第30話  放課後③

 始業式を終えて、教室に戻ってきた。

 掃除当番の順番が決定し、あとは学級委員も決めて今日は終了らしい。

 しかし、学級委員は不人気な役職で誰もやりたがらないようだった。


「誰も立候補者がいないなら、推薦かクジ引きで決めることになります」

 

 先生がそう言って少しして、名乗りを上げたクラスの男子。

 

「誰もやらないなら俺がやりますよ、先生」


 男子は、しっかり者に見える浅野君という人が立候補して決まった。


「じゃあ、あとは女子の学級委員だけど誰も立候補はしない?それなら無難にクジ引きで……」

「はーい。私は氷室さんがいいと思いまーす」


 あとは女子だが痺れを切らした先生が切り出した言葉を遮ったのは、去年同じクラスの高田さんだった。


「氷室さん、高田さんに推薦されてるけど……どうする、やってみる?」


 正直、学級委員を決まることなんて、この時の私は気にも留めていなかった。

 さっき見えた光景……頼君と北原さんのやり取りが脳裏に焼き付いて離れない。


「いや、私は……」


 いつもみたいに、毅然とした態度や表情を取り繕うことが出来ない。

 私の微かな動揺を感じた取った高田さんが追い打ちをかけるように、言葉を発してくる。

 しかし、市川さんという女子生徒が立候補したため、私は難を逃れることが出来た。


(いけない。さっき見たことは取り合えず考えないようにしないと……学校で、他人の前で、弱い自分を露呈するわけにはいかない)


「…………ん?」


 ポケットに入れてあるスマホがに震えたことに気が付いた。

 周囲に気づかれないように恐る恐る机の下にスマホを隠して通知を確認する。

 『片桐 頼』、送られてきたメッセージの差出人表記が彼の名前だったことに驚いた。


「え!え!?なんだろう、こんなホームルーム中に……頼君からメッセージ」


 ドキドキと高鳴る心臓を静めるように、ゆっくりと息を吐いてメッセージの内容を確認した。


【放課後よかったら何処か行かないか?大丈夫なら裏門を出た路地裏で待っていてほしい】


 いつも感情を静かに学校で過ごしている私が、ここまで多幸感に包まれたのは初めてだった。

 自然と口角が上がってしまいそうになる自分の気持ちを必死に抑えこんだ。


【了解です】


 私は短い文章を彼に送って、すぐそこに迫った放課後を楽しみに時間が過ぎるのを待った。


 ▼▽▼▽


 放課後になりクラスの人たちは、これからどこかに行く話し合いで盛り上がっていた。


「氷室さんもどうかな?」


 教室を出ようとしていた私に北原さんが声を掛けてくれる。


「いや、いい。用事あるから」


 私は教室を出て、頼君との待ち合わせの路地裏へ速足で向かう。


(北原さん、周囲の目なんて関係なく私なんかも誘ってくれるんだ。噂通りの良い人なんだろうな。でも……)


 教室で見た頼君と北原さんのやり取りは、何だったのか。


(偶然、北原さんの足が頼君の椅子にあたって目を合わせて謝罪してたとか……よく見えなかったから、そんな感じだったのかもしれないな)


 私は、なぜか頼君と北原さんの関係をこれ以上深堀したくない気持ちに駆られ適当に解釈して考えを完結させることにした。


(そ、それより……これってデートになるよね?まさか、頼君から誘ってくれるなんて。緊張してきた。私、顔には出ないけど耳に出るからな)


 髪の毛を整えて、携帯している香水を控えめに付ける。

 遠くから足音が聞こえて振り返ると、そこには私の想い人の姿が確認できる。


「ごめん、クラスの人たちに捕まってて。待った?」

「大丈夫だよ。それより誘ってくれて嬉しい」


(本当に嬉しい。今の私、頬が緩みっぱなしかも……落ち着いて行動しなくちゃ。あんまり燥ぐと引かれちゃうかもだし)


「じゃあ、行こうか?」

「うん」


 学校帰りの放課後、他の在校生に見られないように人けの少ない道を私と頼君は並んで歩いた。

 行き先は特に決まっていないらしいので、私が初デートの場所を選ぶことになった。

 

 「ふふ、頼君。顔赤くなってるよ」


 頼君も初デートだったらしく露骨に緊張して顔が赤い。


(赤くなって可愛い。今、私も赤くなってるだろうな。耳が熱い)


「まだ春なのに、なんだか暑いね」

「……そうだな」


 他愛もない話をしながら、目的の漫画喫茶に辿り着いた。

 私が来たのは初めてで、頼君もそうらしい。

 受付を済ませて個室の部屋を選んだ。


(個室で二人きりなんて、ちょっと攻めすぎたかな……)


 指定された個室に入ると、中は綺麗で思ってたよりも広々としていた。


「ねえ、頼君。本を読む前にお昼食べない?」


 二人でカレーライスを注文して、食事をする。


(前から一緒に、ご飯食べたかったんだよね)


 レトルトカレーの味がするやら、値段が少し高いとか、思う事考えることが私と彼は似たり寄ったりで本当に楽しい。


「なあ、冷夏。その……今日のことなんだけど」


 頼君が少し真剣な表情で、そう切り出してきた。

 どうやらクラスメイトの高田さんの私への対応が気になっていようで……。


「もしかして、今日そのことで私を誘ってくれた?」

「え?うん」


 ……すごく残念な気持ちになった。

 最初からデートだって舞い上がってたのは、私だけだったんだ。


「そっか。ちょっと残念……」


 気持ちを少し口に出してみる。


「あの、冷夏?」


 こんなにも普段は気が合うのに、私のあなたに対する気持ちだけは伝わらないよね……。

 残念……というか、なんか悔しい。


「私は大丈夫だよ」


 それでも、高田さんに態度をみて私のことを心配してくれたのは素直に嬉しい。

 そこからは、お互い持ち寄った漫画を読んで感想を言い合いあったりして楽しい時間を過ごした。



 私は、この時……片桐君に……岸辺頼君と初めて出会い、共通の趣味であるアニメや漫画のことで意気投合したことを思い出していた。

 心の安らぎを感じることが出来た、あの楽しかった時間。


「ねえ。病院で出会って話したあの時みたいで、楽しいね」


 頼君は少し驚いた顔をしてから言葉を発した。


「そうだな。楽しい」


(もしかして、頼君……今、私と同じこと考えてて驚いたのかな。だとしたら嬉しいな。やっぱり私たちは心で通じ合ってるんだ)


 だらだらと楽な姿勢で読書を満喫していると、セットしていたタイマーが音を鳴らす。

 そろそろ引き上げなければならない時間だ。


「楽しい時間は、すぐに過ぎるね」

「だな」


 嫌だ。

 もっと、一緒にいたい。

 今日は楽しかったけど、彼ともっと特別な思い出が欲しい。


「ん、どうした?」

「大丈夫、ちょっと体制が悪かったみたいで……足が痺れただけ」


 嘘、本当は足なんて痺れてない。

 

「あ、いいよ。俺が全部片づけてくるから」

「もう時間ないし、この量は一人じゃ持てないでしょ」


 私は痺れている設定の足で強引に立ち上がった。

 バランスを崩したふりをして彼の服を掴んで巻き込み私は仰向けに倒れ込む。

 彼が私を押し倒したような、漫画でよくある展開。

 お互いの吐息の音が聞こえるぐらいに顔と体が近い。


(ねえ、頼君。ドキドキしてくれてる?私は、ずっとドキドキしてるよ。私のこの気持ち、頼君に届いてる?)


 そこで彼の困ったような真っ赤になった表情を見て、私は我に返った。


「こんなベタな展開あるんだね」

「ご、ごめん!」


 彼は体制を立て直して、申し訳なさそうに謝罪した。


(ごめんね、頼君。謝るべきは、私のほう。想いはやっぱり口に出して言わないとね。いつか……きっと)


 お互いに、赤くなった顔や耳を指摘され羞恥心が生じる。

 その後、迫りくる個室のレンタル時間に焦りながら私たちはお会計を済ませて漫画喫茶を後にした。


 帰りは、頼君が私を自宅のマンションまで送り届けてくれる。

 その間も他愛もない話をして、会話が途切れることはなかった。


「病院で仲良くなった時、よく頼君の幼馴染のお話してくれたよね。オタク友達だって。今も仲良いの?」

「え?ああ、うん。まあ、ぼちぼちかな」


(ぼちぼちって言ってるけど、ずっと仲良いんだよね。頼君には私よりも仲がいい友達がいるんだ……なんか嫉妬しちゃう)


「そっか。頼君が友達を続けてるぐらい仲良いんだね。一度会ってみたいな」

「まあ、機会があったら……ね」


 長話をしている間に、私の自宅マンション前に辿り着いた。


「頼君、今日はありがとう。楽しかったよ」

「ああ、俺も楽しかったよ」

「本当にありがとね。また明日」

「ああ、また明日」


 彼の去っていく後ろ姿を見ながら、私は呟いた。


「ねえ、頼君。ちょっとはドキドキした?今度は、どうやってスキンシップしてみようかな」


 彼の背中が見えなくなるまで見届けて、自宅マンションへ入った。


「ただいま」


(って、今日お父さん帰ってくるの夜中だった。一人だし晩御飯作るの面倒だな……いつものスーパーにお惣菜でも見に行こう)


 1時間ほど家で今日、頼君と過ごしたことを思い出しながら洗濯物を片づけたりと家事をこなした後、行きつけのスーパーに向かった。

 そのスーパーは色々なものが安くて、私たち地元のお客さんが非常に多く来店している。

 今日もとても繁盛していて、店の中は騒がしい。


(今日お米は炊いてあるから、この鶏の唐揚げのお惣菜にしよう)


 商品を手に取って買い物カゴへ入れる。


(あと、日用品も買おうかな。歯磨き粉と…………え!?)


 店内を歩いていると、沢山のお客さんの中で一際目を引いている彼女の存在に気が付いた。


(……びっくりした。北原さん、なんでここにいるんだろう。まだ制服……そっか。クラス会だっけ?この辺りでやってたのかな……)


 北原さんの事を見ると、私の本能とでもいうのか……やっぱり彼女を警戒してしまう。


(っていうか、距離が近い。向こうは私に気づいてないみたいだけど……気づかれないうちに早く帰ろ)


「あ、頼。今、クラス会終わって学校付近のスーパーにいるんだけど」

 

 その場を早急に立ち去ろうとしたとき、聞こえてきた北原さんの声に私は耳を疑った。


「北原さん……?……らいって……どうして……」


 頭がパニック状態になった。

 どんな会話をしているのかは、正確には分からないけれど、北原さんが頼と呼んだことは間違いない。

 ここで、私が北原さんのことを警戒する理由が分かった気がした。


 学園で有名な頼君と北原さんが、今まで不自然なぐらい接点が見えない訳。

 私が学校で頼君を見かけると意識するように、北原さんも頼君を目で追っているように見えたことがある。

 今日の教室での二人の親密にも見えた、やり取り。

 そして今、目の前で電話している北原さんと……その相手。


(もしかして、頼君の幼馴染って……)


 もしも、あの二人が想い合っていたり……もしくは、もう友達以上の関係に……。


「こんなの、私……北原さんに勝てるわけないじゃん……」

 

 私は自分の憶測に、ただただ絶望した。

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