第10話
今、私たちの前にはこんもりと山になった砂がある。
実験農場に運び込んでもらったそれは、旗下のトロルたちに攫って貰った川砂だ。
きめ細かく真っ白で、水からあげて乾燥させたそれはさらさらと指から零れ落ちる。
「これが、ガラス瓶の材料になるんですか?」
「そうだね。この山自体が石灰岩だし、石英も十分に含まれてる。あとは植物灰を混ぜて、高温で熱すればガラスになるよ」
ほへぇと、感嘆の声をあげるアプリ―リル。吹き竿ほか必要になりそうな道具類は、事前にトロル銀で拵えておいた。
あとはその残り火にかけたるつぼで、砂を溶かして吹くだけだ。
薪を追加し、
十分に加熱された様子のそれに、吹き竿を突っ込み中身を纏めてくるくると回す。
「わ、わ。凄い、落っこちそうで、落ちません!」
「ここまでは簡単だよ。でも、ここから先が技術勝負になるんだよねぇ」
意を決し、吹き竿にそっと息を吹き込む。あくまでそっとだ。乙女の息吹を捉えた溶融ガラスが急激に膨張し。
パァン!
「……吹き飛ん、じゃいましたね」
半ば分かっていたことだが、己の甚大なる肺活量が恨めしい。トロルは横隔膜まで強靭なのだろう。
反面繊細な呼気使いなど望めるべくもなかった。咆哮は得意なのだが。
「本来ならここで膨らんで器の形を成すんだよ。そんな訳だから、アプリーリル」
はい、と吹き竿を渡す。目をぱちくりさせている。
「私が、支えるのと回すのはやるから。息を吹き入れるとこだけお願いできる?」
できないならば、できるものに頼るだけだ。すでに身内であるが故、遠慮も要らない。
「自分に、出来ますでしょうか……」
横隔膜の強度差からいって、私が吹きかける加減をマスターするよりよっぽど早く完成品が出来上がると思うよ。
くるくると回る吹き竿に手を添えて、最初は遠慮がちに。慣れればアプリ―リルは過不足なく息を吹き込んでくれた。
顔を真っ赤にしながら一生懸命吹いてくれたガラス瓶は、大切に使わせてもらおう。
『それで、これがその成果物?』
ブラウンがのぞき込んでいるのは、リンゴを皮ごと切って水につけたものを、日の当たらない場所で1週間ほど安置した瓶だ。
「そう。酵母って言うんだよ」
微発泡しているこれは、リンゴの表面に付着している酵母菌の働きによるものだ。パンなどに使う事も目論んでいるが、本日の目当ては異なる。
鍋で煮たトロルマタギ。例の偽イグサの実でできたお粥を冷まして、できたての酵母を投入して混ぜ合わせる。
木樽に詰めて2~3日、定期的にかき混ぜれば発酵が進んでくれる筈だ。
なんでも、前世の課題で調べたお酒造りの際には、雑味が悪さをすると聞いた。お米で作るお酒も、わざわざ磨いて芯の部分だけ使うとか。
元より味が無さすぎて目が虚ろになりそうだったこの実で作るなら、透き通るようなクリアなお酒ができる……筈である。
生憎と飲んだことはないけれど、お酢やみりんに転じることもできるし、料理の幅も広がるはずだ。
蒸留すれば、保存も効くし医薬品としても使えるだろう。
それに、お酒ある所に
まさかできた途端に湧いて出るようなことはないだろうけれど、もし出会えたならば、交易品の品目として有力になると企んでの事だ。
『なるほどねー。味見は任せておいてよ! お酒の嫌いな精霊は居ないよ』
「あ、そうなんだ?」
飲食は出来なくはないけれど嗜好品だって言ってたし、甘いものも好きなようだから考えてなかったけれど、意外なところに酒飲みがいたらしい。
『味の好みはあるけどね! 正直、あのマッズイ実が美味しいお酒になるとか半信半疑なんだけれど』
「そこは、作ってみないと分からないねぇ」
私も、前世の郷土史だか雑学だかの本に書いてあったことの聞きかじりでしかない。
そもそも飲酒可能年齢に達する前に死去しているのだ。
こっちでは、公共の場で酔っぱらうのは良い目では見られないが、厳密にいくつからと飲酒年齢が法で決まっているわけではないらしい。
そして、そもそもトロルを制限するような法自体がない。強いて言うなら、
父と酒を酌み交わす。前世ではついに果たせなかった、ささやかな夢をこちらで叶えてみるのも悪くはないだろう。
そういえば、酒造というものも分類としては闇属性の範囲であるのだろうか。
「……闇の女神プロセルピナ様。どうかこの試みに、御身の祝福を賜ります事を」
おいしくなってくれればいいな。そんな願いを込めて木蓋をそっと閉める。
あとは天の配剤任せ。でもなぜか、悪い結果にはならないような。そんな予感がするのだ。
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