第24話
トロルは闇の要素が強い種族である。その特性は、暗がりを見通す目。暑さ寒さや病気に強い耐性。
そして何より、溢れんばかりの生命力があげられるだろう。
恵まれた体躯や、筋力はそこから派生する恩恵である。
つまり、闇を司る精霊は。すなわち生命を司る存在なんじゃないかと思うのだ。
元より、精霊魔法はふわっとしたお願いを精霊に伝えて叶えてもらう形式だ。
割とよく用いられる手順を大枠でくくって、”
「静寂を愛する夜の乙女よ、汝らが加護を希う。此の器に眠る小さき命らに抱擁を」
手応えあり。闇の下位精霊によって魔力が引き出された感覚がある。
今回使う魔法は、微小生命活動の促進。名付けるなら”
対象は、蒸したり茹でたりして柔らかくした麦や豆。味噌づくりへの挑戦である。できれば醤油も取りたい。
そうそう容易く行かないのは覚悟している。なにせ、発酵に必要な麹。すなわちコウジカビは天然自然の産物ではなく、日本人が家畜化した菌類なのだ。
都合の良い結果を出す種麹をより分けてより分けて、長い年月をかけて改良していった代物である。
国を跨ぐどころか、世界すら異なるこの地で都合よく手に入る代物ではないだろう。
偶然、似たような特性のある菌類がかかるまで試行錯誤していくより他に無い。
幸いにして、こちらの世界では時間短縮に役立つ魔法と、食物に対しては鋭いトロルの嗅覚がある。
甘酒は好きでよく飲んでいたし、
『うえ。それ保存庫には持ち込まないでよプリンセ。間違って食べちゃったら大変だ』
問題は理解を得辛いという所だろうか。風味も独特であるし、好き嫌いは分れるだろう。
味の基本が醤油か
ここまで複雑な工程を挟む調味料を基本として、さして意識もしないで使い倒すのは、食に拘る変態民族の面目躍如であろうか。
文化侵略であるが、そもそもトロルの食文化などないに等しいので気にせず開発は続ける。
この砦を五平餅とみたらし団子の発祥の地とするのだ。異議あるものは是非とも私の前に立ちふさがってきて欲しい。
9枚用意した皿の内、異臭を放ち黒ずんだのは7枚。これらは明らかに失敗だろう。
1枚は豆の皿で、糸を引くが覚えのある匂いがする。納豆だ。
最後の1枚は白くふんわりとした胞子が生えてどことなく甘い香りがする。
これが正解かどうかは分からないが、先人の知恵に敬意を表しつつ進めていこう。
飢えは食を選ばぬが、彩りは食卓を遊園地にも劇場にも変えるのだから。
砦に住まい、寝台に眠り、衣服も食も充実を見せ始めた。
ならば次は何に取り掛かろうかと思案に暮れていると、キングから声が掛かった。
「おで、おおきいの。とる!」
とは父の言だ。どうも聞くところによると、いつも狩りをしている森の奥で大物を見かけたらしい。
片端から声を掛け、トロルの大半を引き連れての狩りだ。
一人で石柱を持ち上げられる父が運べぬ大物とあれば、ブラウンより聞いた
正確に数を数える事を至難の業としているキングだからして、適当に大勢に声を掛けただけかもしれないが。
ドラゴンステーキ。ファンタジーの世界に転生した人間なら一度は夢見るご馳走ではないだろうか。
周りを見ると時折舌なめずりをしている一族の者も居る。はしたないが、気持ちは分かる。
今回、普段私と一緒に活動しているアプリ―リルらはお留守番である。
いかに攻撃性が低いとはいえ、
危険性と、その後の運搬の戦力としても少々荷が重いと判断した。
マーベラス号は運搬能力という点で多少迷ったのであるが、これだけ大勢のトロルが居るのだ。
全員で協力して担げば丸まま運んでしまえるだろうから、パスさせて貰った。まださほど訓練もしていないしね。
トロルの狩りは、基本的には向かってくるものを返り討ちにするか、相手が疲れ果てるまで追って追って追いまくるの二択である。
体力任せで飛び道具を用いない彼らは、優秀な狩人かと問われると首を傾げざるを得ないが、相手が動きの鈍い巨体であるなら格好の獲物となるだろう。
私たちが元々住んでいた洞窟も、やもすれば
流石に生まれる前の事なので推測にしかならないが、味を覚えているものが居るなら可能性は高いだろう。
ならば、これは滅多にはないが経験したことのある普段の狩りの延長である。
集団での狩りという事で多少緊張していたが、気の回し過ぎだったか。
キングは愚かで無謀ではあるが、一族を危険にさらすような真似はしない。
考えての行動ではなく、野生の動物じみた集団の率い方であるが、その分洗練されていてブレがないのだ。
故に、この狩りは比較的安全である。
そう、ただを
ひょう、という風切り音は後から聞こえた。気配も予兆もなく、意識の隙間を縫うようにそれは唐突だった。
誰も、まともに反応なんてできなかった。地に臥せ、木陰に潜み、意と気配を消して放つ狩人の技は確かな知識と修練に支えられたもの。
だから、そう。
矢がつき立つまで、誰一人気づくことはできなかった。
ふが。と、吐息を漏らすような呻き声を上げてキングが崩れ落ちる。仰向けに倒れた巨体は身動ぎもしない。
無事なら、それでなくとも怪我を負った程度なら、構わず走り出しそうなキングが倒れ伏したままでいる。
ありえない光景に、理解が追い付かなくって棒立ちになっていた私の耳に届いたのは歓声だった。
「はっはぁっ! やったぜ、一番デカいのを一発だ!」
「油断するなよ。思いのほか群れの規模が大きい」
追い立てろ。その言葉とともに飛来するのは、無数の矢に礫に魔法。
周囲のトロルに、それらは降りかかってゆく。
針鼠のように矢を受けるトロルが居る。
槍の穂先で追い立てられているトロルが居る。
火達磨にされ悲鳴を上げるトロルが居る。
鈍く、愚かで、知恵の足りない彼らは。それでも王に付き従う彼らは、逃げることも出来ずに戸惑うばかりだ。
どうしてそんな事に? 私たちが何かしただろうか。誰かの脅威になったが故に、手段を択ばず排除されたのか。
「この地にはミスリル銀があるはずだ。探査のための魔力は残しておけよ、どうせこいつらは狩っても食えん」
承諾の声が重ねて返される。
倒れた王の回りに、縮こまるようにして逃げ場をふさがれた私たちを囲むのは、金髪痩躯で白い肌を持つ優美な種族。
そうだ、己は自覚していた筈だ。いつかこんな日が来ると。
この手で以て築き上げてきた一切が、災禍を呼ぶ可能性を孕んでいると。
そして覚悟していた筈だ。その時が来たならば。
脅威に対して、己の全てで立ち向かうことを。
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