第22話
砦の西側に、貼り付けるように建てた掘っ立て小屋。
即席厩舎としての役割を十分に果たしてくれた、木造土間作りの簡素な建物である。
地面に直接穴を掘って柱を埋めたものであるので、あまり長持はしないだろうが、それでも5~6年は実用に耐えると思われる。
今後も、客人が馬などで乗り入れたときには活躍してもらうつもりではあるのだが、使用頻度からしてかなりの期間ただの空き小屋となってしまうのが予想される。
荷馬車が4台程度は馬ごと悠々入れる大きさで建てたので、活用しないのは勿体ない。
馬房や水桶などを据え付けるのは勿論だが、やはり騎乗できる動物が入ってこその厩舎ではないだろうか。
トロルは種族的に見事な力士体型である。当然ながら、足はあまり早くない。
体重もかなりあるので、並みの馬やロバなどなら涙目で乗車拒否してくれるだろう。
前世の北海道でソリを引いてるような巨馬なら何とかなるだろうが、行動範囲の広い
ならば諦めるかとも思ったのだが、一つ心当たりがあったのだ。
アプリ―リルとイグサモドキを刈りに行った際、湿地帯に大きな生き物がいた。
丸々と太った胴体に、短い手足。でかい頭部に、それに輪をかけてでかい口腔。小ぶりでキュートな尻尾。
前世で言う、カバにそっくりな生物だった。
意外と温厚で、湿地に生えた草を食べてはぐでっと泥浴びだか日光浴だかをしていたのでスルーしてたのだが、あの巨体ならばトロルを乗せて運ぶことも十分にできるのではないだろうか。
本気になったカバは意外と足も速いと聞くし、こちらのカバ似の生き物も、調教してしまえば騎乗動物
足りえるだろうという目論見である。
「マイカー捕獲作戦だね。頑張るよ、アプリ―リル」
「まいかぁ? ですか?」
湿地で捕獲、と聞いたからお魚か何かと思ったのか。最近作った柄つきのタモ網を握りしめている。
ちょっと戦力に不安があるけれど、使えるかどうかも分からないものに人手を借りるのは気が咎めるし、ブラウンは家の中ならあれこれ出来るけれど屋外だと話し相手くらいにしかならない。
多少不本意ではあるが、社会的には3歳児が猫の子捕獲大作戦をしているのと変わらないのだ。
それに、挑戦と失敗こそが人を大きく育てるという。今世は多少無茶をしたところで怪我すらしない頑丈な身体を頂いているのだ。
望むままに生きる事。それが二つの世界において、両親への孝行であると考えられる私は割と幸せな生を送っているのだろう。
なにはともあれ、まずは現物を引っ張ってこなければ乗るも反るもない。
必要そうなものを担いで現地へと向かう。アプリ―リル、バケツは要らないからね多分。
天気がよく気温も上がっている。蒼天は太陽を高々と抱き、湿地は陽炎でも立ち上りそうなほど熱気に包まれていた。
風もないので、湿度も凄い。
私はまだいいけれど、アプリ―リルはだいぶ辛そうだ。足場も悪いし、好んでこっち方面に来るトロルが居ないのも納得である。
件のカバっぽい生き物は―――居た。
巨体を横たえて泥に埋まって涼んでいるようだ。
まずは観察、と様子を見てみるのだけれど。元々の気性なのか、それとも暑さで参っているのか、たいして動こうともしない。
時折寝返りを打って泥に横たわる方向を変えるだけで、鳥が乗ろうが蛙が跳ねようがお構いなしだ。
これだけ呑気な生き物なら、あっさり乗りこなせるかと近づいてみれば身体を起こして向き直ってくる。
おお、流石は野生動物。小さな生き物には無警戒でも、私たちサイズだと威嚇もするのだろうか。
のしのしと泥を掻き分けて歩む足取りは力強いが、それほど早くはない。
体高は意外と低く、1メートルと30センチくらいだろうか。だが横に1メートルくらいあり、しかも体長は3メートルくらいある。胴が長い。
待ち構えてみるが、吠えたり立ち上がったり口を開けたりする、いわゆる威嚇行動はとらない。
ぴすぴすと鼻を鳴らして、私―――ではなくアプリ―リルの方をしきりに気にしているような。
「アプリーリル、何か匂いのするもの持ってきてる?」
「匂い、ですか? いえ、自分特に心当たりは」
まさか、こいつ。
皮を剥いで丸焼きにする算段をつけていると、アプリ―リルが思い出したかのように声をあげる。
「あ! そういえば出かける前にリンゴの収穫してました。ここには持ってきてはないんですけれど……」
目当てとするものが無いと分かったのか、それともアプリ―リルに同調しただけか。どちらかは分らないがカバも一緒に気落ちしている。
やはり相当温厚な生き物らしい。これなら連れ帰ることくらいはできそうだ。
「よし、リンゴあげるからついといで。量はきみの働き次第だ」
そう言って首周りに縄をかける。誘導をしやすくする為の物だが、これすら嫌がらないとは。
野生動物としてそれでいいのかと思えるような鈍さである。
泥まみれであるので、水の下位精霊に頼んで
アプリ―リルが触れてなでても怒り出す様子はない。
「大人しい子ですね。この子もお乳とか貰うんですか?」
「んー。どうだろ。……いちおう雌、っぽいね」
カバのミルクとか聞いた事もないが、哺乳類であるなら取れないことはないのだろう。
ラクダのお乳も飲む地域はあるというし。味については未知数だが。
大人しく誘導に従ってくれるカバの背に、アプリ―リルをヒョイと乗っけてみる。
今日はわざわざ載せるような荷物もないし、
「わ、わ。えと、プリンセ様。どうすれば……」
「そのまま首元の縄を握ってまたがっててね」
鼻をぴすぴすさせているが、不快げな様子はない。歩みも変わらず同じペースである。
体重の軽いアプリ―リルだからかもしれないが、しっかりと乗用カバとしての実用性を発揮している。
乗馬においては上下運動を上手に受け流す技術が必要であるが、足が短く胴の長い乗カバにはそれほど体裁きは必要ないらしい。
動物の上に乗るのが初めてのアプリ―リルでも、簡単に安定した姿勢を保っていられるようだ。
「乗り心地はどうかな。気になる所とかある?」
「あ、はい。自分、はじめてで。こんな視点が高いんですね」
自ら足を動かすことなく、景色の方が進んでいく感覚は新鮮だろう。
見慣れた森が、今のアプリ―リルにはちょっと違った世界に見えている筈だ。
「ただ、やっぱり生き物ですから。お尻の下があったかくて、歩くたびに筋肉が動いてるのが分かるのが、なんだか少し恥ずかしく……」
鞍など用意している筈もないので、裸馬ならぬ裸カバである。しかも、またがらせるように乗っているため、内腿でカバの胴体を挟みこんでいる形だ。
体温も感じるだろうし、カバには毛がほとんど生えてないために感触も生々しい。
「あー。ごめんね。家に着いたら鞍か何か用意するから」
ちょっと可哀想ではあるが、人を乗せることに慣れて貰えれば今後の調教がぐっと楽になるのだ。
これだけ人懐っこく、賢い動物なら”進め”や”止まれ”くらいならすぐ覚えるだろうし、餌付けも好物の見当はついている。
水場も小川があれば十分だろうし、何なら小さな池くらいなら掘ってもいい。
難航するかと思っていたが、予想以上に上首尾に落ち着きそうだ。
なお、砦に戻ってリンゴをあげるとこのカバは火を噴いた。沼地で生息していた訳がよく分かったよ。
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