第28話 冷夏の想い

 私の高校生活が始まった……っと、言っても特別何かをするわけではない。

 学校にちゃんと行って授業を受けて予習、復習してテストでそれなりの点数を取れればいい。

 この学校の恒例となっているテストの順位表に名前が載れば、充分だろう。

 別に学年1位とかに興味はない。

 入学試験であれだけ頑張ったのに、結果は3位。

 岸辺君……片桐君の点数には届かなかった。

 あと、もう一人……誰か知らない2位の人にも。

 私よりも普通に凄い人がいるのに、その人たちに挑んでも仕方ない。


 あれからクラスが違う片桐君を何度か廊下で見かけたりすれ違ったりすることがあった。

 でも、私が彼に声を掛けられることはなかった。


(まあ、こんなに姿変わってたら普通気づかないよね。苗字も変わってるし)


 私も彼に声を掛けることはなかった。


「あ!片桐君だ、かっこいいよね。王子様」

「うん!彼女とかいるのかな!?」


 もう私と彼とでは住む世界が違っていた。

 王子と呼ばれ、男女ともに学校で人気があって学業も完璧。

 それに対して、私に付けられた呼び名は表情変えない氷姫。

 1学期が始まった直後は、こんな見た目をしていても話しかけてくれる人は意外に多かった。

 それが気に入らなかったんだろう。

 クラスの中心だった女子生徒たちに目をつけられて、日に日に私の良くない話が飛び交うようになって完全に孤立した。

 不品行の氷姫の呼び名は、知らぬ間に学年全体に広まっていた。


(まあ、私はそこまで気にしてないけどね。これで話しかけてくる人も減るだろうし)


 1学期、2学期を過ごしてわかった事がある。

 

「今回も片桐君、テスト結果学年1位だって!」

「うん!でも、王女様もすごいよね。ずっと学年2位なんだもん」

「北原さん本人から聞いたけど、入学試験の結果も2位だったらしいよ」

「絶対あの二人お似合いだよね!一緒にいるところ見たことないけど」


 廊下で片桐君と北原さんの……学園で有名な二人の話が耳に入ってくるのは、いつものことだ。


(そっか。2位は北原さんだったんだ)

 

 北原さん……王女の愛称で人気があり、明るくて容姿端麗で学年の中心人物というだけじゃない。

 クラスに馴染めない子にも優しく接して、カーストの上下なんて関係ないスタンスは多くの人に慕われているそうだ。

 いつも廊下などで、彼女を見かけると大勢の生徒に囲まれている。


(まるで、私とは正反対。岸辺君も人気だし、きっと北原さんと同じ人種になっちゃったんだろうな。)


 彼と疎遠になった時のように胸がズキズキと痛む。

 一人になれる旧校舎裏のベンチに座りながら、私は空を見上げていた。


 3学期になった。

 相変わらず、私は一人で学校生活を過ごしている。


「あの!片桐君。今度の休みの日、私たちと遊びませんか?」

「ごめん。勉強とかで忙しくて」


 廊下で、こんな彼の光景を目にすることは多い。

 でも、北原さんと違い岸辺君が自分から誰かといるところを見たことがない。


(まあ、人気者には変わりないものね。もう私の知ってる岸辺君じゃなくて、彼は片桐君なんだ)


 海星学園に入ってから、もう何度目だろう。

 岸辺君と廊下ですれ違う。

 彼と接点のない私が、唯一彼に近づける瞬間。

 

 心臓の鼓動が早くなる。

 呼吸が少し荒い。

 顔も少し熱い。

 彼に近づくだけで、こんなにも気持ちが高ぶる。


(…………え!?)


 すれ違った岸辺君の表情を見たとき、思わず声が出そうになった。

 下唇を少し噛んで緊張を押し殺ろすような表情で彼は、速足で私から遠ざかっていく。

 

 私は、その表情に見覚えがあった。

 病院で彼と話した時。

 彼が頑張って自分にあった辛い出来事を私に話してくれた時の……緊張を含んだ表情。

 そして、今回は他人に対しての異様な警戒心と緊張が彼にあの表情をさせたんだ。

 他人を警戒する臆病な私には、彼のその表情一つで心境まで伺い知ることが出来る。


 私は勘違いしていたんだ。

 容姿が少し変わっても、苗字が変わっても、人気があっても彼は間違いなく私の知る岸辺君だったんだ。

 岸辺君が、私が警戒するのは……赤の他人。


「私は、あなたにとって赤の他人じゃないよね?」


 彼の遠ざかっていく後ろ姿を見ながら、私はそう呟いた。


 ▼▽▼▽


 先日の岸辺君の表情を見てから、私は彼に直接話しかけると決めた。

 今の私と彼の状態は間違いなく他人。

 もう他人のままなのは、嫌だから。


 しかし、学園で話しかけるとお互いに周囲の目が痛いし放課後に話しかけるのも誰かの目に留まるかもしれない。

 とりあえず、私は自分の存在を認知してもらえるように動くことにした。


「岸辺君、学年1位の席。今回は簡単に取らせないよ」


 3学期最後の学期末テスト。

 私は、入学試験の時よりも気合を入れて勉強した。

 テストの順位表で、よりあなたの近くに……。


1位 片桐 頼からぎり らい  1152点


2位 氷室 冷夏ひむろ れいか 1145点


3位 北原 奈季きたはら なき 1092点


(……やった……やったぁ!)

 

 結果は2位だった。

 岸辺君には届かなかったけど、初めて北原さんの成績を上回った。

 彼の隣に立つことが出来た気がして凄く嬉しかった。


「今回のテストのために相当勉強したけど、届かなかったか……」


 順位表を眺めている岸辺君を発見し、小声で彼に聞こえるように呟きアピールしてみる。

 彼は、私の方を見つめていた。


(い、意識してくれたかな。私のこと……)


 自宅に帰ると私は、直ぐにある場所へ向けて出発する。

 私は、久しぶりにかつて通院していた病院へ赴く。

 月に一度、第三金曜日。

 私が彼と会うことが出来た日。

 事前にこの日に病院の予約を入れることが出来た。

 彼の診察時間までは、いつなのか分からない。

 彼に会えるかどうかは神頼みするしかなかった。


 中野メンタルクリニック。

 その病院に到着して、受付で受付番号を受け取る。


(17番か、岸辺君は……いない。まあ、そうだよね)


 空いている席に腰かけて、自分の番を待っていると病院の入り口から姿を見せた想い人に目を奪われた。


(き、きた!岸辺君だ!)


「受付番号18番です。少々お待ちください」


 病院のスタッフさんの声から彼が私の次であることが分かった。


(病院の前で彼を待って、話しかけよう!それで……他人から、また友達に……でも今は他人。岸辺君だって今は、片桐君で他人なんだ。他人は信用できない……違う!岸辺君は、私が見てきた嫌な人たちとは違う!でも……今は他人)


 ここにきて臆病な私の心が顔を出す。

 いくら岸辺といっても今は他人で……他人とは必要以上に関わらない。

 そうやって色んな恐怖から自分の身を守ってきた。

 岸辺君のことが怖いんじゃない。

 貫いてきたスタンスを……自分の意思を変えることが怖いんだ。


「受付番号17番の方、診察室へどうぞ」


 私の番号が呼ばれ、岸辺君の傍を横切って診察室へ向かい入室する。


「やあ、久しぶりだね」

「はい、よろしくお願いします」 


 この中野先生も他人だけれど、中学生だった私の話を真剣に聞いてくれた信用に足る人。


「先生。私……変わってもいいんですか?一歩踏み出してもいいんですか?」

 

 先生は、私の急な問いかけにも関わらず優しい笑顔で答えてくれる。


「過去に縛られることはないよ。皆、色々な影響を受けて色々な事を知って前に進んでいくんだ」

「でも、……それだと今の私を否定する事に!」

「それは、少し違うよ。君は今、成長しようとしてるんだ。今の君があるから次の君に成長出来るんだよ。成長を恐れる必要は何もない」


 先生は、そう言ってまた優しく微笑んでくれる。

 私は、決心がついた。


「君は今とても良い顔をしているよ。初めて会った時とは比べものにならないぐらいにね」

「先生、ありがとう。私、頑張ってみます」


 数分の診察を終えて、私は待合室へ戻った。

 すぐに岸辺君の姿を見つけて、彼の隣に腰かける。

 なんとなく彼が少し動揺していることが伝わってくる。

 それは私が岸辺君にとって他人だから……警戒されてるから。


(もう少し待ってて岸辺君。あともう少ししたら私たちはまた友達に戻れる。そして……)


 今、こうやって隣に座っているみたいに彼の傍にいたい。

 岸辺君の番号が呼び出され診察室へ入っていく。

 私は、お会計を済ませて病院の出入り口付近で彼を待った。


 10分ぐらい経っただろうか。

 手鏡で髪の毛を整えたりしていると彼が病院から退出してきた。


「片桐君……」


 もう、さっきみたいな心の葛藤は私にはない。


「……氷室さんだよね?」

 

 少し悲しかった。

 でも、きっと彼は私の事を忘れているわけじゃない。

 今の氷室と昔の宮野が一致していないだけ。


「久しぶりに、この病院に来たんだ」


 面と向かって少し会話しただけで、こんなにも心が躍る。


「久しぶりにって、前に通ってたの?」


 病院に行かなくなって疎遠になった時に感じた……あの、胸の痛みの理由。

 もう、この気持ちに嘘をつくことはできない。


「うん。中学の時に……ね」

 

 そう中学の時に、あなたと出会ってお互いの痛みを分かち合って想い合ったあの日から。

 

「ほんと……久しぶりだね。岸辺 頼きしべ らい君」


 私の初恋は始まっていたんだ。

 もう、私たちは他人じゃない。


「久しぶり。宮野 冷夏みやの れいかさん」


 これで、あの時のように友達に戻れる。

 でもいつか、それ以上の関係に……。


 大好きな、あなたと。

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