第30話

「プリンセ様、お疲れ様でした」


食堂の後片付けに、洗い物をしながらアプリ―リルが労ってくれる。


「お客さんの居る時は勘弁して欲しかったな。恥ずかしい」


きりっとした顔で、優雅に食べろとまでは言わないが。両手にパイを持って仁王立ちはいったい何処で覚えてきた癖なんだろうか。


「レーレさん、でしたっけ。他の方達は、口も利けないみたいでしたけれど」


トロルは個性や口数はあれど、どの個体も会話はすることができるし独自で行動もする。


ちゃんと個我があるのだ。


対して蝕屍鬼グール達は、レーレの命令が無ければ延々と同じことを繰り返すような融通の利かなさがあった。


上位・下位の格差があり、同族ではあれど同格ではない。正しく配下、なのだろう。


首から下のないレーレの手足であるが、同時にレーレが居なければ目的をもって動くことは出来ない集団なのだ。


蟻や蜂のように、役割が決まっているともいえるだろうか。


「アプリ―リルは平気? あの子ら思いっきり同族エルフ食べてたけど」


少し考えるような仕草をしたけれど、アプリ―リルはすぐに首を振った。


「そう聞いてますし、倉庫に遺体を運び込んだのも知ってますけれど、正直あまり危ないとは感じませんので」


統率下にあるグールは自我に乏しいし、トップのレーレは友好的だ。


きちんと身なりを整えたレーレ達は、外観上はほぼ普人族と変わらない。


普段寝食を共にしているトロルの方がよほど威圧感がある。食欲もこちらの方が旺盛だ。


怖がる理由がそもそも薄いという事だろうか。


口から泡を吹いて狂乱する者が持つなら糸切ハサミでも怖いが、理性と分別は心理的な鞘足りえる。


配下に積極的に仕事を振ったレーレは、その辺りの感情も能々よくよく心得ているのだろう。


言葉以上に、誠意はひとの心を解きほぐす。働き者は、嫌われにくいのだ。


人の営みの傍にあらねば、糧を得られぬ蝕屍鬼グールが故の処世術の一つだろうか。


「プリンセ様が信用なされているなら、間違いもありませんので」


うぐ。笑顔が眩しい。


信頼には応えるべしと、お風呂で決意を新たにしてはいたが中々のプレッシャーである。


―――ズズンッ!!


「きゃぁっ!?」


グォォオオオォオオオオオッッ!!!


「咆哮!? この声は父さんキングの。アプリ―リル、念のため倉庫の方に避難してて!」


「は、はい! プリンセ様、お気をつけて!」


尋常ではあらざる事態に、アプリ―リルを置いて駆け出す。一瞬体が浮きそうになるほどの衝撃と地揺れだった。脳裏に過ぎるのは、巨大生物の襲来。


前世において、保険とは不幸に合わないためのお守りであるという売り文句がある。


掛けていれば、それを使うような事態は起こらないというジンクスだ。


誰も好んで痛い目は見たくない。想定しうることは対処も思いつくものだ。


すなわち、本当に厄介なトラブルとは、想定すらしていない事態。


もし、レーレの言う暗黒邪竜とやらが本当にただ休眠していただけならば。


開けた森の一角。明らかに背の高い人工物である砦は、格好の的になる。


そして、半木造のこの砦は、竜のブレス攻撃など想定すらしていない!


逸る気持ちで階段を駆け上がり、見晴らしのために確保した露台バルコニーから身を乗り出す。


そこで目にしたのは一面の黒。


20人余のトロルと、客分を収容してもなお余りある程度に大きく作った砦に迫る巨体。


ごつごつとした棘が身体の各所より生え、鋭き爪と牙はどれほどの血を吸ったらそうなるのか赤黒く染まっている。


鱗は1枚1枚が鋼鉄の方形盾ヒターシールドのであるかのように大きく、頑丈そうだ。


頭部より突き出た捻じくれた角は片方が折れ、深紅の瞳は焦点を失い、口からはデロンと長い舌をはみ出させている。―――うん?


「グォオォォオオオオオオッ!!!」


巨大な竜の上でキングは勝利の雄たけびを上げている。その手に握るは木製の柱。


見れば仮設した厩舎が傾いでいる。彼我のサイズ的に、そのままでは手が届かないので工夫を凝らした結果だろう。板壁も割れて、引っこ抜かれた一角は大穴が空いている。


あ、キングが火達磨になって転げ落ちた。下手人は竜ではない。


父に住処を壊されて、怒り心頭なマーベラス号が大地を力強く踏みしめ、狼藉者を跳ね飛ばす。


推定、竜退治の英雄だから程々で勘弁してあげて欲しいところだが、聞いていた通り一度怒らせると

けっこう執拗しつようらしい。


ばらばらと他のトロルや、グール達も集まりだしているのを見やって階下へと向かう。


なんにせよ、危機は未然に防がれたようだ。


想定しうる不運は対処ができる。


あの黒竜にとって、キング躊躇ちゅうちょのなさと馬鹿力は想像の埒外だった事だろう。


そして、想定しえない不運はおおよそどんな時でも致命的な結果をもたらしえるのだ。





「……我らは自分の見識の狭さを恥じるよ。今朝がた自慢気に語ったばかりだというのに」


恐らく頭を側面からぶっ叩かれて昏倒している竜は、間近で見るとまさに見上げんばかりの大きさだった。


こんなのに暴れられては、我が砦どころか大きめの街の一つ二つ、廃墟と化していても不思議ではない。


よほど良いところに入ったのだろう、黒竜は目覚める気配もない。


これを成したのが、服が焼けこげてあちこちはみ出したまま火吹きカバゴルゴーンより逃げ回るトロルであるという言実は、レーレの自負にひびを入れる程度には非常識という事だろう。


「時に、こいつはどう仕留めるのだ。並の刃物じゃ刃も通らないのではないか」


現実的に考えれば、このまま放置すれば目覚めた竜は今度こそ辺り一帯焼き払いに来るだろう。


名のある竜なのかもしれないが、狩りの掟。自然の摂理に従って糧となってもらうのが一番後腐れがない。


山羊を〆るのとは訳が違うかもしれないが、同じ命だ。感謝して頂こう。


丁度手近に居たヘルヴさんとエッジさんに手伝ってもらい、角を起点に黒竜の首を捻る。


いかに伝説に謳われる竜であろうと、首を270度ひねられて生きていられる道理もない。


鮮度を確保するために、サバは釣った端から首を折るという。


魚と同じにするな。誇り高き竜族云々、と言い分はあるのかもしれないが、無駄に固い皮と鱗を持っている以上、致し方なしと諦めて頂ければ幸いである。


―――命を奪う音は、どれだけ長く生きたものに対してでも変わらず、たったの一音であった。


そして、仕留めてしまった以上はお肉である。


竜は爪牙は言うに及ばず、骨に鱗。血液まで含めて何かしらの素材になったり、価値ある取引材料になったりするのだという。


余すことなく使い切るのが供養にもなるだろう。


幸い、うちに滞在しているレーレは”不腐くさらず”の魔法を使えると目の当たりにしている。


不膨ふくれず”の魔法と組み合わせれば、収納庫を埋めずに済む。


そしてやはり、竜とは美味いのだろうか。周囲を取り巻くトロルたちの視線の熱量が高い。


「レーレ。客人に頼り切るのもなんだけれど、手伝ってくれないかな?」


「なに、皆迄いう事でもない。異様にでかいが、四足獣だ。牛やイノシシの解体と基本は変わらん」


吊るせれば楽なのだがとレーレは言うけれど、森の樹よりも明らかにでかい獲物を吊れる枝ぶりの樹木などある筈がない。


「刃物は貸して頂けるか? おそらく使い捨てになるだろうが」


竜皮は金属質というほど生き物を止めてはいないが、それでもかなりの耐久度を誇るようだ。あっという間に刃が丸くなってしまうのだろう。


「トロル銀……ミスリルでできた刃物があるよ。出来は短躯族ドワーフ曰く、ナイフの形にしただけの代物だそうだけれど」


それでも相当気合を入れねば変形すらしなかった頑丈さを誇る金属だ。


皮に切れ目を入れる程度なら何とかなるだろう。切っ掛けさえ作ってしまえばあとは皮下脂肪との境に刃を入れてやれば皮は剝げる。


引き剥がすのは、うちの人型重機トロルに力を振るって貰えばいいだろう。


「ごめんね。処理の仕方とか分からないものは当面塩漬けだから」


腹を裂いて出た内臓のたぐいも、壺や桶に納めて魔法保存だ。レーレに頼る割合が大きい。


「確かに。暗黒魔法は悪魔の力を借りるとはいえ、当然ながら自身の魔力も消耗する」


だが。と続ける少女の口元は釣りあがっていた。


「希少な素材の掴み取りだ。一時魔力枯渇に陥ろうとも、全ての素材余すことなく魔法を掛けてやるともさ」


魔物の血や骨を用い、薬を作ったり呪具を拵えたりするのは錬金術と呼ばれる魔法の一分野だ。


単独で魔法発現を行えないものでも、職人としてこれに従事する者も居る。


行使できる魔法があればさらに特色を帯びたアイテムの作成が可能であり、例えばただの布袋を用いた”不膨ふくれず”の呪具も、竜血の紋様や魔力を帯びた部位の装飾で格段に長持ちするようになるだろう。


この世界において竜は宝を溜め込むのではなく、その身体そのものが金山に比肩しうるお宝だ。


「プリンセ。おで、おおきいの、とった……!」


ようやく宥め終わったのか、気が済んだのか。マーベラス号に丸焼きにされても、如何ほども堪えていないキングが胸を張る。


「お手柄だよ、父さん。よく仕留められたね」


状況はよく分からないが、直立して前口上だか呪詛だかでも宣おうとしたのだろうか。


そのままでは手が届かないとみた父は、柱をぶっこ抜いて横っ面をはたき倒した。


そんな所だろう。


「プリンセの、ともだち。いっぱいきた。おで、もてなしする」


なんと。いかに父でも荷が重そうな大物に、おそらく躊躇もせずに挑み掛かったのは歓迎の思惑があったからか。


レーレ達は蝕屍鬼グール故に、いまだ食卓を共にしていない。


それを、父王キングは遠慮と取ったのだろうか。食べきれないくらいの肉があれば良いと考えたのだろう。


つくづく、間の悪い黒竜である。たまたま、狩れるだけの実力があるキングの前に、狩る理由が出来たタイミングで顔を出すとは。


よほど普段の行いが悪かったのだろうね。


空を飛んでやってきた黒竜は、ネギは背負っていなかったが、調味料くらいは乗っかっていたかもしれない。


然らば美味しく調理してしんぜよう。


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