すみちゃんに見えた光

尾八原ジュージ

すみちゃんに見えた光

 光が見える。

 すみちゃんがそう言い始めたのは、十三の夏のことだった。


 朝子が知るかぎり、すみちゃんは生まれたときから目が見えない。重たげなまぶたの下から覗く両目は、いつも白く濁っている。かんかんに晴れた夏空の青も、村にほど近い山の緑も、すみちゃんは見たことがない。

 すみちゃんは、朝子の父方の伯母さんの連れ子である。血はつながっていないし、ちょっと年上だけれど、朝子にとっては大事な友だちだ。

 父方の伯母さんを、朝子はあまり好きでない。いつもきんきん高い声で話して、自分の娘であるはずのすみちゃんに冷たくあたる。継子の長男と、再婚してから生まれた弟ばかりをかわいがって、すみちゃんのことは軒下に住みついた野良猫くらいに思っている。少なくとも朝子には、そんなふうに見えるのだ。すみちゃんが大した意味もなしに怒鳴られたりしていると、朝子は自分も怒鳴られているような、いたたまれない気持ちになってしまう。

 生まれてから一度も光を見たことがないすみちゃんが「見ている」という「光」は、いったいどんなものだろう。朝子はとても気になった。

 ところが学校の先生に聞いても、七歳上の大きい兄さんに聞いても、よくわからなかった。すみちゃんに聞いても「だって見えるんだもの」と言うだけで、一向に要領がつかめないのだった。

「それって、きれい?」

 朝子が尋ねると、すみちゃんは少し首をかしげて考えてから、「冷たい」と答えた。


 伯母さんは最初、すみちゃんをばかにした。でもすぐに、ばかにしていられなくなった。

 それは夏の夕暮れ、伯父さんの家の庭先でのことだった。

「すみ子ってば、おかしなこんばっか言うのよ」

 伯母さんはそう言って笑い、縁側の隅にちんまりと座っていたすみちゃんの頭を小突いた。

「見えるって言うんなら、今度光ってるものを見たら持って来うし」

「はい」

 すみちゃんは返事をすると、ふいっと立ち上がった。

 勝手知ったる庭のなかを、すみちゃんは杖も使わず、迷う素振りも見せずに、ふわふわと雲をふむような足取りで歩いていく。そのうち植え込みの陰に座り込むと何かを拾い、またさっと立ち上がって、こちらへ戻ってきた。

「はい」

 すみちゃんが両手にのせて持ってきたものを見て、伯母さんはぎゃっと叫んだ。好奇心にかられて横から覗き込んだ朝子も、ひゃっと小さな悲鳴をあげた。

 すみちゃんの手にのっていたのは、死んで間もない土竜だった。


 すみちゃんが「光ってる」と指すものには、きまって死の影がつきまとっていた。

 たとえば野犬をはねた後の車だとか、水に浸けたあとのねずみ捕り器、家族三人が犠牲になった火事の焼け跡、新仏のねむる墓――

 伯母さんは最初気味悪がって、すみちゃんをどこか遠くへ養子にやろうなどと言い出した。それを止めたのは、朝子にとっては意外なことに、すみちゃんの継父である伯父さんだった。

「おまん、たしか死んだばあさんも、おなじこんができたらしいと言ってたじゃんけ」

 そう言って伯母さんを止めたという。朝子にはわけがわからなかった。

 それから伯母さんは、打って変わってすみちゃんを大事にするようになった。杖を手に歩くすみちゃんの後ろから、街のお嬢さんが使うような日傘をさしかけて、にこにことついていく姿を見たとき、朝子はなぜか(よくないものを見た)と感じた。

 同じ時期から、伯父さんの家がどんどん豊かになっていった。どうも、すみちゃんに拝み屋のようなことをさせているらしい。朝子は父さんからそう聞いた。

 すみちゃんはすごいらしい。すみちゃんが何かをすると、やれ病人が元気になったの、だめかと思った怪我人が目を開けただの、たいへんな評判なのだという。すみちゃんに助けてもらったひとは、たくさんお金を払ってくれる。だから伯父さんの家は、どんどん豊かになっていった。

 ある日、朝子が伯父さんの家におつかいにいくと、ひさしぶりにすみちゃんに会った。珍しくひとりぼっちで縁側にすわって、ぼーっと庭先を見ていた。

 朝子は喜んだ。最近のすみちゃんには、いつも伯母さんがくっついていて、朝子が近寄るといやそうな顔をする。だからとても話しかけにくかった。今なら伯母にいやそうな顔をされず、きんきん声で叱られることもない。そう思って朝子は、すみちゃんの方へ駆け寄ろうとした。すると、

「朝ちゃん、こっちへ来ちょしね」

 まだ呼びもしないのに、すみちゃんはそう言って朝子を止めた。

「どうして?」

「光ってるもの」

 朝子はぎょっとして足を止め、自分の手足を見た。冷たい手で心臓をわしづかみにされるような恐怖が、頭の中をいっぱいに満たしかけた。叫びそうになった朝子を、すみちゃんの声が正気に戻した。

「ちがうちがう。光ってるのは朝ちゃんじゃなくて、わたしのほう」

「すみちゃんのほう?」

 とは言われたものの、朝子には、すみちゃんが光っているようにはまったく見えない。そう伝えると、すみちゃんは「光ってるよ」とさびしそうに言って、顔の前で両手を握ったり開いたりした。

「あのね、わたし、あちこちに行って、死にかけてる人にうんと会ったの。これから死ぬってひとは、光が体にたくさんついているから、わたしが取るの。でも、ほいだけじゃすぐに光が元のところへ戻っていってしまうから、こうやって食っちまうの」

 すみちゃんは何かをつまむような手つきをして、口もとに近づけ、大きく開いた口の中に、見えない何かをぽいっと放り込んだ。

 朝子はそんなすみちゃんを、呆然と眺めていた。

「ほうだから、自分も光って見えるようになったのよ。ほんなもんばっか食うから。だから朝ちゃんは、こっちに来ちょし」

 光がうつるよ。

 朝子は怖くなって逃げ出した。光そのものが怖かった。光がうつったらどうしよう、と思っても怖かった。自分や家族が死ぬことも、光が見えて触れてしまうすみちゃんのことも、すみちゃんを怖がってしまう自分の心も、怖くて怖くて、走りながら涙が出た。


 光が見えるようになってからすみちゃんが死ぬまで、たったの半年もなかった。

 すみちゃんは光を食べて、食べて、食べて、冬のはじめに死んだ。ある朝伯母さんが起こしにいったら、布団の中で目を閉じたまま、ずっと動かなかったという。

 それから伯父さんも伯母さんも、従兄にいさんもちっちゃな従弟も、お祖父さんもお祖母さんも曾祖母さんも、たちまちのうちにみんな死んでしまった。

 すみちゃんの葬式のあと、突然狂ったように暴れ出した伯父さんが、台所から包丁を持ち出して伯母さんを刺した。それを皮切りにして、ほんの一月の間に、事故に遭ったり病気にかかったり、ばたばたとみんないなくなった。ひっきりなしに葬式が出て、朝子のお父さんとお母さんは大忙しだった。

 朝子だけが、そうなることを知っていた。

 まだ秋の頃、一度だけすみちゃんに会った。そこはここらでいちばん大きなうちの門前で、伯母さんは少し離れたところでだれかと話していた。刈り入れ前の田圃の稲が金色の波をつくって揺れていた。

 すみちゃんは、朝子が声をかける前にこちらに気づいた。だまって手招きする顔は、昔と同じで優しかった。

「どうしても言いたいこんがあるのよ。大丈夫、ちょっと話すくらいじゃ光はうつらんから」

 そう言うから、朝子はおそるおそる近くに歩いて言った。すみちゃんはごく小さな声で、

「あのね、わたしひとりでおっぬのいやだから、わたしから出てくる光をとって、みんなのご飯に入れてるの」

 朝子に耳打ちをして、くすくすと笑った。

 とりかえしのつかないことが、とっくに始まってしまっているのだと、朝子は知った。

「いい? ないしょよ。ないしょにしてくれなかったら、わたし、朝ちゃんも連れてくからね」

 すみちゃんはそう言った。蛇がしゅうしゅう騒ぐような声だった。

 朝子がすみちゃんに会ったのは、それが最後になった。


 すみちゃんのお骨を墓の下に納めた日の夜、家の中からぼんやり外を眺めていた朝子は、墓地の方角に、なにか光るものを見た。

 青白い光の球が、真っ暗闇の中を飛んでいた。驚いて眺めているうち、それはすうっと見えなくなった。光はさながら雲の上を歩くように、ふわふわと動いていた。

 あれはきっとすみちゃんだったのだと、大人になった今でも、朝子は思っている。

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