、簡素で粗末なものだが弓を持っている。


力も耐久力も低く、蹴散らそうと思えば新米冒険者でも簡単に渡り合えるこいつらは、正しく雑魚だ。


それが、全員必死に立ち泳ぎを続ける水中でなければ評価は覆らなかっただろう。


骨兵スケルトンは黙々と機械的に弓を引き、撃ちおろす。盾どころか打ち払うための武器すら構えられない私たちは耐える以外にない。


何とか魔法は維持しているが、相手は円柱状に突き出た足場の上。高台に陣取る骨兵スケルトンに、反撃する手段がない。


相手は唯々弓を撃ちおろすだけだ。そこに躊躇もなければ、容赦もない。


ただ、迷宮心臓ダンジョンハートに意思があるとするならばだが、高笑いでもしていそうな状況に、反骨心が湧いてくる。


こんな所で討ち果たされてなるものかと、必死に頭を巡らせる。


――――そうだ、あの魔法なら。


「レーレ! ”不沈”の魔法を!」


「っ! なるほど、任せろ! 『銀月の主。偉大なる閣下よ。我らが友に不沈しずまずの恩恵を』」


神聖魔法が、ありのままの姿への回帰を促すに対し、暗黒魔法の特徴は不自然であることだ。


放って置いても物は腐らず、傷は癒えず、理由もないのに目や手足が動かなくなる。


そんな中に一つ、船乗りからすれば絶賛されるような魔法があるのだ。


道具に仕込んだ場合は兎も角、人に掛ける物は長続きしないと聞いているが数分。いや、数十秒持てば今は十分。


突如として反発し、我が身を拒むようになった水を大地の代わりにと踏み締め、私は大きく体を捻り振りかぶる。


「グロオォオオアアアアアッ!!!」


投擲。投げ放つのは、背負っていた盾だ。


黒竜の鱗を引きはがして持ち手を付けただけのそれは、形状的にはホームベース型に近く、大きさは

屈めばアプリ―リルの全身を覆い隠せる程度はある。


前世において太古の昔。オリンピックは軍事訓練のお披露目の意味合いもあった。


その中でも陸上競技は、かつての様相を色濃く残すものであろう。


短距離、長距離、ハードル走。幅跳び、高跳び、やり投げ、ハンマー投げ。そして


しっかりとした足場を以て投擲されたそれは、空を翔ぶ回転鋸となって骨兵スケルトン共へと突き刺さる。


ボーリングのピンを吹き飛ばしたような快音と共に、降り注いでいた矢の雨が止む。


突き出た円柱状の岩の上で、一塊になって弓を射ていたのが災いしたのか一掃できたようだ。


「……どうやら、さなる攻勢。は、ないみたいだね」


資源リソースか、かつて植え付けられた本能による規制ルール故か。


さすがにここまでやった上での追撃はないようだ。


盾を回収し、這い上がりやすい箇所を探して見渡す。幸い、一見では分かりづらかったが、近くに低くなっているスロープと通路を見つけた。


「ごめんね、アプリ―リル。思ってた以上に危険だったみたい」


「いえ。プリンセ様。これくらいなんてことないです。でも、お役に立てなくて……」


申し訳なさそうにしているが、あまり恐縮されるとこちらも居たたまれない。


物見遊山程度の気持ちで赴いてみたら、殺意満点の罠である。藪をつついてキングコブラを出してしまったようなものだ。


「……ある意味異常事態だ。仕方あるまいよ」


従者の人の腕の中に戻ったレーレが眉を顰めながら零す。温度変化にも鈍めな種族であるが、濡れた衣服で抱かれるのは不快らしい。


「通常の迷宮ダンジョンであればここまで阿漕な罠は見られない筈だ。これが標準デフォルトなら、ちまたの冒険者の質はもっと上振れていて然るべきだからな」


確かに何処もこんなだと、命が幾らあっても足りないだろう。


迷宮ダンジョンもまた、生き物だ。個性があるとは承知していたが、ここまで性格の悪いものがいるとはな」


本来は、魔力を変換して人の役に立てるようにすべく作られたものだ。野生化し、身を守る必要に駆られたとしても如何にも過激にすぎる。


「どうする? 撤退も視野に入れてるけど」


想定外があった以上、出直すのも十分選択の内だ。だが、レーレはかぶりを振る。


「体勢を立て直すのは魅力的だが、ここのダンジョンは相当に知恵が回る印象を受ける。期間を空ければ、おそらく我々の排除に特化した施設になるぞ」


内部に人が居る状態でなら改変は出来ないが、一度外に出ればその限りではないそうだ。


「やはり内部でも壁や床は簡素な物だ。おそらく5階層もないと思う。下手に慎重になるより、踏み込んだ方が今後の為だろう」


落とし穴で滑り落ちたので、今は2階層目。守護者と呼ばれる強力な怪物や、大掛かりな仕掛けがあったとしても2つか3つであれば踏破も適うか。


「……進もうか。アプリ―リルは出来るだけサイレスの傍を離れないで」


「は、はい。あの、よろしくお願いします……」


肯首するサイレスは、無口だがあれで気は回る方だ。手は取られることになるが、安全には替えられない。


通路を進んだ先にあったのは、上下階へと続く階段と宝箱だ。


「……ダンジョンの意図としては、得るものも有ったのだからここで帰れ。といった所か」


「触れずに進むよ。レーレの読み通りなら恐らく罠もないだろうけれど、中身はきっと荷物になる類の物だ」


重量の嵩む金塊銀塊や、鉱石。衝撃に弱いガラスや陶器の工芸品。若返りの霊薬なんかがあれば通常の冒険者パーティであれば内輪もめすら狙えるのだ。


この性悪迷宮ダンジョンとしたら仕掛けない筈がない。目的を考えれば無視して進むのが一番確実だ。


「少し惜しい気もしますけれど、それが危険なんですね」


「ああ、人の欲望。心理というものをよくよく理解していなければこのような配置にはならんさ。故に、これもまた心を責める仕様だな……」


階段を下った先は、広く間口を取られた広間であり、壁面に規則正しく穴が開けられている。


漂ってくるのは腐敗臭。そして見える範囲の穴からは、呻き声と共に無数の朽ちた死体が這い出そうとしている。


地下墳墓カタコンベを模した階層。数える気にもならない腐死体ゾンビを相手取るのは、たとえ実力者であっても敬遠したくなるだろう。


「レーレ。一応聞くけど従えたりとかは出来そう?」


不死族アンデットを使役するにもルールはある。迷宮ダンジョンから支配権を奪えるとは思えないが、一応聞いてみる。


「お察しの通りだよ。野良のなら兎も角、こいつらは無理だ」


まぁ、出来るようならば、先ほどの骨兵スケルトンでも行っていただろう。


ちょっと、いやかなり抵抗はあるが、片端から叩き潰していく他なさそうだ。


「……ふぅ。よし、皆は下がっててね」


敵としての脅威度は高くはない。身体が壊れるのも厭わぬ掴みかかりと、噛みつきくらいしか攻撃手段はなく、動作も鈍い。


鼻の曲がりそうな異臭と、零れ落ちる腐汁。罹るかもしれない疫病の脅威。それでいてろくに素材も取れない採算性の悪さを持つゾンビは、冒険者にとって最悪の部類の敵だ。


外観も人族を思わせる二足歩行、心理的な抵抗感も中々に手ごわい。


「ウゥガァアアアアアアッ!!!」


その全てを、咆哮と共に打ち放ち縦横無尽に棍棒を振って振って振りまくる。


トロルの生命力であらば少なくとも病気に罹ることはないだろう。だが、覚悟を決めていても、気色悪いのには変わらない。


湿った布袋でもぶん殴っているような気味の悪い触感も、跳ね散る汚れもとりあえずは全て度外視する。


最深部までたどり着いたら、どうしてくれようかと怒りを込めて十数分暴れまわれば、程なくして這い出るゾンビは全滅した。


代償に某風の谷にて全てを薙ぎ払える腐った巨人めいた有様になってしまったが、これはもう仕方がない。


近くに居る水精霊を呼んで、自分と周囲をざっと流す。当然ながら、多少死臭がマシになったかな。くらいにしかならない。


「力技だが、正攻法だな。ちょっと待て、いま防臭の魔法を掛けてやる」


レーレの魔法は匂いの元を消し去るのではなく、麻痺させて感じなくさせるだけのものだがこの状況では有用だろう。だが。


「助かるけど、ごめん。今は止めとくよ」


遺跡を荒らす盗賊達が、危険を表現する際に匂いに例えることはままある。


見通しの悪く、風も通らない迷宮ダンジョンの中では嗅覚は意外なほど情報を拾ってくれるのだ。


私たちの中に、探索者シーカーは居ない。知識と経験をもとに罠を排除することはできない。


ならばせめて感覚を鈍らせる魔法は控えておいた方がいいだろう。現状、多少気分が悪くなる程度でしかない。


何やらアプリ―リルが決意に燃えているようだけれど、こんな事態でもなければそうそう迷宮ダンジョンに潜る事は無いからね。


そして扉を見つけ潜った先は、またしても似たような大広間。


這い出して来るのはうぞうぞと蠢き、黒光りする巨大な不快害虫の類だった。


迷宮心臓ダンジョンハート。君を壊す時は出来るだけ時間をかけて摩り下ろすことをここに確と誓う。

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