第31話 特別

「うっ……た、食べ過ぎた」


(まさか、放課後に頼と氷室さんが二人きりで出掛けてたなんて…… それって、もうデートなんじゃ……違う違う。少しお互いに話が弾んで、共通の趣味が偶然あって、それで……一度出掛けただけ。そう、それだけだよ。多分)


 頼と氷室さんが放課後に一緒に出掛けたという事実を知って、不安と苛立ちを隠しきれなくなった私は夕飯をやけ食いした。


「奈季、大丈夫か?胃薬飲むか?」

「…………」


 そして、この有様である。

 自分でもみっともないと思う。

 頼が誰と仲良くして、誰と出掛けようと彼の自由だ。

 でも、私の知らないところで私じゃない女の子と仲良くしてるなんて考えたくもない。


 春休み中にも思ったこと……なんで、氷室さんと仲良くできるの?

 赤の他人のはずの氷室さんと。

 今日二人きりで出掛けて、きっと時間的にお昼も二人で食べて……そんなの頼にとって氷室さんの存在は少し特別みたいになっている。

 そんなの嫌だ。

 特別は……頼にとっての特別は、私だけのものだから。


 ソファに座り込んで俯いている私の隣に腰を降ろして、頼が私を心配してくれている。


「奈季、本当に大丈夫か?少し、横になるか?」


 私は、そう優しく声を掛けてくれる彼の腕に力一杯両手でしがみついた。


「お、おい。どうした?」


(絶対に離さない。誰であろうと私と頼の間に入り込める隙間なんてない)


 少し狼狽えている彼を尻目に、その隙間を作らないように体を密着させる。


「ちょっと離れろって」

「やだ」


 本当にみっともないと思う。

 告白する勇気もないし、告白出来ても受け入れてもらえる可能性が低いと打算的で……こんな自分の欲求を満たすための態度を取るしかできない。

 それでも、今日は逃げるわけにはいかない。

 春休みの時は、少し怖くて聞かなかった。

 頼と氷室さんの関係。


「ねえ、聞いてもいい?氷室さんのこと……」

「え……あ、うん。答えられることなら」


 私の質問に対して、彼は少し悩みながら答えたような気がした。

 私も不安で緊張が全身をめぐるけど、彼と体を寄せ合っている今自然と冷静に開き直ることが出来ている。


(頼と一番時間を共有しているのは、私だ)


 その確固たる事実が、今の私に少しの自信を持たせてくれる。


「放課後に出掛けようって、頼から氷室さんを誘ったの?」

「あっ、ああ。俺からメッセージを送って、待ち合わせしたよ」


 彼のその言葉に、開き直って手に入れた自信が少し削り取られていく。


「そ、その……頼は、氷室さんと遊びたかったの?」

「え?いや、そういう純粋に遊びたかったってわけじゃ____」

「私じゃだめだった?」

 

 彼の言葉を遮って、言葉を発してしまった。

 さっきまで少し冷静だった私の頭が、不安で埋め尽くされてしまった。


「オタク趣味の話で盛り上がったって言ってたけど……私じゃだめだった?私と話すより氷室さんと話す方が楽しいと思ったから?」


 冷静だった私の頭や自信は、本当に脆いものだった。

 まだ聞いたのは、遊びに行く約束をどっちからしたか、だけ……その答えを聞いただけで心が一気に乱れた。


(だめ、泣くのは絶対にだめだ……)


 私の目から涙が溢れそうになるが、それは必死に堪えた。

 まだ核心に迫る質問もしていないのに、ここで泣いている場合ではない。


「奈季、高田さんってクラスメイト知ってる?」

「……え?……うん」


 そうゆっくりと真剣な顔で頼は私に尋ねてきた。

 彼の切り出した話の意図が分からず、なんだか拍子抜けして我に返ることが出来た。


「今日の学級委員決めの時に高田さんが氷室さんに突っかかってただろう?それが気になって氷室さんに直接話を聞きたいと思ったんだ」

「それで、放課後に約束をしたってこと?」

「うん。結局、話を聞いてみると高田さんとは去年も同じクラスだったみたいで、その時から今回みたいなことが多々あったらしい。それに、例の噂も……」

「それって、不品行っていうやつ?氷室さんを揶揄している噂の」


 彼は、私の目を見て頷いて言葉を続けた。


「あの色んな噂は、勿論ただの噂で真実じゃない。海星学園に入学した直後、氷室さんは成績も良かったし外見も派手だったからクラスの誰よりも良い意味で目立っていたそうだ。それを気に入らない生徒と取り巻きたちが多かったらしい」

「それが、あの高田さんってこと?」

「まあ、断定はできないけど。今日のあの行動を見たら関係ないことはないだろう」


(沙也加にも言われた。高田さんには気をつけた方がいいって)


「そっか。今日、頼が氷室さんと放課後二人きりになった理由はわかったよ」


 高田さんに目の敵にされてるかもしれない氷室さんを心配したんだよね。

 でも……前から思っていた疑問。

 なんで、そんなに氷室さんに気を許すの?

 あなたは春休みに書店で、ばったり会った接点のない他人と仲良くなれるほど心の傷は癒えていない。

 いや……もう、分かってる。

 頼にとって氷室さんは……。


「頼にとって氷室さんは、赤の他人じゃないんだね?」


 私の質問に彼は優しく微笑んだ。


「うん、そうだな。大事な友達だよ」


 頼の言った言葉に複雑な気持ちはあったけれど、最終的には安堵した。

 友達……彼は、そう言い切ったから。

 私は、ここでもう一歩踏み込んでみることにした。


「……やっぱり変だよ。頼に友達が増えることは良いことで私も嬉しい。でも……頼はそういうスタンスじゃないじゃない!今も他人が怖いんでしょ?なんで氷室さんとは他人じゃなくなったの?なんで接点のない彼女とこんなに早く打ち解けることが出来たの!?」


 安堵したばかりなのに、踏み込んでしまったら止まれなくなった。

 私の取り乱した質問の仕方に彼は困惑しているように見えた。


「ごめん、奈季。それは、ちょっと言えない」


 その言葉で、大体察しがついた。

 私も伊達に頼と長い間一緒にいるわけじゃない。

 頼の行動範囲は、昔から熟知している。

 彼の言い回しで、なんとなく分かる。

 頼と氷室さんの私の知らない接点……彼の通っている病院しかない。


「私のこと、信用できないんだ……」


 少し皮肉を込めて言ってみる。

 たとえ、病院関係の事柄で安易に話せない事情だったとしても私に話してくれないことは悔しかった。


「ち、違うよ、奈季。信用がないとかではなくて、事情が____」

「うん。分かってるよ」


 私と頼の接点は幼馴染であること。

 彼の心の傷とその過去を知っていること。

 私には、頼の心の傷を癒してあげることが出来ない。


「頼。一つだけ教えて?」


 でも、もしも頼と氷室さんが心の傷の痛みを共有して分かち合うことができるような関係なら、私は彼女に勝てないかもしれない。


「私は、頼にとって特別だよね?」


 彼の手を強く握って、彼の目を真っすぐ見て言葉をぶつけた。


「うん、勿論特別だよ。いつも元気をくれてありがとう、奈季」


 彼の優しく微笑む姿に、私の体が熱くなる。


「私にとっても、頼は特別だよ」


 そう、特別。

 一番特別なんだ。

 頼は……今は、違うかもしれないけど……。


「ふふ。頼に手、大きいね」

「奈季の手は思ってたより小さい……というか、そろそろ手を放してくれない?」

「やだ」


 いつか、あなたの一番特別になれるように……。

 そう願いながら彼と手を繋ぎ、その隣にいられることの喜びを噛み締めながら時間は静かに過ぎていった。

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