第34話 体力テスト②

「氷室さん、同じチームだね。一緒に頑張ろうね」

「え?あっ……うん。よろしく、北原さん」


 球技大会、私は北原さんと同じチームでバレーボールに出場することになった。

 一週間前、近所のスーパーで電話をしている彼女を見かけて……その相手は多分……。

 そこから先は、考えないようにした。

 私が想像してしまった通りなら、きっと私はそのことに驚愕し立ち直れないかもしれないから。


「氷室さんってスポーツはどう、得意?」

「い、いえ。かなり苦手……かな」


 いつもは、自分が氷姫と揶揄されている通り表情に感情が乗らないようコントロール出来ている感覚はある。

 しかし、北原さんの前だとなぜか緊張感が高まって平静を装うことが難しい。


「そっか。私は、結構得意な方だと自負してるんだ。同じチームだから、これからよろしくね」

「う、うん。よろしく」


 ホームルームは無事終わり、そのまま帰路に就く。


(北原さん、私が一人でいたから声かけてくれたのかな。やっぱり普通に良い人だよね)


 帰りがけに、そんなことを考えながら私はスマホを操作する。

 想い人の彼に……頼君にメッセージを送る。

 その日にあった他愛もないことや、とりとめのないこと。

 学校で安易に頼君と話すことが出来ない私にとって、何でもいいから彼と心の通ったやり取りがしたかった。

 私の短いメッセージに対して、彼も短いメッセージを返してくれる。

 些細な事かもしれないけれど、彼から返信があるたびに心が温かくなる。


(明日は、体力テストか……運動苦手な私からすれば憂鬱でしかない。頼君は、私とは別の意味で明日緊張してそうだな)


 住宅街の景色を赤く染め上げている夕日を見ていると、気持ちが和らいでいく様な気がした。


 ▽▼▽▼


 翌日になり、今は体操服を身に纏い体育館で体力テストの真っただ中だ。


「おい!女子たち、いいか!球技大会は、この体力テストから始まっているんだ!他のクラスに舐められないように良い記録出すんだぞ!」


 クラスで少しお調子者で有名な大野君が、そんなふうに声を張り上げている。


「うっさい!私たち女子は運動が得意じゃない子が多いの!」


 女子生徒から、非難の声が上がっているが大野君は堂々としている。

 

(あんなふうに、動じない性格……少し羨ましいな。お調子者の部分は余計だけど)


 大野君が握力計測で凄い記録を出したらしく、二組の男子と女子はそれぞれ違う意味で盛り上がりを見せていた。

 しかし、私には大野君の記録なんてどうでもいい話で、周囲を警戒しながらテストを行っている頼君の姿しか目に入っていなかった。


 頼君は、恐らく自分の記録を誰にも悟られないように周囲を気にして行動している。

 彼の行動の一つ一つに親近感を覚えて仕方ない。


「片桐君!凄いじゃん!握力89キロ、高校生のレベルじゃないぜ!」


 彼の結果が露わになり、先ほどの比にならないぐらいクラスメイト達が盛り上がっている。


「やっぱり、片桐君凄いよね!天才?」

「うんうん、もう才能の塊って感じ。スポーツも勉強も天才なんだよ」


 そんなふうに私の目の前で女子生徒たちが騒いでいる。


(才能なんて言ってほしくない。生まれ持ったものは確かにあるかもしれないけど、頼君は自分を変えようと沢山努力して今の容姿や成績があるんだ……才能のおかげなんかじゃない)


 彼のことをよく知らない人たちの些細な言葉に、怒りに似た感情が芽生えてしまった。


「才能の一言で片づけるのは失礼だよ」


 私の後方から、声を上げたのは北原さんだった。

 そう発言した彼女の表情は真剣そのものだった。


「才能だけで結果には結びつかない。きっと、彼が見えないところで沢山努力してる結果なんじゃないかな?それを才能って言うのはお門違いだよ」


 彼女の言葉にさっきまで騒いでいた女子生徒たちが目を丸くしている。


「そ、そうだね、北原さん。確かに失言だったよ」

「私こそ、ごめんね。急に口挟んで。あっ、学級委員が呼んでるから行きましょ」


 北原さんが頼君に対して、私と同じような事を思っていたことに驚いた。


「ほら、氷室さんも行きましょう」

「う、うん」


(ねえ、北原さん。なんで、そんなに真剣な顔で頼君のことを話したの?見えないところで沢山努力してるって言ったけど、あなたは彼の努力を近くで見てきた人なの?この前、スーパーで電話していた相手は誰なの?)


 私の中で北原さんに対する疑問が次々と浮かんでくる。


「凄い!北原さん、握力35だって。女の子だとかなり強い方だよね!」

「北原さんも片桐君も勉強の運動もできるから、凄いよね!」


(北原さん、本当に凄い。勉強もスポーツもいつも高得点。頼君と同じでとても努力してるんだろうな。私が彼女に勝てたのは、前回のテスト一回だけ。私なんかじゃ、北原さんには総合的に勝てないんだろうな)


 勝てないと分かっていても、なぜか北原さんに対抗意識を持ってしまう。


「はい。次、氷室さんだよ」


 北原さんは、私に握力測定器を差し出してくれる。

 憂鬱になりながら、彼女からそれを受け取った。


「私、氷室さんには絶対に負けないから」


 私の耳元で周囲には聞こえない小さな声で、北原さんは確かにそう言った。


「え、え!?それって……」


 北原さんは、一度私の目を見て速足でその場を後にした。


 ▼▽▼▽


 午前の体力テストが終了して、お昼休みに入った。

 鞄からお弁当を取り出して、少し考える。


(さっきのなんだったんだろう。私が体力テストで北原さんに勝てるわけないのに)


 いつも通り、旧校舎裏のベンチで食事をするために教室を出ようとしたが……。


「ねえ、氷室さん。バレーボールのチームでお昼食べるんだけど、一緒に食べよ」


(北原さん。昨日も声かけてくれたけど、今日お昼まで誘ってくれるなんて。でも、さっき私に言ったことは本当になんだったんだろう)


「え、いや……でも、私は」

「ほら、行こう」


 私は彼女の力強い手で連れていかれる中、視界の端に映った頼君がお弁当を持って教室から出ていくのを確認した。


(頼君、もしかして旧校舎裏のベンチに行くのかな)


「氷室さん、連れてきたよ」

「お!氷室さんだ」

「話すのはじめてだね。よろしく」

「さあ、早く食べよ」


 今日は、北原さんに驚かされてばかりだ。

 私なんかが彼女たちの集まりの中に顔を出しても歓迎されないと思っていた。

 しかし、全くそんな感じはない。

 ここにいる人たちは私の悪い噂や派手な容姿なんか関係ないように、とても親切に接してくれる。

 私も促されるがまま、自分のお弁当を広げて食事を始める。


「奈季のお弁当、すごい大きい鮭が入ってるね」

「うん。とっても美味しいよ」


 北原さんと話しているのは、学級委員の市川さん。

 二人が一緒にいるところはよく見かける。


「あ、氷室さん。これ食べて、美味しいよ」


 市川さんは、沈黙していた私にも親切に声を掛けてくれる。

 本当に周りが良く見えて、気遣いができて素晴らしい人なんだろう。

 正直、思っていたよりずっと居心地がいい。

 でも……。


「あの、実は昼休み先生に呼ばれてて……もう行かないと。誘ってくれたのに、ごめんなさい」


(やっぱり、他人は怖い。親切にしてくれても彼女たちの心の中では、もしかしたら歓迎されてないかもしれない。そんなふうに考えてしまうと緊張で食事も喉を通らない)


「そっか。残念だけど、仕方ないね。また、誘ってもいい?」

「うん。ありがとう」


 最後まで親切に声を掛けてくれる北原さんにお礼を言って、お弁当袋を抱えたまま私は旧校舎裏のベンチに向かった。


 ▽▼▽▼


(あ!やっぱりいた。頼君!)


 旧校舎に辿り着いた私は、ベンチに座り一人で食事をしている頼君を発見した。

 

「頼君……」


 はやる気持ちを少し抑えて彼に声を掛けた。

 彼は振り向くと少し驚いた表情をしていたが、ベンチの隣に座るよう誘導してくれる。

 私たちは、ベンチに並んで座り会話をしながら食事を始めた。

 彼と会話するのは久しぶりで、それだけで楽しい。


「メッセージ、いつも返してくれてありがとね」

「俺も誰かとメッセージ送り合う事なんてほとんど無いから新鮮で楽しいよ」


 彼は微笑んで、そう言ってくれる。

 私は、ここで少し踏み込んでみることにした。


「それって、頼君の幼馴染とは……あまり連絡取り合ったりしないってこと?」

「まあ、そうだな」

「そっか……そうなんだ」


 彼の回答に不覚にも喜んでしまった。

 彼と一番連絡を取り合っているのは自分だという優越感を感じてしまった。


「頼君さっき凄かったね!握力計測の時」

「俺としては目立ちたくなかったから、ずっとテンパってたよ」

「ふふ、そうだろうと思った。頼君なら、他の体力テストも良い成……せき、を」


 私は自分の視界に入ってきた物を見て、目を疑った。

 私が目にしたのは、彼のお弁当。

 

「ん?どうした、冷夏?」


 先ほど感じていた優越感は、すでに吹き飛んでいた。


「大きい鮭……」


 大きな鮭が入っている彼のお弁当……。


「え?ああ。少し食べる?」


 容器こそ違うけれど、すぐに気が付いた。

 さっき見た、北原さんのお弁当と全く同じ中身。


「その、お弁当誰が作ってるの?」


 聞かずには、いられなかった。


「え?俺だけど……」


 その答えに、私の胸は苦しくなった。

 泣きそうになり涙が流れるのを我慢している私の顔を彼に見られたくなくて、顔を伏せた。


「おい、冷夏?大丈夫か?」


 もうここまでくると、確認しなくちゃいけない。

 

「頼君、聞いてもいい?」


 その答えを聞くことは、とても怖いけれど……それを知らないと私は前に進めない。

 

「……冷夏、一体どうした?」


 ただ、そんな気がしたんだ。


「頼君と北原さんって、どういう関係なの?」


 決死の想いで、質問をした。

 それを聞いた彼が、緊張して答えるのを躊躇っていることが分かった。

 少し沈黙の時間が流れた。


 大きく息を吐いて彼は私の目を見て、その沈黙を破った。


「俺と北原さんは……奈季とは、幼馴染なんだ」


 予想通りの回答だった。

 その答えを聞いて、より胸が苦しくなる。

 私の心は、孤独感に包まれた。


 北原さんのことを『奈季』と呼んだ彼の言葉に……この二人がただならぬ関係だと、私の直感が訴えていた。

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