第31話
いかに巨体と言えども、動ける人員総出の解体作業は順調に進み、日が傾く前に部位ごとに分けられた肉と素材は倉庫に納められた。
しかし折角の父の好意でもある。本日の晩餐は竜尽くしの予定だ。
防腐の術は掛けて貰ったものの、それでも傷みやすい内蔵系は足が速い。他の枝肉も大きさは規格外とはいえ、見ただけで美味しそうだと判るきめ細かいサシ入り。
肉自体が旨いとあらば小細工は必要ない。部位ごとに切り分け、焼いて塩を振ってやればそれだけでご馳走だ。
切り分ける際に、繊維方向に対して斜めに切るのが柔らかさをより強く感じさせるポイントである。
折角の塊肉を、わざわざ切り分けて供するのは、食べやすさと分かち合いのし易さの両立のためだ。
地方の豪族などだと、主人が歓待の意を込めて手ずから切り分けるのだが、トロルには不向きな作業である。
最初から切っておけば、あとは取り分けるだけなので楽なのだ。
見た目は、たらいのような器に山と盛られたステーキという、米国の基地祭で見るような肉々しいビジュアルになったがこれはこれで美味しそう。
変わり種として、
チャレンジはしているものの、今だ味噌や醤油は見出せていないため
嗜好的には生肉でいいそうだが、折角食卓を共にするのだ。できるだけ共通で楽しめるものにするのが気遣いというものだろう。
表面を炙って薄切りにして供するだけなので、比較的楽な調理だというのもあるが。
せめて見た目には拘ってみようと、バラの花を模した盛り付けなどもしてみる。
命の儚さを表現する、大変情緒に溢れた拘りである。普段が普段であるからして、多少興が乗っているのは否定できない。
ここであえて一切れずつ
功労者であるのにさすがにそれは可哀想だ。山盛りを、器ごと
感謝の祈りも、食事の挨拶も勿論ない。だが、貪り食っているように見えて―――実際貪り食ってはいるのだが、きちんと周囲と分け合って食べているのだ。
ひとの手元にあるものは取らないし、器を抱え込んで独占したりもしない。
皿を手に取るのは、ソースや肉汁を舐めとるときだけである。マナー的には赤点どころの騒ぎではないわけだが、歴史で習った中世の貴族もこんなもんだったらしい。
レーレ達
人のふりをしている人形がものを食べているような、どことなく不気味な印象を受けるのは前世由来の意識だろう。
表情はほとんど変わらないが、本当に心なしか喜んでいるような気がしなくもない。
「どうかな、レーレ。口に合うようならいいんだけど」
「いやいや、なかなかどうして。見事なものだよ、我らの普段からすれば大変に趣向に凝り、文明的で文化的だ」
特に盛り付けが見事だと、見て貰いたかった所を的確に褒めるものだからこちらも嬉しくなる。
魔力枯渇により銀盆の上で液状化するんじゃないかと、心配になるほどぐったりしていたのだが、この分なら一晩ゆっくり休めば復調するのだろう。
最後の方は呪言の文言も出てこずに、ぁーとかぅーとか唸るだけの生首と化していたものだから大分気をもんだ。
ほっと息を突き。自分も大皿より取り分け、タタキを一切れ食べてみればどっしりとした肉の味と濃厚な脂。
なのに後を引くこともなく、幾らでも食べられそうな、胃にどんどん詰め込みたくなる魔性の肉味。
「これは……! なんか、凄いね」
単純な料理なので、多少大雑把でも良かろうと味見すらしなかったのだが、これほどのポテンシャルを秘めているとは。
暗黒邪竜クリシュヴァインよ。流石は名のある竜であったか。
ブランド牛を称える感覚で思い浮かべて良い名ではない気もするが、もはや味にほぼ全ての印象が掻っ攫われている。
竜は美味い。
時に致命的な程に物覚えの悪いトロルが、それでも年を跨いで覚えていただけはある。
「ここに来るまで、どうやってその目を掻い潜ろうかと頭を悩ませていた筈なんだがなあ」
複雑そうな顔をしながら、さらに一切れを口に運んで貰っている。旨いのだろう、口角が上がる。
「レーレ達はこれからどうする? 当面の脅威は絶賛消化中だけれども」
ふむ。と黙考するも、口元にはゆっくりと絶え間なくタタキ肉が運ばれる。量は食べないと言っていたが、中々に健啖だ。
「我らは、死肉を食むが。その実摂取しているのは栄養ではなく魔力だ」
レーレが話している間は、世話役が自身の口元に肉を運ぶ。こちらはほぼ表情は変わらないが、ペースは変わらない。
「死体に宿る、負の情念。恐怖に怨嗟、嘆きの感情を肉ごと己の内に取り込み活動する」
「なるほど。それじゃ、この黒竜はレーレ達から見ると栄養の塊かな」
数多の死を運ぶ、暗黒邪竜という話だったしその身には呪いのようなものが大層詰まっていたのだろう。
「正直、備蓄と食いだめの特性を合わせて考えれば30年くらいは平気で活動できそうなのだが」
勿論、保存やら消耗やらを大分甘く見積もっての試算なのだろうけれど、放浪して食いつないできたグール達からすれば破格だろう。
食用に向かない部位に血液などは未だ手つかずで残っている。
もし、これらからも魔力が取り込めるとあらば、相当に長い期間一所に留まることが可能だろう。
レーレ達と出会った時の事を思い出す。
沼地を踏破し、疲労した様子はなくとも飢えていて、荷物もほとんどなく身一つだった。
私たちに対し、レーレ自身が魔法で追い払おうとした事からも、配下のグール達はさほど荒事向きではないのだろうか。
ならば、私の方から言い出した方が角も立つまい。
「レーレ。私たちは歓迎するよ、好きなだけここに居ればいい」
「……魅力的な誘いだ。いっそ非常識な程に」
何一つ差し出すものなど無いというのに、などと。無条件に飛びつかないのは、それだけ相手を尊重しているからだと今ならよく判る。
エルフは問答無用で襲い掛かって来たからね。
「世慣れたレーレの知見は頼もしいし、魔法の利便性は目を見張るほど画期的だよ」
それに、旗下のグール達は動きこそ鈍いものの、トロルよりは手先は器用で。単純作業を延々と続けるのも厭わない特異な精神性も有している。
レーレらは謙遜するが、けっしてお荷物になるだけの足手まといではないのだ。やって貰いたい仕事ななど、それこそ思いつくだけでも両手に余る。
そして、トロル的にはもっとも重要かつ大事にしている文化がある。
「私たちにとって、このお肉はとても美味しいけれど。ただの食材でしかない」
タタキを一切れ口に運ぶ。どっしりとした肉の旨味と脂の甘さに頬が緩む。
「私たちトロルにとってはね、同じものを分けて食べたなら、それは仲間であるんだ。遠慮はいらないよ、レーレ」
生き方を変えるのは容易く行えることではない。
長く続いた事であればあるほど、不安と抵抗感が増すものだ。
その方が良いと分かっていた場合でも、惰性によって現状維持を選ぶ者は思いの外多い。
ましてや、自分の身代以上のものを抱えて判断せねばならない立場。即答は出来ないだろうが、選択肢として提示することはできる。
「前向きに考えさせてもらうよ。トロル
腕のないレーレは掲げることはできないが、配下が代わりに杯を持つ。
そう、元々これは
「ゆっくり悩んでよ。大体は巡り合わせが良かったって事だけれど。グール
キン、という澄んだ音色は望むべくもない。頑丈さを最優先させて作った杯はゴン、と鈍い音を立ててぶつかるが、双方ともに力だけは強い種族の乱暴な扱いにもよく耐える。
「「乾杯」」
一息に煽る。中身は林檎ジュースなので少々締まらないが、要は気持ちだ。
歓迎と懇親の成果は、食材に見合った以上のものをもたらせてくれたように思えた。
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