第24話 匂い

 冷夏と別れた後、駅に到着した俺は電車に乗り帰路に就く。


(なんか、思ったよりも漫画喫茶良かったな。品揃えも豊富だったし)


 そこで、冷夏を押し倒してしまった状況が俺の脳裏によみがえる。


(あれは不可抗力とはいえ、友達相手によくなかったよな。ちょっとドキドキまでして……まったく、男の本能というやつは)


 自分の節操のなさに呆れてしまう。

 イヤホンを装着して電車に揺られて数十分、目的の駅で降りてまっすぐ自宅へ向かう。

 今日の夕食は鶏の唐揚げで仕込みは朝の時点で済ませてあるので、買い物も必要ない。

 耳に付けたイヤホンから流れるアニソンを楽しみながら、自宅に辿り着いた。


「さて、洗濯物取り込んで……授業の予習でもするか。うかうかしてると、直ぐに中間テストだからな」


 制服から部屋着に着替えていつも通りの家事をこなした後は、インスタントコーヒーを入れ勉強に勤しむため自室の机に向かう。


「さて、やるか。……ん?」


 気合を入れたその刹那、ポケットに入っていたスマホの振動が俺の体に伝わってくる。

 スマホの画面を確認すると、奈季からの着信電話だった。


「もしもし、奈季。どうした?」

『あ、頼。今、クラス会終わって学校付近のスーパーにいるんだけど』

「18時前だけど、まだ学校付近にいるのか?」

『うん。駅前のカラオケに行ってて、さっき終わったの。帰りに沙也加が激安スーパーがあるって紹介してくれて二人で来てるってわけ』

「そうか」


(まさか、クラスメイトたちが都会の方ではなく駅付近で遊んでいたとは……冷夏と俺が一緒だったところは見られてないだろうが、気をつけないとな)


『頼、聞いてる?』

「あ、うん。それで?」

『いや、本当にここのスーパー安いんだよ。なにか買ってきてほしいものある?』

「え?唐突だな、別に……いや、ちょっと待って」


 俺は台所へ行き、冷蔵庫とキッチンの引き出しを調べる。


「奈季。片栗粉、頼めるか?あると思ってたけど切らしてたみたいだ」

『うん、了解。今日の夕飯に使うの?』

「鶏の唐揚げ、な」

『やったぜ。じゃあ、片栗粉買って帰るからね』

「ああ。助かったよ」

「うむ。苦しゅうない、なんてね」


(なんかテンション高かったな、奈季。良いことでもあったのかな)


 電話を終えて、今度こそ勉強を始める。

 俺が予習をする場合、歴史や漢字に英単語など覚えておいて損はないところから頭に叩き込んでいく。

 数学や物理などの反復練習が必要な科目は徐々に慣らしていく。


 一時間程、集中していただろうか。

 玄関の扉が勢いよく開く音で、俺の集中は途絶えた。


「頼、ただいま」


 とりあえず勉強はここまでにして声がするリビングの方へと向かう。


「おかえり、奈季。買ってきてくれた?」

「うん!ついでにお菓子も買っちゃった」


 奈季からレシートを受け取って目を通す。


「片栗粉、98円か。確かに安い」

「ご当地スーパーらしくて、地元の人から人気なんだって」

「へー。学校近くに、こんなスーパーあったんだ」


 俺は片栗粉を受け取って、早速調理を開始する。 

 調理と言っても、仕込んでおいた鶏もも肉に片栗粉をしっかりつけて揚げるだけなんだが。

 天ぷら鍋に油を注いで、180℃に達すれば片栗粉を纏わせた鶏肉を揚げていく。


「わー、良い匂い」


 そう言いながら、部屋着に着替えてきた奈季が揚がっていく唐揚げを凝視している。


「もうちょっと待ってな」

「うん。それより、片栗粉買ってきて助かったでしょ?」

「ああ、ありがとな。でも、いつも買い物なんて率先してしないだろ?」

「え?それは……その、私いつも甘えてばかりだし、たまには頼の役に立ちたかったていうか」


 少し照れくさそうに奈季は言う。

 俺は、そんな奈季の言葉が単純に嬉しかった。


「そうか。最近は家事も手伝ってくれてるし、朝起きるのも一人で頑張ってるだろ……まだ俺が起こすときもあるけど。だから、その気持ちが嬉しいかな」


 俺は奈季の目を見て、続けて言葉を発した。


「こっちこそ、いつもありがとな」


 照れているんだろう……奈季の顔が少し赤い。

 まあ、こんなセリフを言った俺自身も少し恥ずかしいけど。


「……っと!?奈季?」


 奈季は俺の腕にしがみつき、体を密着させてくる。


「お、おい、離れろよ。油もあって危ないから」

「やだ」


 なんか前にも似たような事があったような……。

 仕方なく俺は、そのまま作業を続ける。


「いい匂いだね」

「ああ。今日は、少しニンニク少なくしてるけどな」


 一つまた一つと、唐揚げが出来上がっていく。


「……匂う」

「え?ああ、唐揚げの匂いが____」


「女の匂いだ」

 

 奈季は俺の言葉を遮ってそう言い、眼光鋭く俺を見る。

 俺の心は、その言葉と視線にドキッとした。


「……え?」

「女の匂いだ」

「いや、なんでそ__」

「女の匂いだ」


 壊れた機械のように同じ言葉を繰り返す彼女に少し恐怖を感じる。

 俺は、一つ大きな咳ばらいをして質問をぶつけてみる。


「その……女の匂いって、どんな?」

「具体的には、香水のような甘い匂い……頼、そんなものつけたことないよね?ね!」


 俺にしがみついている奈季の腕の力が強くなる。

 普通に痛い……。


 思い当たる節は……当然ある。

 俺が冷夏を押し倒し……いやいや、俺と冷夏がもつれ合って転倒したとき。

 あの時、俺も冷夏から感じた香水の甘い香り……やっぱり、あれが原因なのか?

 でも、その時来ていた制服からは着替えてるし香水の匂いってそんなに伝染するものなのか……?


「ねえ、どうなの!?」


 女の嗅覚、恐るべし。

 なんて言ってる場合じゃない。


「頼。今日の放課後、誰かとどこかに行ったの?」


 誤魔化すより、素直になったほうがいいだろう。


「うん、まあ……」

「相手は、やっぱり女だったの!?」

「うん、まあ……」


 今度は、俺が壊れた機械になってしまった。


「クラスの皆から誘われてる頼に私が助け舟出してあげたのに、その舟に乗って女に会いに行ったんだ!」


 だんだん奈季の凄みが増してくる。

 すべて事実なので、返す言葉もない。


「……だれ」

「え?」

「その女、誰!?」


 もう、観念するしかなようだ。

 奈季には悪いが本当に言えないことは、伏せればいい。


「その……氷室冷夏……さん、です」


 その言葉に奈季は俺からやっと離れてくれたが、固まっている。


「ま、また……氷室さん?」


 奈季の拳は強く握られていて、俺の事を再び睨んでくる。


「ほら、前に書店で会った時にオタク趣味の話でも盛り上がってさ……それで、突然今日も遊ぶ約束して」

「どうやって約束したの?今日、氷室さんと話なんてしてないでしょ」

「いや、スマホでメッセージ飛ばして」

「連絡先、交換してたんだ……」

「あ、うん。それで漫画喫茶に行って一緒に漫画読んだりしてただけだよ」


 さっきの凄みは影を潜めて、奈季は俯いている。


「あ、あの、奈季。大丈夫か?」


 俺は、俯いている奈季の顔を覗き込もうとするが……。


「もういい!」


 急に大声でそう言う彼女に、俺は息をのんだ。


「な、奈季?」

「もういい!腹減った!早く食べよ!」


 俺は、言われるがままにサラダや揚げあがった唐揚げをテーブルの上に並べる。


「い、いただきます」

「いただきます!」


 もう、こんなに機嫌を損ねてしまった奈季を通常運転に戻すのは至難の業だ。

 こんな状況でも、一つだけ奈季に言っておかなければならないことがある。

 その必要性は、ないはずだが念のために……。


「奈季。その氷室さんにオタク趣味があるとか、俺と出かけたとか誰にも___」

「言わないわよ!私が、人様のこと言いふらさないの分かってるでしょ。いちいち釘を刺さないで!」


 奈季は、やけ食いするように唐揚げとご飯を頬張っている。

 一息ついて、俺も唐揚げを口に運ぶ。

 美味しく揚がっている。

 しかし、この重苦しい雰囲気の中で食事がなかなか喉を通らなかった。

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